第01話 羊ガールの見る夢
初投稿です。小説の書き方の本を読んだので試しに書いてみたくなりました。
非常にアレな主人公は真人間になれるのか?三話目位から話が大きく動きます。
そこは灼熱の世界だった。
私は灼熱の世界に浮かんでいた。
空気がまるで生き物のようにうねり、地面はドロドロの溶岩の海となっている。
風はただの風ではない。焼けつくような熱風が絶え間なく吹き、最初は何も感じなかったが、徐々に肌を焦がすような熱を感じ始めた。
普段は大半がスリープ状態の私のシナプス達が、今は電光石火で働き、ここに留まった場合の結果を瞬時に算出する。
伝わる熱は更に強まる。
熱は更に強まる。
ここに居たらヤバイ!ヤバイ!ヤバイ!
◇◇◇◇
某動画投稿サイトが立ち上がり2年、初音ミクが発売されて半年、界隈はまだほんのサブカルチャーだった。そんな2008年2月某日
「嬬恋マリサ。あなたはクビよ」
店長の冷たい声が響いた。
「……は?」
私は畳んでいたセーターを落としそうになった。
「お客様の財布がなくなった件、あなたのシフト中だったわよね?」
「え、それって……私が盗ったってことですか?」
「さあね。それはあなたの胸に聞いてみなさい。ともかく問題が起きた以上、お店の信用を守るために何かすぐに対応しなきゃいけないの。分かるでしょ?だから、今日でバイトは終わりね」
昨晩遅くまでゲームをしていたせいか、なんだか現実感が希薄で、店長がバグったか?などと思ったけれど、その顔が私の視界いっぱいに表示された瞬間どうやら正常に稼働しているらしいと気づいた。
私は地方都市の名もなき大学に通う1年生で、今は2カ月もある春休みの真っ只中。色々思う所もあり新学期からイメチェンしてやろうなどと考えスタッフ割引のある、ちょっとおしゃれなアパレルショップでバイトをしていた。でもまさかの、
《嬬恋マリサは、たった一週間で失業してしまった!》
──いやいやいや、ちょっと待ってよ。私、何もしてないんだけど!?
でも、どうやら私の”ゲームオーバー”は確定事項らしく、反論する余地もなかった。
──時給も微妙だったし、別に問題ないけど。
強がりつつ、少し気持ちがデバフ状態のまま、クエスト終了で帰宅した。
◇◇◇◇
それから数日後。
昼過ぎ、私は居間のソファーに寝転びダラダラしていた。
メールの受信音が鳴る。
差出人は、バイト先で仲が良かったネズちゃん。
《マリサ、大変!! 例の財布の件、社員のヤガミさんがやったみたいだよ!昨日の夜、閉店で上がったあと、忘れ物に気付いてお店に戻った時、偶然聞いちゃった》
私は一瞬、意味が飲み込めなかった。
《なんでも、こないだ防犯カメラを確認したら、試着室の近くでヤガミさんが財布を拾って、そのままバックヤードに持って行く映像が残ってたんだって》
──ほおら、やっぱり私は関係なかったじゃん
……なのに、なんで私はクビになったの?
放心していると再びメール受信。
《でもね、ヤガミさんって店長とめっちゃ仲良かったでしょ? だからだと思うんだけど、映像は上書きで消して証拠隠滅。ヤガミさんはお咎めなしにしたらしいよ》
……は???
私は勢いよく立ち上がったが、足がしびれており、そのまま前のめりに崩れ落ちた。
《マリサがクビになったのに、あの人は普通に働いてるとかヤバくない? 店長から何か言われた?》
──言われてませんけど!!!
真犯人はお咎めなしで、事件もなかったことにして、私だけがクビってこと?
