第02話 量子ボーイと告白
玄関には、なぜかションボリしたユリと、元気いっぱいの上野村アオイがいた。
「あー!マリサ姉さん!お久しぶりですー!」
その姿をよく見ると、肩ほどに切り揃えた水色ががった髪は無造作ヘアのようにハネており、前髪は少し汗で額に張り付いていた。
よほど急いで家まで来たのだろう。
そんなアオイに私は笑顔で話かける。
「見せてもらおうか、量子ボーイの性能とやらを」
って‥あ、しまった!いつもユリと話している感じで、つい口をついて出てしまったネットのノリ。
そういや家族以外との会話は久しぶりだ。
──恥ずかしいな。消えたい。溶けたい。時間を戻したい。
「性能とやらを?‥え?あー!!そんなセリフ、ニカニカ動画とかでめっちゃ流行ってますよね!それはさておき…はい…そのつもりです。とりあえず上がらせて頂いてもいいですメ“ーか?」
と救ってくれた上、ノリを合わせてくれたアオイはマジ天使。
◇◇◇◇
居間に移動すると、私は黄色のビニール袋の中から、赤いゲーム機とソフトを慎重に取り出した。
「凄いわ、本体も状態良いし、ソフトは"与作"、"にゃっくす"、"コマンダー"、コンプリートしてるじゃない。それにこの無地のソフトは…」
「アオイこんなの、どこで買ったの?」
「使わなくなったスキーのブーツ売りに近所の古道具屋に行ったら、スっごく安く売っててさ。つい更に値切って買っちったー!」
そう言いながら弾ける笑顔で横向きにしたピースをチョキチョキするアオイ。
なにそれ、たくましい。
「安くって幾らくらいだったのさ?」
「全部セットでたった8000円だよー!」
「え、結構高くない?」
若干困惑顔のユリの後ろから、思わず私は叫んでしまった。
「8000円!?すご!…。この状態の量子ボーイなら本体だけでも20万で売れるわ。しかもこれは全ソフト付きだから…」
「 …よしアオイちゃん、それ売りに行こう。そしてジョイフルでパフェ・パーティーしよう」
ユリのやつ、ナチュラルにアオイちゃんにたかろうとしてるし…姉の顔が見てみたい。
「やだよー。動画で凄いっって言われてるの見てから、ずっと欲しかったやつだし、やってみたいしー!」
当然である。
残念そうな顔のユリは、喉が渇いたというアオイに、箱買いして置いてあった、常温の激甘濃厚ピーチネクターを取り出し渡す。
アオイはちょっと嫌そうな顔をしながらも
「あ、ありがとー!」とお礼を言った。
「カシュ!」ピーチネクターの蓋を開け、若干躊躇するアオイだが、のどの渇きに負け、一口。
「うぇっ…」と思わず声が出る。
尚、普段から甘ければ甘い程美味しいと言っているユリには、全く悪気はないのだと思う。多分。
「そもそもコレ、そんな凄いやつなの?」
ユリがアオイに尋ねるが、激甘ネクターにやられて行動不能のアオイに代わり、私が親切丁寧に説明をしてあげる。
若干早口となり、一気に伝えた内容は次のような物だ。
◇◇◇◇
「量子ボーイ」――それは、未来の扉を開ける新たな鍵として、エポックビジョン社が世に送り出した次世代の携帯型ゲーム機だった。
1995年、家庭用ゲーム機の黄金時代を迎えていた世界に、突如現れたそのマシンは、まるで異次元から来たかのように感じられた。
艶消しの赤いボディに、鮮やかなカラーディスプレイが搭載され、その中には、驚異的な技術が詰め込まれていた。
その技術の核心は、簡易量子コンピュータ。
エポックビジョン社は、通常のゲーム機では到底体験できない「量子ゲーム」という新しい概念を提案した。
量子アニーリングの仕組を応用することで、プレイヤーの行動一つ一つがゲームの世界にリアルタイムで影響を与え、複雑なパラメータが無段階に変動する。
これは、まさに従来のゲーム機の常識を打ち破るものだった。
