第三話 兄妹との出会い
老人に寝室を譲り、男はひとり、居間のソファーに腰かけていた。
男の脳裏には、昨日、瓦礫の中から見た光景が蘇っていた。あまりに残虐な人間たちと、その目に宿った深い憎しみ。男は憤りを覚えると同時に、人間たちの持つ底知れぬ憎悪に再び恐怖した。
翌朝、男は引き留める老人に繰り返し礼を言って、北へと長い旅路の一歩を踏み出した。
街を抜け、森へ入ると、戦闘が終わったからだろうか。小鳥のさえずりが聞こえ、小川のせせらぎもどこかから聞こえてくる。そんな景色に心を癒されつつも、男は黙々と北へ向かって歩き続ける。
そうして正午近くになっただろうか。森が少し開けた場所に、ちょうどいい木陰を見つけ、男はそこに腰を下ろしたが、すぐに妙な違和感を覚えた。どこかで嗅いだにおいがする。そのにおいのもとを辿ると、それは頭上にあった。
魔王軍の軍服を着たオークの死体が木に吊るされているのだ。
思わず後ずさると、先ほどまで腰かけていた木の根っこの部分に何かが人間語で彫られている。
人間と魔物は、口頭においてはやり取りができるものの、文字に関してはお互いへの嫌悪から数十年前に全く異なるものに枝分かれし、今ではお互いの書いた文章を読むことは難しい。しかし男は以前に王宮の書記官として働いた経験から、人間語の文章を読み解くことができた。その文章はこのような内容だった。
「汚らわしき魔王軍の侵略者、ここに死す。これは全ての魔物への警告である。今すぐ我らの故郷から立ち去れ。獣どもよ」
男は一瞬、あたりを伺ったが、幸いにも人間の気配はない。この文章が刻まれたのも随分と前なのだろう。ほっと安堵し、男は少しの間、昼寝をして休憩することにした。
目を覚ました時には、既に太陽は沈みかかっていた。またやってしまったな、と思って起き上がると、近くに人間の気配を感じた。まずい。直感的に息をひそめていると、その気配の主はこちらへと近づいてくる。
「おい、起きたか?」
「いや、まだまだ寝足りないだろう。そっとしておけ」
敵意は感じない。目の前の人間たちの様子をそっと伺うと、勇者軍の制服ではない、普通の農民の服を着た若い男女が立っている。驚かさないように、わざと大きな音を立てながら起き上がると、二人が気づいて寄ってくる。
「あんた、魔王軍の生き残りかい?」
「ああ、そうだ。君たちは・・・?」
「ああ、安心してくれ。私たちはあんたを殺すとかそういうことは考えてないし、興味もない。あたしはメリッサで、こっちは弟のエレクだ」
二人のうちの片方が明るい声で自己紹介する。燃えるような赤髪に、あの老人と似た顔立ち。人間の若者を近くで見るのは初めてであり、それだけに男は妙に緊張していた。
「まあなんだ、あたしらのことは弟から説明してもらった方が早いかな」
「そうだな。いきなりのことで混乱してるだろうが、いったん聞いてくれ」
エレクと紹介された若者が、男の前にどっしりと腰を落ち着けて話始める。その内容は、かなり妙なものだった。
「まあまず安心してほしいんだが、俺たちはメリッサの言った通り、あんたの敵じゃない。むしろ、敵の敵は味方っていうくらいだから、味方かもしれないな」
「どういうことだ?人間なら魔物の敵に決まっているだろう」
「まあ、そう思うよな。実際そうなんだが、俺たちは勇者に恨みがあるんだ」
「勇者様は君たちみたいな農民を守ってくれる英雄じゃないのか?」
「まさか、あいつらも魔物と変わらないさ。いや、あんたがたは魔王の命令で人間と戦ってるんだから、まだマシだ。勇者とその取り巻きは、国民のために戦うと言いながら、俺たち農民から重税を巻き上げて、毎日どんちゃん騒ぎだ」
「エレクの言う通りさ。私たちの父親は勇者軍に無理やり徴兵されて、骨一本戻ってこなかった。そのくせ、今でも税金の取り立てだけは律儀にやりやがる」