携帯を強く握る。あー、これは完全にPvPで負けたやつ。めっちゃ悔しい。
でも、もう試合終了のホイッスルは鳴っている。今さら再戦を申し込む気もないし、仮に店長に文句を言っても、敗北確定イベント発生。
──通勤時間も長かったし、別に問題ないけど。
そうやって自分に強がりバフをかける。
私はため息をつき、「ちぇ」とできない舌打ちをして、携帯をパタンと閉じた。
そんな訳で、
「大学ないし、お金も無いし
人間不信で、外も怖いし
夜は何だか寝付き悪いし」
そんな感じに、事件以降すっかり無気力化してしまった自分を、この動画投稿サイト「ニカニカ動画」でかわいい猫の動画を観賞する事で癒していた。
「よし、今度は別の動物系動画も開拓しよう」
私は、同系統の動画を探す事のできる「タグ機能」を使い、「動物タグ」の動画を巡っていた。
そして、この「ムチムチ・シープ・レスリング」と出会ってしまったのだ。
◇◇◇◇
「ムチムチ・シープ・レスリング」は、迷える子羊という設定の自称妖精さんたちが、羊のコスプレ姿で、くんずほぐれつ本格的(?)なレスリングをする、格調の高い健康系動画だ。
独特な掛け声や、中性的な美貌、そして奇抜な必殺技がネット民にウケ、やがてミーム化していった。それを切り貼りして作った、いわゆるMAD動画も無数に投稿されている。
バッチン!バッチン!メ”ー!!、メ”ー!!
パチチチペチチチ!メ”ー!!、メ”ー!!
PCを接続した居間のテレビには、美しい妖精さんたちが、あんな事やこんな事をする映像の、つぎはぎ動画が流れている。
この、脳が溶けるような下らなさ。
求めずにただただ感じる、無駄な快楽。
故に、考えず心で見る事ができ、ささくれ立った心のお肌をケミカルピーリング的に多少マシにしてくれるような気がする。という人もいるんです。多分。
「やれやれ、こんな世界もう滅べば良いのに」
そんな日々の中、すっかりやさぐれた気分に仕上がった私は、ビキビキとデカビタDの蓋を開け、クイッとあおった後、目をぎゅっとつぶり、
「うぇーい、五臓六腑に染み渡るわー」
そんなベテランのオッサンのようなセリフを吐いていた。
そして、我が家で鍋敷代わりに使われている父親の本、『わりと楽になる!社畜入門』の上にトン!とデカビタを置くと、また動画をボーっと眺めはじめる。すると、
「ただいまー!」
玄関の扉が勢いよく開く音がし、妹の嬬恋ユリの声がした。
「おかえりー」
居間のソファーに寝転がりながら、適当に返事をする。
セーラー服姿の彼女は手に、まんじゅう屋の紙袋を持ち、のそのそと居間に入ってきた。
もごもごと口を動かしながら、カバンを置く。
私がソファーにスペースを開けると、そこにドカッと腰を下ろす。
「あー疲れたー。やっぱ部活の後の甘い物は最こ……」
そこまで言いかけたところで、ユリの動きが止まった。
「…………」
彼女は私が見ていた画面を凝視している。
その視線の先には、羊の角を生やした色艶の良い妖精さんたちが、有名ゲームのBGMに合わせて伸びやかな声を上げながら背中のつぼを押し合う哲学的な映像。
そしてシーンが切り替わった。
妖精さんは、お約束の健康的キメポーズで長い羊耳を揺らしながら、まるで宇宙の真理でも悟ったような声で何かつぶやいた。
──歪み…マナ…けっこうすぐ…だね…
次の瞬間──
「おねーちゃん‥」
ユリのピンク色の髪が怒りで逆立ち、整った顔がみるみる悪鬼の形相へと変わっていく。
ローテーブルの上からは紙袋がハラリと床に落ちる。
そして、ユリは私を睨みつけ、怒りの声を叩きつけた。
「マリサ姉!二度と昼間から居間のテレビで頭のおかしい映像流さないでって言ったよね!?」
もっともで、まっとうで、道徳的で、反論の余地はない。
だがしかし、少しやさぐれていると同時に、退屈していた私は、不意にテーブルの上に置かれた、今はコースター代わりの『社畜入門』の一節である説得術を思い出し、この怒った顔もかわいい妹相手に試してみようと思った。
《説得の時は、みんな一緒だよとか、その理由とか、相手がトクするポイントとか、そんな言葉を混ぜ込んでみよう!うまくいくことが増えるかも?》
そして私は、黒髪をかきあげながら、ゆったりとした口調を作り言った。
