ブレスレット.1
今日はちょっと長め
ジェルフが再びデニスと会った次の日。
マリアドールは相変わらずキャンバスに向き合っていた。
描いているのはカルナの肖像画。本当はもっと大きなキャンバスに描きたかったのだけれど、時間がないので十号サイズを選んだ。
肖像画だと油絵のほうが好きだけれど、これまた時間の関係で水彩画に。
そのおかげか絵は順調に描き進み、あと僅かで完成する。
(これなら、もう一回り大きなサイズにしても良かったわね)
侍女として来ているのに、それらしい仕事がまったくないのはどういうことだろう。
来たばかりのころはこっそり掃除をしてみたり、料理人の手伝いをしたのだけれど、最近はそれも止められるようになってしまった。
原因として考えられるのはひとつ。
「ジェルフ様がやたらに私を甘やかすからよっ」
ピーターソン商会からの帰り道、ジェルフはなぜか突然マリアドールのことを「マリア」と呼ぶようになった。
蜂蜜をとかしたような顔でそう囁かれ、思わずキョトンとしてしまったけれど、特に呼び名にこだわりはないし、まぁいいかと頷いたのがいけなかったのだろう。それ以降、誰の前でも「マリア」と呼ばれている。
そのたびに、周りはギョッと驚き、見てはいけないものを見たかのように視線をそらす。
生ぬるい視線にも耐えられないけれど、気まずさから見て見ぬふりをされるのはもっと困る。
コルタウス国側の手配できたメイドや料理長も、遅ればせながらマリアドールとジェルフの関係に気がつき、英雄ジェルフの婚約者に掃除をさせれないと箒を奪われ、台所に入るのは禁止となった。
「マリアドールさん、メルフィー王女殿下がお呼びです」
そんなことで頭がいっぱいになっていたからだろうか、ノックの音に気づいたときには少しだけ扉が開いていた。
「アーリアさん。ごめんなさい、気づかなかったわ」
急いで、絵を描くときにいつも身に着けるエプロンを外し、お仕着せのエプロンを手にする。しかし、身支度に気を取られたせいか、絵に幕を描けるのを忘れていた。
「あ、あの。この絵、マリアドールさんが描いたのですか?」
「えっ。あっ、それは……」
慌てるマリアドールをよそに、アーリアは部屋に入って来ると、腰をややかがめ絵をじっと見る。
(まずい。隠しそびれてしまったわ)
ひたり、と汗が背中を流れ落ちた。
アーリアが絵を指差しながら、ベージュの目を丸くしてマリアドールを見る。
「どうしてあなたが、カルナ妃殿下のお姿を知っているの?」
(あぁ~! ……これはもうごまかせないわ)
ガクリと項垂れ、はぁ、と床に向かって息を吐く。一応、言い訳の言葉を頭の中で並べてみるけれど、どれもしっくりこないし、無理がある。
(これはもう、仕方ないと諦めよう。ダンブルガス国との国交が深まればおのずと『亡くなった妻の夢を見せることができる』という私の能力もコルタウス国に広がるはず。デニス王弟殿下はすでにご存知だったしね)
遅かれ早かれの問題だと、マリアドールはアーリアに手短に能力について話をした。
「びっくりしました。そんなことがあるなんて……。この絵を見ていなかったら信じられません。……それで、デニス王弟殿下に頼まれてこの絵を描いたのですか?」
「ええ。でも頼まれたのは別のことで、カルナ妃の絵を描いてと言われたわけではないから、喜んでくださればいいのだけれど」
「えっ? それでは何を頼まれたのですか?」
不意打ちで絵を見られ動転していたせいか、ポロリと零してしまった本音にマリアドールは慌てて口を閉じた。こほん、と空咳ひとつしてベッドに無造作に置いていた白い布を手にすると、絵にかけニコリと微笑む。
こういう時は、話を強制終了させるに限る。
「メルフィー王女殿下に呼ばれているのよね。早くいかなきゃ。えーと、場所はどこですか?」
「……庭です。もうすぐレオニダス王太子殿下もこられるから急いだほうがいいと思います」
これで誤魔化せたとは思っていないけれど、話を打ち切ることはできたようだ。かなり無理があるけれど。
アーリアもこれ以上は聞けないと察したようで、急ぎ足で部屋から出て行こうとしたのだけれど、扉の前でふとその足を止め壁にかけられた鏡に目をとめた。
少しだけ乱れていた耳の後ろのおくれ毛を整え、お団子にしていたピンクブロンド色の髪に軽くふれ整える。
それは本当に一瞬の所作だったけれど、マリアドールは意外な気持ちで目をパチリとした。
(仕事熱心で真面目なアーリアが、急がなきゃいけないときに足を止めるなんて)
それにその頬がなんだか紅をさしたようにほんのり赤い。
