第04話 密室
テレビを消すと、家の中を静寂が包み、空気が張り詰めたものに変わる。私は深く息を吸い、二階へ向かった。
階段を踏むたび、軋む音が響く。誰かが私の足音に重ねてもう一歩、遅れてついてきているような想像をした。
アオイの部屋の前に立つ。ドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。しかし——鍵がかかっている。
そのとき、扉の向こうから微かに音がした。ドアの向こうで、軽い何かが床に落ちるような音。
「アオイ!」
呼びかけるが、返事はない。息を殺し、そっとドアに耳を押し当てた。だが、室内は沈黙したままだ。胸の奥に、嫌な予感がじわりと広がる。
私は家の構造を思い出し、隣の部屋からベランダへ出ることにした。慎重に足を運び、外へ。ベランダ伝いに彼女の部屋へ向かう。
明かりがついていた。窓の引き戸に手をかける。しかし、ここにも鍵がかかっている。
私は、カーテンの隙間からガラス越しに部屋の中を覗き込んだ。
ベッドの上に、アオイのようなモノが座っていた。
全く動かない。目は開かれたまま、そこには意志の欠片もない。まるで人形のようだ。
ドッ!ドッ!ドッ!ドッ!
景色が真紅に染まる。私の心臓の音が一気に高まり四つ打ちを始める。
周囲の雑音が徐々に曇って聴こえるようになり、逆に鼓動の音が強まり歪む。
頭の中で早回しのアオイが何かしゃべっているが、言っている事がよく聞き取れない。
そして昨日の夕方、いつものように笑って手を振っていたアオイ。その映像の断片が脳内でループ再生された。
そこにLo-Fi気味に歪んだ、チャージマン・ケンに登場する「キ〇ガイレコード」の空耳が重なり渾然一体となる。
「な
ん
で」
つぶやいた声は、自分でも驚くほど震えていた。私は決意を固め、窓ガラスを破ることにした。
隣の部屋へ戻り、物色すると重量感のあるセロテープカッターを見つけた。私は、静かに息を整える。
そして頭の中の音楽に合わせて、一気にテープカッターを振り下ろした。
◇◇◇◇
部屋に入ると、私はアオイのような何かに触れた。
瞬間、それはまるで積み木のように次々と崩れ落ち、サイコロステーキのような肉片が辺りに散らばる。私は叫び声を上げたが、すぐ手で口を塞いだ。
それらは、徐々に形を失い、まるで空気に溶けるように、輪郭が崩れていく。風に吹かれた砂塵のように消えていくその姿。私は呆然と立ち尽くした。
私の頭は混乱していた。周りの景色が歪み、現実と幻想の境界が崩れるような感覚。それでも、私の体は動かない。まるで私の意志を無視して、何かが私を固定しているかのようだ。頭の中に響く音楽は、私を責めるよう響きを増す。恐ろしい。これは一体、何なのか。私の中で何かが壊れていくのを感じた。
しばらくして、多少落ち着いた私は、部屋の中の様子を観察した。
ベッドの上にはクロスワードパズルの雑誌と鉛筆が無造作に置かれていた。昨日一緒に遊んだ量子ボーイとソフト、それに電源の切れた携帯電話も並んでいる。
雑誌をよく見ると表紙には、ひらがなの「く」のような文字。
「……く?」
何かのメッセージかもしれない。私は震える手で携帯電話を取り出し、その文字を写真に収めた。
そのとき——首筋に、冷たい何かが触れた気がした。
「……何があったんだろう」
足が震える。部屋の空気が、いつもより重く感じられた。
怖い。今すぐ逃げ出したい。だが、その衝動を必死に抑えた。
学校の屋上でのことを考えると、これが警察に相談してどうにかなる問題とは思えなかった。
私は、他に異常がないか部屋を見回した。壁には、きちんと吊るされた制服。机の上には、物理の教科書とノート。どちらも、特に変わった様子はない。
私は30分ほど部屋を調べた後、ベッドの上に視線をやった。
「……これ、借りるね」
そこにいたはずのアオイに向かって、そうつぶやく。そして彼女の携帯電話と、量子ボーイをポケットに入れ、部屋を後にした。
事件が起きる直前まで使っていたもの。ここに何かのヒントがあるかもしれない。
◇◇◇◇
家に戻り、自室に行く為、居間の前を通るとTVでは全裸に海パン一丁の芸人の男が、賑やかな音楽に合わせ手足を激しく振って叫んでいる。
「そんなの関係ねぇ!」
「そんなの関係ねぇ!」
同時、奥から音楽に乗るような形で、お風呂が沸いた時の曲が聴こえる。
昨日の今日でこれだ。
私は姉に対し少し怒りが沸いたが、今はそれどころではないので、スッと顔を無表情に戻しつつ回れ右をし、二階に上がった。
◇◇◇◇
自室に着くと、彼女の携帯電話をアダプターに繋ぎ、電源を入れた。すぐに私が送ったメールが受信される。その後、調べても特に、有益な情報は得られなかった。
机の上に量子ボーイを置く。ふと、居間で鍋敷き代わりにされていた本に書かれていた問題解決法を思い出した。
「こまったことをバラバラに分け、よく観察。それから考えよう!
