最初の一歩
長野県に着いた亜子は元気いっぱいはしゃいだ。祖母の作った昼の食事もいつも以上に食べた。しかし日が暮れていくと亜子の元気もしぼみんだ。夜になると明日から駄菓子屋の店番をすることに、急に不安になった亜子。その夜小6以来おさまっていたパニック症候群を再発させた。
長野の朝は東京に比べて寒い。とぎすまされ透き通った空気が全身のわたしをいやしてくれた。
窓から見上げた空はどこまでもスカイブルーだ。この空が東京まで続いていると思うと東京に帰りたい。
わたしは大きい絶望感の詰まるため息を吐きながら、いつからこんなに、おびえてできない人になったのか考えた。 そのせいかクラスでも目立たぬように息をひそめるように生活を繰り返すようになった。
変わりたいと毎日考えるけど答えなど出ない。だから結論も、いつもそこでやめた。
昨日のパニック症候群は今日はおさまっていた。久しぶりの発作だ。心が負のベクトルに動くと、なにかが沸々と顔をだそうとする。パニック症候群と言われるが、ホントはそうじゃない。上手く言えないけど••••••。
この胸にこびりついたモヤモヤ感は大人になる人生の修行なんだ。そう考え開きなおるしかなかった。
だからこんな状態でも駄菓子屋の店番をするのがおばあちゃんとの約束だ。今日からおばあちゃんは入院だ。ママとおばあちゃんは朝早くから大学病院に行ってしまった。この家にはわたしひとりだ。
わたしは困るたび親友の波留に助けてもらう。
わたしと違っていつも笑顔で、名前がはるらしく朗らかで明るい性格だ。こんなわたしを中学時代から見離さずに親友でいてくれる。そんな波留に昨日何度もLINEを送った。 その度メールを返信してくれた。波留の言葉を読み返し勇気づけられ、まずは店の扉を全開にした。(開いてれば誰でも気軽に入れるから)おばあちゃんのポリシーらしい。入口に、のれんをかけた。店の名前『げんき』が目に入った。わたしも元気出してとわたしに気合いを入れた。
店内を見渡した。教室の半分ほどの店には駄菓子がズラリと並んでいる。わたしが好きだった十円のヨーグルも今や二十円だ。わたしは簡単に商品をきれいに並べなおした。
「あれっ、おばあちゃんは?」
さっそく子連れの親子がお客だった。
「今日からしばらくわたしが店番をすることになりました」
「もしかしてお孫さん?」
子連れのお父さんが聞いてきた。
「はい。孫の亜子です」
「おばあちゃんから聞いてたよ。ぼくは、この先にある住宅街に住む安井です」
そんな自己紹介までするってちょっとキモかった。
「多分店に来る客は、みんな亜子さんが店番すること知ってるよ」
内心わたしは、おばあちゃんにむかついた。全くの他人にベラベラとしゃべる神経が信じられない。
「よろしくです」
それでも内心のわたしと違って顔だけは笑顔だ。けどこわばっているのが自分でもわかる。
来店客は、わたしが想像以上に小学校生から老人まで幅広い客層がやって来た。
夕日が山に長い影で店内を赤く染めた。ひとまず無事に今日が終わった。正の字で書いた人数は四十人だ。しかもコンスタントに店に来店者がやって来た。
暇さえあれば、今日だけで波留にLINEをした数は、なんと百回だった。わたしはこんなに波留に頼っていたのかと恐ろしくなった。
ふとスマホを打つ親指が見えた。わたしは無意識に爪をかんでいた。爪はなく指先はボロボロだった。わたしはストレスがたまるとするくせだ。
わたしは通路奥の片隅にピアノを見つけた。紛れもなくわたしのだ。小学五年生まで弾いていたピアノだ。急にわたしはピアノをやめ、ママがおばあちゃん家に送ったのだ。すっかりピアノのことを忘れていた。そうだ、わたしは低学年の頃このピアノに夢中でピアニストになりたかったのだ。 わたしはホコリだらけのカバーを上げて鍵盤をたたいた。 滑らかに指が動き、なんだか気持ちいい。わたしは六年ぶりにピアノを弾いた。
「亜子、久しぶりに弾くのに上手だね」
「ママ、お帰り」
当然だけど、おばちゃんの姿はなかった。
「頑張って店番してくれたわね」
わたしのつけた正の字をママは数えていた。
「四十人もお客さん来たのね」
「うん。おばあちゃん大丈夫なの?」
「大丈夫。検査するだけよ。ご飯にしましょう」
ママは、それ以上何も語らなかった。
ワタシは夕食後、ピアノをまた弾いた。ピアノを弾くことで頭が空っぽになり、全てを置き去りにできるからだ。まるで何事もなく氷がゆっくり液体へと変わるように溶かされていく音色の世界にわたしはいた。
パニック症候群を再発させてから、亜子は自分に向ける気持ちが敏感にキャッチするようになる。
またピアノを弾くことで新たな自分を奏る。その新たな導きが気づかなかった感情を揺さぶられていく。
今週も閲覧していただきありがとうございます。
亜子も右往左往しながらでも前に進もうとしてます。