庭に行くと、すでにレオニダス王太子の姿があった。その背後には護衛騎士であるハルメンも控えている。
今まで意識したことがなく見逃していたことでも、一度気になるとやけに目に留まることがある。
お茶の用意をしながらアーリアの様子を伺えば、チラチラとハルメンに視線を送り頬を染めているではないか。
一方のハルメンといえば、素知らぬ顔を通しているが、ややイライラしているのが分かる。
(うーん、アーリアの片思い、もしくは、分かりやすい態度を取るなといらついている、そのどちらかしら)
とはいえ、恋愛ごとに疎いマリアドールだから、自分の予想が合っているのか自信がない。というか、どっちでもいいか、と思うところもある。
「そういえばマリアドール」
「は、はい」
レオニダスからふいに名を呼ばれ、マリアドールは早足でテーブルへと向かう。
「なんでしょうか」
「ここへ来るとき裏庭を覗いたら、スタンレー公爵殿が騎士達に稽古をつけていた。やはり英雄の腕前は凄いな。ここにはアーリアもいるし、マリアドールは稽古を見に行ってもいいのだぞ」
「い、いえ。私はメルフィー王女殿下の侍女としてきておりますから」
まさか、レオニダスからまで婚約者扱いされると思っていなかったマリアドールは、とんでもないと首を振る。
その反応にふふっと笑いながらメルフィーが後押しした。
「そうよ、見てくればいいわ。私達のことは気にしないでゆっくりしてくればいいのよ」
片手をひらひら振りながら二人の王族に行って来いと言われ、マリアドールは困ってしまう。
でも、呼び出しておいてすぐに行ってこいだ。ジェルフの勇姿を見せるために連れてこられたことは、鈍いマリアドールでも分かる。
そうだとすると、意固地になって断るのも却って我儘にみられそうだと、なかば諦めるような気持ちで頭を下げ、裏庭へと向かうことにした。
離宮の裏庭は広いけれど、行けばどこで訓練をしているかはすぐに分かった。
剣のぶつかる音、人が地面に転がる音、うおぅとも、おおっとも取れる大声が響くその場所へと足を向ければ、十数人の騎士が剣を振っていた。
(そういえば、お茶会にいたのはレオニダス王太子殿下付きの騎士だけだったわね)
ということは、ダンブルガス国の騎士全員がここで訓練を受けているのだろう。
輪の中心にはジェルフがいて、次から次へと向かってくる騎士の剣を避け、ときには打ち払い、最後には重い一撃を打ち付けていた。使用しているのはもちろん模造刀だけれど、あれでは青あざができるだとうと、見ているだけで痛くなってくる。
(見に行けばと言われ来たけれど、声をかけるわけにいかないし、どうしたものかしら)
視線を動かせば、塀の近くにある石像の少し前にひとつだけベンチがあった。
稽古の邪魔にならないよう、そっとそこに行き、低木の影に隠れるようにジェルフの様子を盗み見る。
額の汗を袖で拭く無骨なさまは、普段見慣れている洗練された所作とは違う男らしさがある。
精悍な顔に厳しさが加われば、それこそ神話の英雄とはこうだったのだろうと思うほどだ。
人知れず、ひっそりうっとりその様子を眺めていたマリアドールだったから、背後から名前を呼ばれたときは座ったまま数センチ飛び上がるほど驚いた。
「マリアドール様」
「ウォレン様! びっくりしました。いつからそこに?」
「うーん、マリアドール様がベンチに座ったあたりから。随分とジェルフ様に見惚れていましたね」
(では始めから見ていたんじゃない)
声もかけずに様子を伺うなんて悪趣味にもほどがある、と思ってから自分も人のことは言えないな、と気づいた。
ウォレンはマリアドールの座るベンチの端に腰掛け、うーんと伸びをする。
「ウォレン様は参加しないのですか?」
「なんだか大変そうだからいいかな。それに今、偵察から帰ったばかりですしね」
ふぅ、とわざとらしく汗を拭う振りをしているけれど、その顔は涼し気だ。そういえばこういう食えぬ男だったとマリアドールは思いだす。
「偵察ということは、コルタウス国の騎士団に行かれていたのですか?」
まさかね、と冗談半分に聞けば、ウォレンが「当たり~」と軽い調子で答える。
えっ、とマリアドールのほうが言葉を詰まらせる。
「ほ、本当にですか?」
「はい。でも、頼まれたのは、兵力はまずまずとか武器庫にでかい大砲が五つもあったっていう話じゃなくてね」
「やけにたとえが具体的で怖いので、聞かなかったことにさせてください」
「えー、謎の暗号とかもあるんだけれど。まいいか、それよりジェルフ様に頼まれたのは、カルナ妃殿下と心中した騎士についてですよ」
