毒婦のお仕事.1
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翌日、マリアドールは自室でキャンバスを包み、手にボストンバッグを持つと階段を降りた。
画廊で店番をしているレガシーに声をかけると、呼んでいた馬車に乗る。いつもなら、巡回する辻馬車に乗るのだけれど、ちょっと荷物が多いので昨日に続き奮発だ。
ダンバルガスの庶民は逞しい。
貴族のドレスを買い付け、リサイクルしてデイドレスに仕立て直したり、時間単位で御者付きの馬車を借し出す店がある。
使っている馬車は、貴族が使用していたのを安く買い受けたもの。古いけれど、庶民的には動けば問題ない。
もっとも、マリアドールは貴族なのだけれど。
(レガシーに知られたら、絶対反対されるもの。結局はバレるでしょうけれど、そうなったら潔く怒られればいいわ)
してしまったことは、取り返せない。
強行突破の事後報告でいくつもりだ。
荷物を前の席に置き腰掛けると、馬車は動き始めた。
見慣れた街並みを通り過ぎ、王都のやや端にある大きなタウンハウスまで約三十分。
馬車はハーレン侯爵家の門を潜り抜け、玄関脇で止まった。
降りると執事が迎えてくれ、そのままハーレン侯爵の執務室へと案内された。
荷物は重いけれど念のため全部持ってきている。
「やあやあ、よく来てくれた」
「こちらこそ、お待たせして申し訳ありません」
どさっと床にボストンバッグを置くと、手にしていた布を早速解きにかかる。
「すぐにお茶を持って来させよう。おや、私が頼んだ絵は一枚だったはずだが」
「はい、そうです。残りの二枚はこのあと訪ねる場所があるので一緒に持ってきました」
三枚の絵のうち、マリアドールは一枚をハーレン侯爵に手渡した。
受け取ったハーレン侯爵はしげしげと眺め、ーーやがて涙ぐんだ。
「似ている、なんてものじゃない。話を聞いた時はそんなまさか、と思ったが妻そっくりだ。この少し垂れた目尻に、小さな唇。あぁ、また彼女の姿を見ることができるなんて……すまない、ちょっと失礼するよ」
ハーレン侯爵はマリアドールに断ると、背を向け小さく肩を揺らした。
取り出したハンカチで目元を押さえる後姿から目を逸らすと、マリアドールはそっと席を立ち部屋を出る。
(良かったわ。今回も上手く描けていたみたい)
毎回のことながら、絵を手渡す時が一番緊張する。
マリアドールは亡くなった妻の夢を一晩だけその夫に見せることができる。その光景はマリアドール自身も共有するのでこうやって絵に描きあとから届けているのだ。
安心してホッと息を吐いたところに、侍女がお茶を持って現れた。
「あの、旦那様は?」
「やりかけのお仕事があるらしいので、外で待っているの。お茶は私が預かります」
「そんな! お客様に給仕なんてして頂くわけには」
「気にしないで。ハーレン様には私が説明をするから」
それでも侍女は戸惑っていたけれど、強引にトレイを持つと、ここは自分に任せ他の仕事をしてと伝える。
五分ほどして扉を叩けば、いつもと同じ落ち着いた声で返事があった。
「先程、侍女がお茶を持って来てくれました」
「すまない、貴女に頼むなんて……」
「いえ、私がそうするように言ったのです。侍女を責めないでくださいね」
マリアドールは手慣れた様子でカップにお茶を注ぐ。
少し冷めたそれを、ハーレン侯爵は一息に飲み干した。
「いやはや、恥ずかしいところをお見せした」
「そんなことございません。奥様思いの素晴らしい方だと思いましたわ。それに、私の絵を見て感激して頂けるなんて、作者冥利に尽きます」
「本当にこの絵は素晴らしい。ステイマ侯爵から聞いた時はそんな話があるものか、と疑っていたんだが。申し訳ない」
