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図書館.4


  ずずっ、とマリアドールは座ったまま後ずさりをする。しかし、ハルメンはすぐにその距離を詰めると、目線を合わせるようにしゃがんだ。


「それ、こっちに渡してくれますか?」

「……あなたがカルナ妃殿下を殺したの?」


 マリアドールの膝から滑り落ちた日記を、ハルメンはちらりと見ると「そんなことまで書いてあったんだ」と鼻で笑った。


「カルナ妃は、最後まであなたを信じようとしていたわ。それを!!」

「どうして裏切ったかって? 俺の思惑から逸れてしまったからですよ」

「……デニス殿下を殺めるようあなたに命令したのは国王陛下? 命令に従うしかなかったの? それとも……」

「ははは、面白いですね。同じ質問をカルナもしました。それとも、そこまで書いて……いや、それは無理か。そう言ったあと、カルナはすぐに死んだものな。そんなところまでマリアドール様はカルナそっくりですね」


 ハルメンはしゃがんだまま剣を抜くと、刃をピタリとマリアドールの首筋に当てた。


「俺の母は平民でね。貧しさに耐え兼ね、俺を父親のいるラミレス子爵家の前に捨て失踪したんだ。さすがにそのままにしておくわけにはいかなかったんだろう、父は俺を男爵家の四男として迎え入れたけれど、実際は下働き同然の扱いだった。兄達には剣の稽古だといって毎日、模造刀でしごかれ身体はあざだらけ。俺はね、あいつらを見返したいんだよ」

「……国王陛下に命じられやむを得なくしたのではなく、地位を得るために自ら進んで悪事に手を出したということ?」


 踵で床を押すようにして数センチ背後に動いて距離をとっても、ハルメンは腕を伸ばすだけであっけなくその間を詰めた。

 薄明りの下、ニヤリと笑う顔に背筋がぞっとする。


「話しが早いね。そうだよ。兄達のおかげで剣の腕は上がり、運よく国王陛下の護衛騎士になれた。そのあとは自分を売ったよ。汚れ仕事でもなんでもする、とね」

「そして頼まれたのがデニス殿下の暗殺。その見返りは……ラミレス子爵家の当主かしら」

「ははは! カルナより俺のことが分かってるじゃないか。あいつは最後まで俺が国王の命令に背けないと思っていたからな」


 ハルメンはマリアドールから視線を逸らすことなく左手を伸ばすと、床に転がったままの小瓶を摘まみ、マリアドールの前でこれみよがしに振った。


「カルナ妃殿下にデニス殿下の暗殺を断られたあなたは、彼女の口を噤ませるため毒を盛った」

「そうだよ。侍女に紅茶を持ってこさせると疑うことなく口にした。あとは苦しむ彼女の声を聞いて部屋に入ってきた護衛騎士を、扉の陰から不意打ちにするだけだ」

「カルナ妃直筆の遺書は? それがあったから、心中だとみなされたのでしょう」

「マリアドール、君は絵が上手なんだってね。人にはなんでも特技があるものなんだよ。たとえば、文字を真似るのがうまい、とかね」


 悪事に手を染めるハルメンに欠片ほどの良心が残っていることを信じて、カルナは紅茶を飲んだ。その一方で自分が殺される可能性があることを知っていたからこそ、日記と毒を隠したのだ。

 

(相反する二つの気持ちのなか、それでもカルナ妃殿下は王弟妃として正しくあろうともがいていたに違いないわ)


 真相は分かった。あとはどうやってこの場から逃げるか、だ。

 ひとつだけある入り口の扉はハルメンの背後で、両側を本棚に囲まれた狭い状態で横をすり抜けるのは不可能ではないけれど難しい。 

 悲鳴をあげれば、と考えるも、あの分厚い扉はマリアドールの声を外へ漏らさないだろう。

 どうすれば、と冷や汗が額から滑り落ちた。


(……ちょっと待って、入り口はひとつ。しかもそこには司書官がいるわ)


 司書官はマリアドールがこの部屋に入ったのを知っているし、それはハルメンについてもだ。

 たとえば、ここでマリアドールが死んだら一番に疑われるのはハルメン。

 もし、ハルメンが司書官を買収していたとしても、扉の外の図書館には幾人もの文官がいた。彼らもマリアドールとハルメンの姿を見ているに違いない。


(つまり、今、この場で殺されることはない。それなら、外へ出た瞬間に助けを呼ぶことだって可能だわ)


 そう考えると、ちょっと気持ちに余裕が出てきた。

 張り詰めていた気持ちを身体の外に出すように、ふぅと息を吐く。


「随分余裕だね。もしかしてこの場で殺されないと思っている? ここから誰にも見つかることなく、マリアドールを外へ連れ出すことも可能なんだよ。だからこそ、貴女がここへ来るように仕向けたんだから」

