7話・初めて会った場所
「これは、まさか」
目の前に落ちた薄い本は、俺が十年前に初めて発行した小説の個人誌だった。僅か数十部しか刷っていない、通販もしていない一次創作の小説本だ。未だに所持しているのは作者である自分くらいだと思っていたが、まさかサクラちゃんの部屋で見つけるとは。
「実は、オレたち今日が初対面じゃないんです」
サクラちゃんは床に落ちた本をそっと拾い上げ、表紙を撫でた。大事なものを扱うように、優しく。
「十年前、文芸イベントの会場で会ったことがあるんですよ」
十年前って、サクラちゃん十歳くらいか。そういや親子連れのお客さんが本を買ってくれたな、と思い出す。あの時の少年が、サクラちゃん?
「母さんが一次創作が好きで、オレはたまたま付いていったんです。会場でこの表紙に一目惚れして、お小遣いで買いました」
表紙に使われている画像は俺が撮った風景写真を加工したもの。実家の近くにある桜並木。裏表紙は満開の桜の枝を近くから写したものだ。
そういえば、これって……
「オレのアイコンは裏表紙の桜です」
「えっ、マジで?」
あまりの衝撃に、さっきまでの怒りや悲しい気持ちがどっかに吹き飛んでしまった。
毎日SNSで見ていたのに、サクラちゃんのアイコンが俺の同人誌の裏表紙から取った画像だとは気付かなかった。それくらい昔の作品だからだ。
「買った当時のオレには難しくて、書いてある内容はほとんど理解出来ませんでした」
漢字にルビ振ってないから小学生には読めなかっただろうな。あの頃は小難しい漢字ばかり好んで使っていたから尚更だ。
「成長するにつれてだんだん分かるようになって。高校の時に読み返して、ようやく意味が理解できて、すごく泣きました」
この本には桜の季節にまつわる短編がいくつか収録されている。出会いや別れをテーマにしたものだ。十年前の作品は表現力が無さ過ぎて恥ずかしいけれど『何かを伝えたい』という熱量だけはある。小手先だけの綺麗な言い回しを覚えた今では逆に書けない。
「作者の人に感想を伝えたいと思い立って近場でやってる文芸イベントに行ってみたけど、全然見つけられなくて」
それはそうだろう。その頃、俺は就職して地元から出ている。文芸イベント自体、片手で数える程度しか参加していなかった。
「高校生になってスマホを持つようになってから小説投稿サイトでキタセさんの名前を見つけて、すっごく嬉しくて」
俺のPNは当時から変わっていない。本名を少しもじっただけ。たいして珍しくもないPNなのに、よく俺だと特定できたものだ。
「新しい作品がいっぱい公開されてて、サイトのリンクからSNSも見つけて、すぐにアカウント作ってフォローしました。でも、いきなり何年も前の作品の話を始めたら驚かれるかと思って、徐々に交流していったんです」
知らなかった。作品がきっかけで追い掛けてきてくれる読者がいるなんて思いもよらなかった。