確かに、勇者軍の兵士はみな、とても良い身なりで、冬の寒さを防げるように羊毛で縫われた暖かい上着と帽子を身に着け、その装備も最先端の武器を持っているが、目の前の若者たちの着るものはあまりに古臭く、頼りない。
「つまりだ、俺たちは勇者軍の連中が少しでも苦しんでくれれば良いと思ってて、だからあんたがた魔王軍の連中を手助けしてるのさ」
筋は通っている。しかし、信用に足る人物なのかは分からない。先ほどの老人はたまたま親切だったが、目の前の彼らが魔物を憎み、だまし討ちしようとしている可能性は否定できない。
そんな風に考えて男が逡巡していると、それを見て取ったのか、メリッサが笑って言った。
「まあエレク、いきなりこんな話をされても信用できないだろうし、あれを見せてやればいいんじゃないか?」
「まあ確かに、論より証拠だな」
ついて来い。そう言ってエレクとメリッサは、森の奥の洞窟に入っていく。そこには、勇者軍の兵士、いや、兵士だった男たちがいた。
洞窟の壁際には、これまで捕らえられたであろう勇者軍の兵士たちの装備品が並び、目の前には身ぐるみを剝がされた勇者軍の兵士たちが岩肌に縛り付けられている。
「こいつらはさっき、あんたのお仲間を木に吊るした連中さ」
「木の根元にくだらない警告を夢中になって刻んでいるところを、後ろから捕まえてやったんだ」
目の前には三人の兵士たちがこちらを睨みつけている。
「この裏切り者!人間の誇りはないのか?」
「貴様らは人間の恥だ!獣とつるんで、天罰が下るぞ」
口々に喚き散らすが、メリッサとエレクは全く動じないばかりか、メリッサに至っては手元の石を投げつけてこう言い返す。
「黙りな!あんたらのせいで、父さんは死んで、母さんも病気になり、それでようやく見舞いに来たと思ったら、あんたら勇者軍の言うことは税金税金税金!獣はあんたらだ」
これには流石に屈強な兵士たちも黙り込むしかない。
その日の夕飯は、兵士たちから奪った干し肉とワイン、それに乾パンを地面に並べたものになった。
「あんた、これからどうするんだい」
メリッサの質問に、男は老人に返したのと同じ答えを繰り返す。
「北に行く。家に帰るんだ」
「北か。いいじゃないか。本当はあたしらと一緒にって誘いたかったんだがな」
「まあ彼も家に帰りたいんだろうし、無理強いはしないさ」
「ありがとう。礼を言うよ」
「いいってことよ。それに、あんたみたいな真面目な魔物、あたしらと一緒に暮らすのは大変だろう」
「というと?」
「目の前のこいつら、これからどうすると思う?」
メリッサがにやりとこちらを見ながら問いかける。男は薄々その答えを知りながらもとぼけて答える。
「さあ。少しいたぶってから森へ返すのか?」
この答えに二人は大きな声で笑って、一息ついてからエレクが答える。
「違うよ。殺すんだ」
一瞬、冗談かと思ってエレクの顔色を伺うが、その目には冷たい決意が漲っている。
「生かしてたら、あたしらのことをチクるだろ?」
メリッサもさも当然のように答える。男は戦慄しながらも、つとめて冷静に
「そうか」
と答えるのが精いっぱいだった。
翌朝、男が目を覚ました時には、三人の男たちの姿はなく、代わりに三人が身に着けていた装備品が転がっていて、かすかに血の匂いが漂っていた。男は何も言及せず、二人に礼を言ってから再び北へと歩き出した。
男は黙って歩きながら、先ほど目にした光景について考えていた。確かにあの三人は自分の仲間を殺した人間で、明確な敵だ。でも、だからといってメリッサとエレクの二人が正しいかと言われれば、そうも思えなかった。なるほど確かにあの二人は両親を勇者軍に殺されたようなものだし、恨みを抱くのも当然だ。しかし、だからといって森を通りがかった兵士たちを殺して身ぐるみを剥いで生活することを、男の中の良心は決して良しとはしていなかった。