「この動画、今凄く流行ってるし、楽しい気分になれるわ。ユリも一緒に大画面で見ましょう」
「そんなの楽しくないし見たくない!」
ユリは無慈悲に即答するとテレビのリモコンを素早く奪い取る。
「あー!!」と私が叫ぶ。
四分音符一個分遅れ、テレビの中で哀れな小羊が
「あ”ー!!」と幻想的に叫ぶ。
その健康のイデアは叫び終わる前にかき消え、代わりにニュースのオープニングミュージックの最後の部分である、
「ジャーン!」という音が響いた。
ユリがテレビの信号入力をPCから地上波VHF放送へと切り替えたのだ。
失敗した。失敗した。そして、あの本には、「まず、相手の立場や、こうして欲しい、を考えてみよう!」とも書いてあったな、と思い出し、ほんの少しだけ反省した。
◇◇◇◇
居間のテレビにはニュースが流れている。
「はい、ただいまお伝えしているのは、先ほどNASAから発表された、小惑星2008-XR4についての最新情報です」
画面には黒い宇宙空間を背景に、凹凸の激しい天体の姿が映し出されている。
スタジオのアナウンサーは、感情を交えず静かに言葉を紡いでいた。
私は長い黒髪の毛先を指に巻き付け、離し、復元力で爆発させつつ言った。
「またなのー?もう一週間くらい同じニュースやってる気がするのだけど?」
心配性の妹のユリは、真剣な表情で画面に釘付けになっており、アナウンサーは続ける。
「NASAによりますと、この小惑星の直径は400Kmもあり、仮に地球に衝突すると、人類滅亡は避けられないとのことです。」
ユリが私の袖をつまむ。
「しかし、軌道計算の結果、衝突確率は僅か1%程度、地球への最接近は約半年後とされています」
後半だけ不自然な程、穏やかな声色を作ったアナウンサーの背後では、地球と小惑星に関する軌道のシミレーション映像が表示されている。
このアナウンサーの深く落ち着いた声は、結構イケボで悪くないかも、と思った。しかし最近、羊ガール等の発する、ゆんゆんとした毒電波により、すっかり動画サイト中毒気味の私は、
「お客さん!!隕石のライフはもう1%よ!早くリモコンを返さないと間に合わなくなってしまうぞ!」
そんな、やんやんとした言動をリアルで発しつつリモコンを取り返そうと手を伸ばす。
しかしユリは、それを「ハシッ!」と軽々と払いのけた。
訓練された鮮やかな動きだった。伊達に格闘ゲーム好きが高じて空手部に入った玉じゃないな。
私は何だか面白くなり、じゃれつくように執拗にリモコンを奪い取ろうとするが、ユリは難なく居間の貞操を死守し続けた。
そして、その体の動きにつられ、若干ラップのようになりながら言った。
「1%なんて言っても、気になるよ、
100回に1回、それでも怖いよ、
お姉ちゃん、なんでそんなに無頓着?
私の心配、どうして分かんない?」
私をディスるライムと平行してガードも続けるユリ。
「ハシッ!」
「ハシッ!」
「ピンポーン!」
その時、呼び鈴が鳴った。
「誰だろう?」ユリがすぐにリモコンを持ったままパタパタと玄関の方に歩いていく。
そしてガチャリと扉を開ける音がした。
◇◇◇◇
玄関でユリと話しているのは、ユリの親友の上野村アオイのようだ。
上野村アオイはユリの同級生であり、少々ガサツで騒がしいが、明るく真っ直ぐで非常に良い子だ。
そして、その水色がかった髪の隙間からのぞく耳の形がすごくかわいい。
私はユリにリモコンを持っていかれてしまったものの、テレビの本体の入力スイッチを直接操作してムチムチ動画に切り替える事は可能だ。
だが、こんな私にも妹の親友に、羊世界からの転移者さんが奏でる、バネ感のある幽玄のアリアを聞かせてはマズイと理解する程度の分別はある。
居間のテレビは、アメリカの金融問題のニュースに移ったが、さして興味はなく、手持無沙汰でアオイとユリの会話を聞いていた。
「ユリー!」
「アオイ…。…急にどうしたの?」
「ちょっと凄い物手に入れたから持ってきたー!」
「え、美味しいお菓子とか?」
その質問を聞き流して、ガサガサとビニール袋の音をさせながら言うアオイ。
「これ、すごくない?『量子ボーイ』っていう、超レアなレトロゲーム機だよー!」
ドタタ!ドタタタ!バン!
「量子ボーイ」その単語を聞いた私はすぐに居間から、玄関へと駆けつけた。