第03話 連鎖反応
嬬恋ユリ視点
◇◇◇◇
翌朝、私はアオイと話すのを楽しみにしながら登校した。昨日のゲームの事や、大好きなボカロ曲について語り合おうと思っていたのだ。
しかし、教室に入ると、彼女の席は空っぽだった。
「……あれ?」
教室の一番後ろの席、いつもならアオイが賑やかに騒いでいるはずなのに、そこには誰もいない。カバンもない。
「めずらしい、休みかな……」
少し拍子抜けしながらも、風邪でもひいたのだろうと軽く考えた。1時間目の後、折りたたみの携帯電話を取り出し、
パカッ!入力、送信、パコン!
彼女にメールを飛ばした。
「アオイ風邪?大丈夫? また今度遊ぼうね」
そして、しばらくして画面を確認するが、まだ返事はない。
返事が遅いのはいつもの事なのであまり気にしなかった。
◇◇◇◇
昼休み、私は屋上でクリームパンを頬張りながら、友人のサツキ、ヒナタと話していた。
青空がどこまでも広がり、白い雲がゆっくりと流れている。広々とした屋上には鉄柵が張り巡らされており、その隙間からのどかな街の様子が見える。
今日は全国的に、この季節としては異例の暖かさで、吹き抜ける風が心地よい。
サツキが言う。「ねえ、タカゼ先生ってさ、最近髪切ったよね?」
「あー、ちょっと短くなってたわー!」とヒナタがうなずき、私はパンをちぎりながら言った。
「前のふわっとした感じも良かったけど、今回のも大人っぽくて似合ってた」
そんなとりとめのない会話をしながら、ふと校舎の方を見て、アオイの事を思い出した。
「……ところで、さあ、アオイ今日は風邪か何か?」
サツキとヒナタが顔を見合わせる。
「アオイ?」「誰それー?」
私は一瞬固まるが、すぐに苦笑して言い直す。
「いやいや、上野村アオイだってば。一番後ろの席の、騒がしいやつ」
サツキとヒナタが首をかしげた。
「え? そんな子いたっけ?」「一番後ろって、空いてなかったー?」
「何言ってんの!? アオイだよ! 休み時間になると大声で喋り出して、授業中も試験前になると『先生、そこテストに出ますー?』ってうるさいやつ!」
サツキが眉をひそめる。
「……うるさい子……?」
「そう! 体育の準備運動で毎回『うおおお! 気合い入れるぞー!』って叫んで、でも走るとすぐバテるやつ!」
「……体育で気合い入れるのに、すぐバテる子……?」
「音楽の授業ではリコーダーめちゃくちゃ得意で、でも調子に乗ってアレンジしすぎて先生に怒られる!」
サツキとヒナタが一瞬驚いた表情を見せる。
「……え?」
「それって……あれー?」
二人の怪訝な表情が変わり、まるで霧が晴れるように、少しずつ笑顔になる。
「……あれ? いた気がする……」
「うーん……ちょっとずつ思い出してきた……」
息をのむ。
……二人ともアオイの存在を忘れかけていた……? いやでも、なんで??
「 なんで忘れてたの?」
サツキとヒナタは困惑しながら首を振る。
「わかんない……今言われるまで、完全に記憶になかった……」
「でもー、確かに……いたよね……あのうるさい声、思い出した……」
胸に安堵が広がる。
今までの不安や焦りが、徐々に風に乗ってどこかへ運ばれていったかのようだった。
スーッと深呼吸をする。
その瞬間、不意に、屋上の空気が揺らぐ。視界が歪んでいく。それは世界が本来持っているはずの流動性を、私がたまたま目撃しているだけのような不思議な感覚だった。
「え?」
そしてあたりに響いていた喧噪がピタリと止まり、世界が静寂に包まれる。
そこへなぜか、昨日姉が聴いていた、歌い手の輪ゴムが歌う「エアマンが倒せない」が警報を発するように頭の中で鳴り響く。
視線を戻すと、サツキとヒナタの輪郭が、まるで砂山が崩れるように、少しずつ溶けるように消え始めていた。
「……え、ねえ、なに、これ……?」
「ユリー……!? 何かおかしい……!」
私は思わず二人の手を掴もうとするが、手は空を掴み、すり抜けた。
「ちょっ、何これ!? サツキ!? ヒナタ!? ふざけないで!」
二人は自分の手を見つめ、驚愕する。
「消え……てる……?」
「私たち……どうなって……」
鼓動が速くなる。何かが起きている。アオイのことを思い出したとたん、二人が?
「ダメ!!サツキ!ヒナタ!!」
しかし、二人の姿はどんどん淡くなり、私の目の前から霧のように消えていく。
「…」
最後に聞こえたのは、サツキとヒナタの微かな声。そして、私の目の前から二人は完全に消えた。屋上は、まるで何もなかったかのように静まり返る。空は青く、フェンスは変わらずそこにある。しかし隣には、誰もいない。
息を呑む。さっきまで二人が立っていた場所を見つめる。そこには、最初から誰もいなかったかのように、ただのコンクリートの台座と床が広がっている。
「嘘でしょ……」
これは夢だろうか? それとも……。
急いでポケットから携帯を取り出し、サツキやヒナタにメールをを送る。しかし、送信はできても、いつまで待っても返事が来ることはなかった。通話もつながらない。
胸の奥に広がる、強烈な焦燥感、喪失感、不安感。
私は考える。これは、一体何が起きている?
そして息を整え、決断した。学校なんてもうどうでもいい。今すぐ確かめるべきことがある。
——アオイ。
彼女はどうなっている?
私は教師に体調不良を訴え、早退の許可をもらった。震える足で自転車を漕ぎ、アオイの家へと向かう。
◇◇◇◇
アオイの家は、昔からよく遊びに来る場所だった。外観は古びているが、どこか温かみがあった。玄関の扉には、アオイが小さい頃貼ったシールがまだ残っており、そのうちのいくつかは少し色あせている。それらがアオイという存在を強く主張していた。
見慣れた玄関で呼び鈴を押した。少しドキドキしながら待つが反応がない。
何度も呼び鈴を押すが反応がない。しかし、家の中からはテレビの音が確かに聞こえてくる。人がいるのか、いないのか、それがはっきりしないことが、胸のざわめきをさらに強くした。
私はしばらく玄関の前で立ち尽くしていた。そして意を決した。
上がって中の様子を確かめよう。
戸惑いもあったが、アオイの身に何かあったのではないかという不安がそれを上回る。
そして、ドアノブを回す。
すると、鍵はかかっていなかった。少しの躊躇の後、ゆっくりと扉を押し開ける。
「だれかいますかー」
呼びかけた。しかし、返事はない。
玄関を抜け、居間へと足を進めると、ブラウン管の発するキーンとしたモスキートノイズが聴こえ始めた。そしてやはりテレビがついていた。テレビではニュース番組のキャスターが話しているが、その内容は耳に入ってこない。私の視線は、テレビの上の写真立てに吸い寄せられた。
そこには、アオイと彼女の父親が写った写真があった。
どこかの山の上で撮られたものらしい。アオイは笑っている。私もよく知っている、いつものあの笑顔だ。だが、澄んだ空の下で父親の隣に立つ彼女の姿が、まるで遠い過去のもののように思えて、妙な寒気が背筋を走った。
「だれかいますかー!」
やはり、返事はない。
私はさらに奥へと足を進める。居間のテーブルには、食べかけの食事が残されていた。飲みかけのコップもあった。
まるで誰かが、何か理由があり急ぎここを離れた、あるいは、今もいるかのように──。
胸の鼓動が速まる。