毒婦のお仕事.3
夕方の更新です
「えっ、マリアドール嬢の婚約者だって!?」
コバルト子爵が、マリアドールとジェルフを交互に見る。
焦るマリアドールの隣で、ジェルフは余裕の笑みを浮かべているも、コバルト子爵を牽制するかのように目が鋭い。
しかし。
「そ、そうか。それは良かった! 本当に良かった。いや、私達のような男のせいでマリアドール嬢が結婚できなかったらと、心配していたんだよ。それが、英雄のスタンレー公爵と。あぁ、こんなめでたい話はない」
涙ぐむコバルト子爵は、ジェルフの手を固く握りぶんぶんと上下に振るではないか。
婚約者と一夜を過ごしたかも知れない男を睨んだら、泣きながら祝福されたのだ。精悍な顔が唖然としている。
挙句に感極まったコバルト子爵が饒舌になる。
「この絵は二十年前に亡くなった妻を、二年前にマリアドール嬢が描いてくれたものなんだ。本当にうまく描けていてね。会ったことがないのに、ここまで本物そっくりにかけるなんて彼女の能力は……」
「コバルト様! その話は。ここには多くの騎士もいます」
「おっとすまない。内緒にする約束だったな。でも、これだけは言わせてくれ。世間で言われているマリアドール嬢の噂は嘘だ。私が証言する。確かに私はマリアドール嬢と一晩一緒にいたが、妻にやましいことは何もしていない。ま、知っての通り手は握ったがそれだけだ」
マリアドールは「はぁ」と痛む頭を振り、眉間を指で押さえた。
何も知らないジェルフの前で、でかい爆弾を落としてくれたものだ。
(コバルト様はよい人なのだけれど、感情が昂ったりお酒を飲むと、後先考えず話し出すのよね。私のこともあれほど秘密にするよう頼んだのに)
今までも、深酒してついうっかりなんてあったかもしれない。
酒を飲むと話し上戸になるのは本人も分かっているので、飲む量を控えていると聞いていて安心していたが、それも怪しいものだ。
(さっき、盗人の従者と飲んだって言っていたわよね)
よりによって、と思わなくもないけれど、その話を信じる人のほうが少ないだろう。
酔った男の戯言だと聞き流してくれていることを願いつつ、それよりも今は目の前のこの状況だと頭を切り替える。
ジェルフはきっと怪訝な顔をしているだろう、と目をやれば、意外なことにその表情が柔らかい。
薄い唇が緩く弧を描いていた。
「俺もあの噂はおかしいと思っていた。マリアドールは、世間で噂されているような女性ではありません」
「そうだとも! さすがよく分かっておられる」
コバルト子爵は今度はジェルフの腕をバシリと叩いた。
(コバルト様! 相手は公爵様ですよ!!)
あわあわ、おろおろするマリアドールを、ジェルフが大丈夫だと手で制する。
コバルト子爵はハンカチを取り出し、涙を拭いてチンと鼻まで噛んでいた。一枚では足りないようでジェルフが自分のハンカチを渡している。
本当の意味で会話はかみ合っていないのに、息があっているから不思議だ。
しかも、ジェルフは心の底から「毒婦ではない」と言っているように見える。
(まさか、本当に私のことを信じてくれている……なんてことはないわよね。お優しいから話を合わせてくださっているのでしょう。演技が上手すぎるわ)
昨日会ったばかりの毒婦を信じる理由なんてどこにもない。それなのに、ジェルフの表情はなんだか確信めいて見える。
そのジェルフがマリアドールの持っている布包みとボストンバッグに目を止めた。
「ところでマリアドール、その包みは?」
「あぁ、これですか。コバルト様に買い取って頂こうと思って持って来た宝石と絵です」
「買い取ってもらうだと?」
「ええ、でも今日はそれどころではございませんので出直します」
淡々と述べるマリアドールが布包みを手にしようとすると、それより早くコバルト子爵が手を伸ばした。
「中を拝見してもいいか」
「もちろんですが、後日出直しますよ?」
遠慮がちなマリアドールに対し、コバルト子爵は硬い表情で包みを解いた。
そして中身を見た途端、大きく息を吐き幾分か眉を吊り上げた。
「これはお父様の形見じゃないか? どうして売ろうなんて。……もしかして、そっちのボストンバッグもか?」
「はい、ジーランド男爵家に代々伝わる宝石です。お恥ずかしい話ですが、お金が必要なんです」
マリアドールの父は、偽名を使っていたが有名な画家だった。
ドロリー宝石店は、あまり知られていないけれど有名絵画の買取もしている。今までにも何枚か買い取って貰っていて、その際、父親が偽名で画家をしていたことは伝えていた。
描かれているのは、マリアドールを真ん中にジーランド夫妻が庭で座っている姿。柔らかな木漏れ日と、背景の花から季節は春のようだ。
コバルト子爵は硬い声で「ダメだ」と首を振った。
「これは買い取れない。その代わりお金を貸そう。大した額は貸せないが、知り合いにも頼んで……」
「その必要はない。マリアドール、絵をしまって」
ジェルフは言葉を遮ると、近くにいた騎士に歩みより何やら伝えるとまた戻ってきた。
そのまま、絵が入った布包みと鞄を手にする。
「コバルト殿、もうすぐ第三騎士団長がくる。俺は彼が来るまでの間、臨時でここの指揮を頼まれたが、必要な指示は全て出した。これで帰らせてもらうが、引継ぎはしているので心配ない」
「分かりました。それで、絵はどれぐらいで戻ってくるのでしょうか」
「騎士団長の判断に任せることになるが、できるだけ早く手元に戻せるよう頼んでおこう。では、失礼する」
ジェルフは騎士らしく姿勢を正すと、くるりと踵を返しドロリー宝石店を出ていった。
マリアドールも礼をし、慌ててその後を追う。
「ジェルフ様、現場を離れてよいのですか?」
「もともとこれは俺の仕事じゃない。第三騎士団長が他の事件で不在だったから、手の空いている教育係の俺が来ることになっただけだ」
「確か、街の警邏を担当しているのが第三騎士団ですよね」
「そうだ。貴族の家に泥棒が入ったとなれば、それなりに階級の高い人間が現場に居なくてはいけない決まりでね。俺はこんな足でもう現役ではないが、階級だけは高いんだよ。ところで、ここにはどうやって来た?」
「馬車を借りました。近くの公園に止めています」
ジェルフは当然ながら他の騎士と一緒に馬でやってきた。ジェルフの馬は、誰かが連れて城に帰るだろう。
「では、俺もその馬車に乗せてくれ」
「行き先はお城でよいですか?」
「いいや、我が公爵家へ。マリアドール、君とゆっくり話がしたい」
やはりそうなるか、とマリアドールが息を吐く。
あんな会話を聞いて、気にするなという方が無理だろう。
(問題はどこまで話すかよね)
先を行く広い背中を見ながら、痛む頭を押さえた。
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