商談.1
次の日の朝、雨は止み木々の葉は露で光って見える。
ハルメンが持ってきてくれたパンを食べた二人は、昨日と同じように馬車に乗った。
ジェルフは、どのあたりに宿を作るのが最適か見当を付けたいようで、少し川辺を馬車で散策するように御者に頼んだ。さらに王都への帰り道では、窓から首を出し雨上がりの街道の状態も確認する。
道はぬかるんでいたけれど、車輪がとられるほどでもなく、行きとほとんど同じ時間で王都まで帰ってくることができた。
「スタンレー公爵様」
そんなジェルフにハルメンが声をかける。
「このあと、知り合いに会われるということでしたが、どのような御用でしょうか。帰りも遅くなりましたし、至急でなければ日を改められてはいかがですか?」
そうきたか、とマリアドールとジェルフは顔を見合わせる。荒地を見学する分には良いが、王都であまり自由にされては困るということだろう。
もちろん事前にピーターソン商会に行きたいと伝えていたし、許可も得ていたけれど、こうやって土壇場でキャンセルを促すつもりだったのかも知れない。
(友好を深める、とはいえ元敵国に好き勝手されるのは困るものね。でも、英雄ジェルフ様の頼みを無碍に断れないから、こういう手段にした、というところかしら)
ただ、マリアドール達の外出許可は、今回もデニスが出してくれた。デニスがこのような後出しをするとは考えにくいので、違う力が働いているのかも知れない。
ともかく、ここではいそうですか、とジェルフに頷かれてはマリアドールとしても困ってしまう。
そう思っていると、ジェルフはそんなこと分かっているとばかりに、ハルメンに話を切り出した。
「実はあの川の近くに宿を作りたいと思っている」
「宿、ですか?」
「そうだ。だが、俺はこの国にツテがないからな。唯一の知人であるピーターソン商会に間に入ってもらおうと考えている」
「事前の話では、そのようなことを仰っていなかったように思うのですが」
「現地も見ずに出資などできるはずないだろう。採算が取れなさそうだったらそのまま城に帰るつもりだったが、あれなら問題ない。予定通りピーターソン商会と商談をしたい。できるなら記憶が新しい今日がベストだ。あそこに宿場町ができればより商人の往来が増えるだろうし、コルタウス国のメリットにもなる。この国のために何かしたいと考えてのことだが、問題でも?」
「……いえ。わが国のためにありがとうございます。それでしたら、ご案内いたします」
ハルメンは柔和な笑みを浮かべつつ頭を下げるも、鳶色の瞳は困惑を隠せないでいた。
しかし、英雄ジェルフにこの国のために出資したいと言われては断るわけにはいかない。
ハルメンは乗っていた馬を誘導し前に進むと、御者に行き先をピーターソン商会にするよう伝えた。
マリアドールは窓を閉めると、ジェルフを見上げる。
「もしかして、ピーターソン商会へ行くことを止められると想定されていらっしゃいましたか」
「まぁ、ありえるな、とは考えていた。それでもだめと言われたときは、英雄の名をいかんなく発揮するつもりだった」
やがて、馬の蹄の音が土の上を走るものからレンガを蹴る音に変わる。
ガタガタと揺れていた車内の揺れも随分おさまった。
向かい側の座席にはベンに渡す絵が白い布に包んでおいてある。
マリアドールは膝に置いていたスケッチブックを閉じた。こちらもほぼ出来上がり、あとは離宮で少し手直しすればデニスに渡せる。
ポクリポクリと同じテンポを刻んでいた音が止まり、馬車の扉が開かれた。
港から伸びる道と城へ向かうメインストーリートの交差点、初代国王の銅像のあるその通りから一本入ったところにピーターソン商会はある。
レンガでできた三階建ての建物で、入り口には大きく商会名が書かれていた。
馬車を降りると、ハルメンがマリアドールの持つ白い布を怪訝そうに見たけれど、ニコリと微笑みそこは誤魔化しておいた。
ハルメンも、ジェルフならともかくマリアドールの荷物にはさほど興味がないようで「私はここでお待ちしております」と頭を下げる。
では、と商会の扉を開けようとするとそれより早くカラリとドアベルの音がして、ベンが飛び出してきた。今日、尋ねると手紙は送っていたので、おおよそ扉の前でいまかいまかと待っていたのだろう。
「スタンレー公爵様、マリアドール様、お待ちしておりました。ささ、どうぞ中に。あっ、よろしければそちらの騎士の方もご遠慮なさらずに」
王族護衛騎士の制服をきたハルメンに恭しく頭を下げるベンだったが、ハルメンは気遣いは不要とその申し出を断り、かわりに商会の裏にある馬車止めを使わせてもらうと言った。
馬に跨るハルメンに「案内をありがとうございます」と言うと、マリアドールはベンに案内され商会の中に入る。一階は受付と様々な生地が展示されていた。そこを素通りして案内されたのは三階にある個室で、普段は商談に使われる部屋だ。
すでに待っていたエイデンが二人にソファを薦め、廊下にいた従業員にお茶の用意を頼む。
ほどなくしてお茶が運ばれたところで、マリアドールはベンに絵を差し出した。
「ありがとうございます。さっそく拝見してもいいでしょうか」
「もちろんよ。今なら修正もできるわ」
ベンがはやる気持ちで布を解くと、二枚の絵が現れた。と同時にその瞳に涙が浮かぶ。
「あぁ、ナタリアがいる。これは初めてデートをしたときに着ていた服だ。こんなに似合っていたのに、舞い上がりすぎて気の利いた言葉一つ言えなかった」
やっぱりそうか、と思うマリアドールの前で、ベンはもう一枚の絵を手にした。
書かれているのは晩年のナタリアの姿。暖炉の前で刺繍をしながら微笑む日常の一コマだ。
「そうそう、妻は刺繍がとても好きでね。この時に見ていた本は今も取っているのですよ」
「そうなの。私も刺繍をするわ。どんな本か見せてもらってもいい?」
「もちろんです。私達はこの商会の裏に住んでいましてね。ちょっと取ってきます。あぁ、マリアドール様、本当にありがとうございます。この絵は壁に飾って毎日声をかけます」
ベンはそう言うと部屋を出て行った。エイデンとジェルフがちょっと呆気にとられながらその後ろ姿を見送る。
「ふふ、絵を見て急に昔話をしたくなる人は少なくありません。特に連れ添った時間が長い年配の男性に多い気がします。溢れ出てきた思い出を誰かに聞いてもらいたいのでしょう」
「なるほど。マリアドールの絵に刺激され、いろいろ思い出したというわけか」
「そういえば、ベンはあまりナタリアの話はしないな」
「女性の場合はお茶のお共におしゃべりを楽しむけれど、男性は違うみたいね。エイデン、時間はある?」
今日はもう店じまいだというので、三人がお茶を飲みながらベンを待っていると、すぐに大きな箱を抱え戻ってきた。
エイデンとジェルフに断りつつ、箱から本を出しテーブルに並べていく。
国によって伝統な刺繍の絵柄は異なるので、マリアドールは興味深くページを捲る。
その横で、ジェルフは「実は仕事の依頼があるのだ」と話を切り出した。
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