話の途中でいっそ気絶してしまいたいと思ったマリアドールだったけれど、ジェルフの頼みと聞いて正気を取り戻す。まさか、そんなことを調べていたなんて。
「……それで、どうだったのですか? いえ、その前にどうやって調べたのですか?」
「別に難しいことじゃないですよ。ちょっと向こうの騎士団の下っ端とか、メイドとか侍女とかと仲良くなっただけです。俺、そういうの得意だから」
そうか、そういうタイプだったと、マリアドールは半目でウォレンを見る。
騎士もだけれど、メイドや侍女との話は記憶から抹消しよう。どんなふうに仲良くやったかなんて絶対に聞かない。聞いてなるものか。
「確か亡くなった騎士の名前はテルト・ハイター様、でしたよね」
「そうです。ハルメンの実家である子爵家は領地の一部に港があり、ハイター男爵家は漁船の元締めだったそうです」
「ということは、二人の間には利害関係があったということですか」
「うーん、利害関係なのか主従関係なのか微妙ですけれどね。ちなみに、その港っていうのは王都から馬車で南に五日ほど行ったところにありますから、マリアドール様が知っている港じゃないですよ」
大型船が入ることができないような小さな港らしい。
ウォレンが「ここまで調べるのは大変だったんですよぉ」と愚痴ったときだ。その赤い頭を大きな手がむんずと掴んだ。
「お前、ここでなにをしている?」
「ジェルフ様! なにって偵察の報告ですよ」
「それはマリアではなく、俺にしろ」
そう言うと、ジェルフはウォレンの頭を掴んだまま上に引っ張り上げた。
はっ!? とマリアドールの目が点になる。
(えっ? 今、人を片手で持ち上げた? しかも頭を鷲掴みして?」
信じられない光景に目をパチクリしていると、宙で足をぶらぶらさせているウォレンをジェルフは騎士達の中心まで連れていく。
「続きはウォレンが相手する。一対五、いや十でもいいな。好きにやれ」
その言葉に騎士達から「うおぅ!」と声があがると同時に「サボってばかりいて」「どこに行っていたんだ」「この前、一緒にいた侍女は誰だ?」とがなり声が交じる。
「ジェルフ様! ちょっと皆に説明してくださいよ。俺はサボっていません」
「なんのことだ。俺は外出するから、あとは好きにしろ」
騎士達が変なテンションで活気づくなか、ジェルフは涼しい顔でマリアドールの隣に座った。
「……良いのですか?」
「ああ。皆、身体がなまっているからちょうど良い」
「コルタウス国で訓練なんて思い切ったことをされましたね」
「デニス殿下の許可は取っている。目立たぬようにすればいいと仰ってくれた」
「さっそくレオニダス王太子殿下に見つかっていますよ」
「はは、それは目ざといな。裏庭ならバレないと思ったんだが」
とはいえ、許可があるから問題ないと、ジェルフに気にする様子はない。さらには、「それより」と言って、徐に袖を捲ると腕を見せてきた。
壊れた金のブレスレットが、かろうじて手首に引っかかっている。
「稽古をしていたら壊れてしまった。せっかく買ってくれたのに申し訳ない」
安物だから仕方ないと思うマリアドールに対し、ジェルフはしょぼんと頭を下げた。さらには、壊れても大事にしまっておくと言う。
なんだかマリアドールのほうが申し訳なってくるほど勢いで謝られ、苦笑いが溢れてしまった。
「仕方ありません、露店で買った品ですもの。本物のデルミスのブレスレットのようにはいきませんわ」
ぶらぶらと腕で揺れるそれに手をかけ、マリアドールはジェルフを傷つけないように外すと、太陽に翳した。
金メッキのそれは、激しい剣技に耐えられなかったのか、ところどころ金箔も剥げていた。これでは到底、本来の意味でデルミスのブレスレットになり得ない。
「それでだ、ちょっと外出許可が出たんだが、マリアも一緒に来てくれ」
「でも、メルフィー王女殿下の許可なく、勝手に離宮を離れるのは憚られます」
「その点なら問題ない。すでに許可は取っている」
ジェルフは立ち上がるとさぁ、と手を差し出してきた。
ここまで用意周到に根回しされては仕方ないと、マリアドールはその手に自分の手を重ねる。
軽々とひっぱられ立ち上がったマリアドールは、壊れたブレスレットを片手に持ったまま不思議そうに首を傾げた。
「……それで、どちらに向かうのですか?」
ウォレン好きです。主役にはなれないけれど、脇役でいてくれると使い勝手が良い(作者目線)
意外と重要なこのブレスレットのお話は明日も続きます。
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