それでもダメなら、みんなに相談するとよいかも?」という文章を思い出しつつ、髪をかきあげた。
まず、見た目を観察する。特に目立ったキズはなく、昨日遊んだ時のままだ。裏面を見るとシリアル番号の書かれたシールが貼られている。
「シリアルNo.00000」
少し動揺する。
「これは試作機か何か?」
続いてソフトだ。ソフトはラベルの貼られていない無地のネズミ色の物が刺さっていた。
次に、操作系の確認。ボタンを押したり、電源のスライドスイッチを入り切りしてみるが反応がない。これは電池切れだろう。とりあえず、単三電池を4本交換した。そのまま電源を入れると、画面には、上から下に星のような物がスクロールする背景の上に、こんな文字が浮かび上がった。
【キーコマンドを入力して下さい】
私は困惑した。とりあえず適当にボタンを押してみる。
間を置いて「ブブ」と安っぽいブザー音。
【コマンドが違います】
「……なんだこれ」
次に有名な「オオナミコマンド」を試す。
「上、上、下、下、左、右、左、右、B、A」
「ブブ」【コマンドが違います】
次に格闘ゲームの昇流拳のコマンド「→↓↘+B」と打ち込んでみる。
「ブブ」【コマンドが違います】
コマンドの左右方向を反転してみたり、BボタンをAボタンに変えてみたりもしたが結果は同じ。
「ブブ」【コマンドが違います】
その後、知っている格闘ゲームの、あらゆる技のコマンドを試してみた。
夕飯を急いで食べると、また作業を続けた。
電池が切れると交換して、また作業を続けた。
「ヨガ スパイク!」
「ヨガ・クレパス!」
「ヨガ・ウォール!」
「ブブ」【コマンドが違います】
マイナーゲームの土属性キャラの技まで打ち尽くした私は、最後に取っておいたコマンドを繰り出す。
「覇王翔吼波!」
「ブブ」【コマンドが違います】
時計の針はもう夜の12時を回っていた。そんな中、部屋のドアが開いた。
「ユリ、大丈夫?」
姉のマリサが心配そうな顔を覗かせる。
「量子ボーイ。アオイに借りたの?」
──あれ? 姉は、アオイの事を憶えている!
堪えていたものが一気に溢れた。
「……姉さん……っ!」
私は泣き崩れた。
「どうしたの!?ユリ!」
マリサ姉さんは困惑しながらも、やさしく私を抱きしめ、そっと頭を撫でた。
5分程経ち、私が多少落ち着いたのを見るとマリサ姉さんが私に優しい声音で尋ねる。
「一体何があったの?」
私は、学校でのこと、アオイが消えたこと。その他、自分が驚いたこと、アオイの家で感じたこと、恐ろしかったこと、悲しかったこと、不安なことを話しまた泣いた。
マリサ姉さんは驚きながらも、そっと私の頭を撫でた。
「……大丈夫。泣いていいよ」
「アオイが……アオイが………っ」
嗚咽を漏らす私の肩を、姉さんは優しく抱いてくれた。
またしばらくして、私は部屋にあった「く」の文字のこと、
そして、量子ボーイと携帯電話を勝手に借りたこと、キーコマンド入力のことも話した。
マリサ姉さんは静かに頷き、量子ボーイの画面を見つめると、暫く黙り込んだ。
「チッチッチ」と時計の針の音が響く。
1分程経った。
姉は美しい顔を、一瞬険しくし唸った。
次にリンとした表情となり、ポツリと呟いた。
「……謎は、たぶん解けた」