「皆様、初めはそう仰います。それで、ステイマ侯爵様の代わりに、これからは貴方様がお客様を紹介してくれるという話ですが」
「もちろん、引き受ける。いや、引き受けさせてくれ」
マリアドールに今まで客を斡旋していたのはステイマ侯爵。母の代から続いていた関係だ。
本来なら彼の息子が後を引き継いでくれるはずだったのだが、いかんせん少々口が軽い。マリアドールの仕事は諸々の事情があり秘密厳守。任せるわけにはいかなかった。
そのため、ステイマ侯爵はマリアドールへの客の斡旋を、息子ではなく旧知の友人ハーレン侯爵に託したのだ。
彼が最近妻を亡くしたのも、不幸なことながら都合がよかった。
到底信じられない話なだけに、実体験してもらうのが一番手っ取り早いからだ。
「それで、次の仕事なのだが」
「はい、ひと月経ち能力も回復いたしましたので、次の方を紹介して頂いて問題ありません」
「では、早速一人紹介したい人がいるのだ。それと、できればもう一枚絵を描いてもらえないだろうか。確か二ヶ月間は、妻の顔を覚えていられるんだよね」
マリアドールは紅茶カップを手にし、その琥珀色の水面を見た。
(ハーレン様の仰るとおり夢の記憶は二ヶ月間残っているし、追加の絵を頼まれることは珍しくないわ)
しかし、次の客がもう決まっている。
「紹介して頂くお客様は急ぎでしょうか」
「ああ、できるだけ早く、と頼まれている」
「そうですか」
となると、二枚の絵をほぼ同時進行で進めなくてはいけないかもしれない。
(ま、睡眠時間を削れば何とかなるでしょう)
領主としての仕事もあるので時間のやりくりは大変だけれど、ハーレン侯爵にはこれからもお世話になる。先のことを考えると、ここは頷くべきだ。
「分かりました、お引き受けします。ですが今日お渡ししたものより二回り小さいサイズの絵でもよろしいでしょうか?」
「もちろん。無理を言ってすまない」
座ったままとはいえハーレン侯爵に深く頭を下げられ、マリアドールは慌てて胸の前で手を振る。
「顔を上げてください。こちらこそ、これから宜しくお願いします。それで、次の依頼主はどなたでしょうか?」
「ベッグ教会の司教、マンテル司教だ」
ベッグ教会といえば、王都から馬車で丸一日西へ向かった場所にある。今までは依頼人に王都まで来てもらっていたけれど、マンテル司教はその教会の副司教で離れることができないらしい。
マンテル司教--以前は男爵位を持っていた彼は、家族を亡くし失意のあまり出家した珍しい人。貴族という身分を考えると、前代未聞と言ってもよく、当時は社交界で話題になったほどだ。
(そこまで奥様のことを思っていらっしゃるということね。移動が必要だから、さらにタイトなスケジュールになるけれど、不可能ではないわ)
「分かりました。では会う日程を調整してください」
「そうか、助かるよ」
「それからもう一枚の絵ですが、どのような構図に致しましょう」
「妻と、私、それから娘の三人を描いて欲しい。あっ、娘は後日、適当な理由をつけて紹介するよ。ちなみに幼い時の娘の絵はこれだ」
ひくっとマリアドールの頬が引き攣った。
(絵に書いたサインは偽名だから私だとバレることはないと思うけれど……)
不安を胸にマリアドールは絵をじっくりと眺める。
勝気な表情に面影を感じた。不思議なもので、家族団らんの光景を夢で見させたとしても、妻以外の人の顔はぼやけてはっきりと見えないのだ。それは依頼者もマリアドールも同じで、だから妻以外の人を描くときはその人の絵が必要となる。
「ではお借りしていいでしょうか。あいにく私の能力では娘様の幼い姿を見ることができませんので」
ウフフ、オホホ、とらしくない笑いを作りつつ、マリアドールはそっと視線を逸らした。
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