そして、この量子ゲームを代表するのが、本体と同時に発売された次のタイトルたちである。
『トキメキの与作』
まず最も有名なのが、この農村恋愛シミュレーションゲーム。
このゲームは、プレイヤーが江戸中期の山村の青年「与作」となり、村の女の子たちと交流を深めながら、農作業や村の生活を楽しむという内容だ。
このゲームが他の恋愛シミュレーションと大きく異なるのは、量子コンピュータの力によって、プレイヤーの僅かな行動の違いにより常に異なる結果を生むところだ。
例えば、同じ「告白」を選んでも、その時のプレイヤーの態度やタイミングによって反応が変化し、同じシナリオでも毎回新しい体験ができる。
この予測不可能なゲーム進行は、量子コンピュータによって生まれたゲームならではの魅力だった。
グラフィックもマシン性能の都合若干荒いながらも雰囲気が素晴らしく、「まるでその時代に行き、キャプチャしてきたようなリアリティ」と評される。
お助けキャラとして登場する風変わりなイケメン、「右京」は女子に人気が高く。無理やり攻略対象として楽しむプレイスタイルも存在する。
『ゴールデンにゃっくす』
このゲームはいわゆるベルトスクロールアクションゲームで、プレイヤーが猫のヒーロー「にゃっくす」となり、悪党を倒していく冒険が繰り広げられる。
プレイヤーの目的地や戦闘の難易度がリアルタイムで変化し、特定の場所や条件で新たなボスキャラや騎乗可能キャラが登場するなど、プレイごとに違った展開が待ち受けている。
これにより、単調になりがちなベルトスクロールアクションゲームに、奥ゆきと深みが生まれている。
『アストロコマンダー』
オオナミ社の名作グラディアスの影響を強く感じる正統派横スクロールシューティング。
5文字までの自然言語入力でオリジナルショットを作れる機能は楽しい。
しかし自機を操作すると燃料ゲージがすぐ減り、ゼロになると爆発するシステムで全て台無し。
2点。
◇◇◇◇
「ね、姉さん、大変詳しい解説ありがたいけど、何で最後のゲームの紹介の時だけ点数をつけたの?」
「なんとなくよ。確かオセアニアじゃあ常識だったと思うわ」
「オセアニア?ふーんそうなんだ」
「いやユリ、点数は、昔のゲーム雑誌のレビューコーナーのマネだよー!オセアニア云々は、去年の映画『パプリカ博士の暴走』のセリフを使ったミームネタだからねー!」
…また無意識にやってしまった。アウターネットでインターネットのノリ。でも界隈のネタを全て拾ってくれるアオイは結構ネット好きっぽいな。そして良い子。
「あーあの映画、グルメ映画だと思ってお姉ちゃんについて行ったのに、食べ方汚いし、みんなすぐ発狂するし、わっけ分からなかったよ」
ユリは、タイトルに食品の名前が入っているだけで、グルメ関係と誤認するようだ。
そして口のコイルが温まってきた私は、更に2段階程早口となり、このゲーム機の悲劇的なエンディングを伝える。
◇◇◇◇
しかし、「量子ボーイ」は発売から僅か数週間で、
「長時間プレイすると気分が悪くなる」
「グラフィックがたまにブレ、非常に目が疲れる。目の前が2重に見える事がある」
などのクレームが多発。
そして、そもそもこれは量子コンピュータとは全く別物であるとの調査報告がなされた事が引き金となり、販売が中止され、店頭在庫も全て回収されるという悲惨な末路を辿った。
その責任を取る形で、開発チームの主力だった、片品ファインマン氏は会社を追われる事となり、以降エポックビジョン社から家庭用ゲーム機が発売されることはなかった。
◇◇◇◇
私が話終わると、みんな無言だった。
そして真顔でこちらを見つめている。
──また、やっちまった。
ああ、大好きな方面の話になると私いっつもこうだ。
いっつも調子に乗って喋りすぎて周りをドン引きさせてしまう。