「仕向けた?」


 その言葉にアーリアの顔が浮かんだ。ハルメンに心を寄せていた侍女。そしてハルメンはそんな乙女心をいつも利用してきた。


「アーリアのこと?」

「もちろん」

「それじゃ、あの許可証は? レイモンド王太子殿下のサインがしてあ……」


 そこまで言って、マリアドールは言葉をとぎらせた。ハルメンは、カルナの遺書を偽造したのだ。人の文字を真似るのが上手な知り合いがいるのなら、許可証の偽造だって可能。


「今、気がついたか。あいつから、お前が亡くなった妻の夢を見せることができると聞いた時は驚いた。なぁ、教えてくれよ。どんな夢を見たんだい?」

「あなたに話すことはなにもないわ」

「そうか。でも、お前が生きていれば真実に近づく恐れがある。だからここに呼ぶようアーリアに命じたんだ」


 それがなぜ王族専用の部屋なのか。それがマリアドールには分からない。

 ここは密室で外には人の目があるのだから、あきらかにハルメンに不利なはずだ。


 それなのに、目の前にいるハルメンは余裕の笑みを浮かべている。

 もう、マリアドールに逃げ場がないのが分かっているからこそ、こんなに長く話しているのだ。


「あなたは許可証を偽造してこの部屋に入った。そして何者かに殺される。遺体はここに置いておくか、運び出すのは面倒だしな。犯人は不明、決して俺には辿り着かない」


 さてと、とハルメンは立ち上がると、冷酷な視線でマリアドールを見下ろした。


「英雄ジェルフが惚れただけあって、美しいな。殺すのが少々おしいが、すべて知ってしまったんだから仕方ない」


 このまま黙ってやられるほど、マリアドールは諦めが良くない。最後までもがいてやろうと床を手で探れば、中身を切り抜いた革表紙の本が指先に当たった。

 それを掴み思いっきりハルメンの顔目掛け投げる。


まさか反撃するとは思っていなかったのだろう。みごと本の角がハルメンの鼻に当たった。ハルメンの手から毒の入った瓶が転がり落ちる。


マリアドールはそれを掴むと、ハルメンが怯んでいる間に扉へと向かって走っていく。

 でも、ハルメンの横を通り過ぎた瞬間、うぐっと腹に重い衝撃と痛みが走り、マリアドールはその場に崩れ落ちた。


「やれやれ、往生際が悪いな」

「あなたがこの部屋に入ってきたのを見た人が何人もいるはずよ。今、ここで私を殺しても、逃げ切れないわ」

「ははは。そんなことか。だからさっきから何度も言っているだろう。あなたをここで殺しても、俺は絶対に捕まらないと」


 ハルメンは高笑いとともに、剣をまっすぐ床に突き刺した。

 ザクッという鈍い音がし、マリアドールの足を掠めるようにして降ろされた剣がスカートを絨毯に縫い止めた。

 スカートを引っ張るも、深く突き刺さった剣が邪魔で、立ち上がることができない。


「なぜなら、俺がこの部屋に入るのを見た者は誰もいないからだ」

「まさか! そんなこと!!」

「そのまさかだ。だからこそ、俺はこの部屋を選んだんだよ」


 ハルメンの手がマリアドールの細い首に回された。指先が喉に食い込みマリアドールの喉からウグッと苦しそうな声が漏れる。


 さらに指が食い込み、口をハクハクさせるも空気が肺に入ってこない。

 必死でその腕をふりほどこうと掴みもがくも、マリアドールの力では騎士の腕はぴくりともしない。

 腕がダメならと、今度はハルメンの指を引きはがすべく爪をたてる。


「細いな。もう少し力を入れれば折ることもできそうだ」


 必死なマリアドールに対し、ハルメンはまだ余裕がある。ニタリと笑う顔はこの状況を楽しんでいるようにも見えた。


(苦しい。息ができない)


 目の前が霞んできて、頭の芯がぼんやりとしてくる。


(ジェルフ様! 助けて)


 叫びたいのに、声が出ない。でも、マリアドールは何度もその名を繰り返す。

 唇が震えるほどしか動かなくても、何度も何度もジェルフの名を呼んだ。

 だけれど、意識はどんどん遠のいていき……

 もうダメだ。そう思ったとき、ガタンと大きく何が倒れる音がした。



次回はもちろん、彼の登場。さて、どこから来たのか…。

お読み頂きありがとうございます。興味を持って下さった方、是非ブックマークお願いします!

☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。

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