熱が入りすぎて周りが冷めて、一人になっている。
消えたい。去りたい。無になりたい。
そうだ私は貝になろう。
深い海の底に沈み沈黙しよう。
汚れちまった悲しみだけを食べて暮らそう。
それが良い、それが良いと太郎も花子も言いました
マル。
「姉さん。お疲れ様。すんごい!まるでスキャットマン・ジョンソンみたいだったよ!」
なぜか褒めてくれるユリ。
そして、瞳をキラキラさせたアオイは言う。
「いやー、凄いっす!感服したっす!博識具合にマジ惚れたっす!」
不意に飛び出たフリースタイル具合の、おどけた愛の告白にちょっと動揺し、挙動不審になる私を尻目に、ユリは量子ボーイの赤い本体を弄りながら不思議そうな顔で言った。
「そんな拘ったゲーム機なのに操作ボタンは十字キーとABボタン、それにスタートとセレクトボタンだけって、結構シンプルなんだね。拡張コネクタとかもないし」
その後、3人で『トキメキの与作』と『ゴールデンにゃっくす』をプレイ
本体内臓のミニゲームでも遊んだ。
中でも、「脳内ビュアー」というディスプレイをおでこに当てると、考えている事を読み取り、その結果を人の頭の形を模したグラフィック上に「金」「夢」「肉」「恋」「H」などの文字群を並べて表示するゲーム(?)は非常に面白かった。
この手の技術を使ったおもちゃは、以前よりこの会社が得意とする分野だが、これはそれらとは桁違いに良い線を突いてくるので侮れない。
◇◇◇◇
ユリがディスプレイをおでこに当てると、画面に現れたのは、
「食食食食食糖糖甘甘甘甘甘味」
「おお、ユリ…さすがに食欲旺盛だね‥」
とアオイが軽く笑う。
「うーーーーーーーー」
ユリが真顔でうめく。
「ユリどうしたの?」
私が聞くと
「この文字を見てたらさ、なんか、お腹空いてきちゃったよ」
そしてポケットに入れてあった、やや溶けたチョコ・バッターを食べ始める。
ユリの食欲は、僅かな文字群でも刺激可能なようだ。
そのユリが口に物を入れたまま喋る。
「これ、アホイもコレひゃってみてよ」
「オッケー!じゃあ、わたしもいっくよー!」
アオイがディスプレイをおでこに当てると、画面に現れたのは、
「恋恋恋恋恋乙女愛愛夢夢夢夢」
「おお、アオイちゃん…意外と恋愛モード全開だね!ぷっ‥しかも乙女って!あーはははは!あははは!」
ユリがお腹を抱え、チョコを付けた口で笑う。
アオイは顔を両手でおさえて、
「え、ちょっ、まっ!まあ、恋愛とか…夢見ることも大事でしょー!」と顔を赤らめながらモジモジと照れ笑いを浮かべている。
なにこの子、意外と可憐。
そして、最後に私の番が回ってきた。
冗談だと理解しているが、先ほどのアオイの告白が頭の中でループしていた私は、さっきから変な妄想を膨らませており、内心ヒヤヒヤしながらディスプレイをおでこに当てる。すると画面に現れたのは、
「HHHHH耳青青体体HHHHH」
アオイは驚きながら、私をじっと見つめる。私は顔がほてるのを感じた。
ユリはからかうように、
「きゃー!姉さん実は、アオイに夢中なんでしょ?」
と挑発的に言うと、アオイも驚いた顔をニヤリとモーフィングさせ、
「マリサ姉さん、私の体だけを狙ってるのかー?それとも他のこともかー?」
と体をクネクネさせつつ乗っかり茶化してくる。私は必死に否定する。
「べ、別に違うんだからね!これは…そう、最近鈍ってるから青空の下、体をちょっと超ハードに鍛えたいわね!うん!」
と耳をかきながら言い訳をしておいた。
──多分うまく誤魔化せただろう。
◇◇◇◇
「それじゃ、バイバーイ エッチなマリサさん。ユリ。また明日!」
「ま、またいらっしゃい」
「んー、じゃ明日学校で」
夕方になり、アオイは自分の家に帰っていった。
こんなに楽しかったのは久しぶりだ。
そしてアオイは消失した。