視察.4
運ばれてきたスープを食べたところで雨がポツポツと降ってきた。やがて屋根に当たる音が大きくなり、大粒の雨で視界が霞むほどに。
マリアドールは二つあるベッドの一つに腰掛け、それをぼんやりと眺めていた。
ガチャッと扉の開く音がして、ずぶ濡れの雨合羽を来たジェルフが帰ってきた。
「川の様子はどうでしたか?」
「増水しているが川幅があるから大丈夫だろう。この小屋は建てられてかなり経っている。ということは、ここまで水がきたことはない、とういうことだ」
小屋には水に浸った形跡がないので大丈夫だろうと思いつつも、念のためにとジェルフは川を見に行った。
濡れた雨合羽を脱いで、壁にフックがわりにと打ち付けられている釘にそれを引っ掻ける。
雨合羽を着ていたとはいえ髪や顔、足もとはびっしょりと濡れていた。
「髪を拭きますから座ってください。それから、暖炉に火もつけます」
日中は汗ばむほどの陽気だけれど、夜になると少し冷える。
タオルを渡すときに軽く触れたジェルフの身体が冷え切っていたのが気になって、マリアドールは暖炉の前にかがんだ。もちろん火をつける、なんて慣れたもので、あっという間に赤い炎がパチパチと心地よい音を鳴らす。
暖炉の前の椅子に座り、ごしごしと髪を拭いているジェルフからタオルを受け取ると、背後に回って丁寧に黒い髪を拭く。濡れているので艶が増し、ぽたぽたと落ちる雫が頬を滑るさまが色香を倍増させている。
(こ、こんなときでさえっ。整ったお顔が美しすぎる)
炎が赤く照らす顔を背後から覗き見ながら、心臓の高鳴りを治めるように息をはき手を動かす。
その間にジェルフはずぶ濡れになったブーツを脱いで足を組み、ズボンの裾をぎゅっと絞った。
「私は外に出ているので着替えられてはどうですか」
部屋が温まってきたからか、短い髪はすでに乾き始めていた。
マリアドールは脱ぎ捨てられたブーツを手にし、それを暖炉の前へ並べる。
「外に出たとたんマリアドールはびしょ濡れだぞ。そのまま後ろを向いていてくれ」
足を引きずる音がし、次いでごそごそと荷を解く気配がした。
マリアドールは大きなブーツを見ながら、中にぼろきれを詰めたほうが早く乾くかしら、と考える。
「もういいぞ。そのブーツは騎士団で使っている特別な品で、濡れてもすぐに乾く。暖炉の前に置いておけば大丈夫だ」
「そうですか。では濡れたトラウザーも暖炉の近くで乾かしますね」
さっきまでジェルフが座っていた椅子にトラウザーを掛け、裾を暖炉側に向けておく。
ジェルフはもう一つのベッドにどさりと腰かけた。
ただそれだけなのだけれど、マリアドールはあれ、と思う。
(いつもより動作が緩慢な気がするし、眉間に皺が寄っている。そういえば、レガシーは天気が悪いと持病の腰痛が酷いと言っていたわ。もしかして)
「ジェルフ様、足が痛むのではないですか?」
「……マリアドールの目は誤魔化せないな。観察眼の鋭さは画家ゆえか?」
「ふざけていないで、痛いときは痛いと仰ってください。温めますか?」
暖炉の上にはフックがあり、鍋も室内に転がっている。雨水を鍋に貯めフックにかけて湯を作るのはそう難しいことではない。
「大丈夫、いつものことだ。さすっていればやがて治まる」
ジェルフはもそりとベッドに身体を乗り上げると、ヘッドボードに背を預けるようにして足を伸ばし、トラウザーを膝まであげ傷痕をさする。
マリアドールはベッドサイドに腰掛け、恐る恐る傷口に触れた。
「冷たい。やっぱり温めたほうがいいですよ」
「いや、マリアドールの手が温かいから充分だ」
華奢な手で傷口を温めるように撫でると、ベッドがギシリと鳴り、ジェルフがさらにヘッドボードに体重をかけくつろぐ。
「今までも、雨の日は痛んでいたのですよね。気がつかず申し訳ありません」
「謝ることではない。マリアドールの前で俺が強がっていただけだ」
「私達は夫婦になるのですよ。それでも隠し通すおつもりだったのですか?」
やや咎めるような口調にジェルフは苦笑いを浮かべる。
「男とは、惚れた女の前で完璧でありたいものだ」
「面倒ですね。私は無理をして欲しくはありません。コルタウス国に来てからも、周りの人がジェルフ様を冷たい目で見るのが気になっていました。お辛くありませんか?」
ずっと一緒にいたわけではないけれど、使用人やとりわけ騎士がジェルフに鋭い視線を向けているのは気づいていた。ジェルフは相変わらず飄々とそれらを受け流していたけれど、悪意や敵意というのはいつの間にか心の澱となる。
「辛くないというと嘘になるが、むしろ英雄と言われるよりいいと思っている。俺は決して英雄ではない」
ジェルフの活躍によってダンブルガス国は勝利を得たけれど、その時に知った自身の中にある狂暴性は今でも心の重荷となっている。
自分に父と重なる部分があることを知り、結婚をしないと心に固く決めていたジェルフを変えたのはマリアドールだけれど、それでも心の陰りがゼロになったわけではない。
「英雄という言葉にはずっと違和感を感じているし、手枷足枷のように思うんだ。俺のしたことは褒め称えられることではない、いっそ悪魔の星と呼ばれたほうが清々する」
「ジェルフ様のおかげで生きている騎士は沢山います」
「だが、だからといって俺が斬った騎士の命と相殺されるわけではない」
ジェルフが大きく息を吐くと同時に部屋の中が静かになる。
マリアドールは少しでも痛みが――できれば心の痛みも和らげばと、傷痕を撫で続けた。その姿に、ジェルフ口元が綻ぶ。
「あぁ、それにしてもマリアドールは暖かいな」
ジェルフの腕が伸びマリアドールの身体に回されたと思うと、あっという間もなくベッドに引きずり込まれた。
無造作に羽織っている薄いシャツがマリアドールの頬に当たり、厚い胸板からジェルフの鼓動とぬくもりが伝わってくる。はだけた襟元から覗く肌に、頬が赤くなり身体が強張った。
(こ、これはどうしたらいいの?)
まったく知識がないわけではないし、結婚まであと数ヶ月なのだからもしかして、と心の隅で思ってはいた。でも、いきなりこの展開は予想外で、緊張と動転で頭が真っ白になる。
そんなマリアドールの頭上で「ハハ」と笑う声がした。もぞもぞと腕から逃れるようにして見上げれば、ジェルフが赤い瞳を細めていた。
「安心しろ、なにもしない。足も痛むしな。でも、今宵はこうして眠っていいか」
「……はい」
「不思議だな、マリアドールの体温を感じるだけで痛みが和らぐ気がする」
「気のせいだと思いますが、私でジェルフ様の心が休まるならよかったです」
マリアドールが再びシャツに顔を埋めながら、ジェルフの広い背中に手を回すと、小さく「うっ」と声がした。やけに鼓動が早くなった気がする。
「まずいな。思ったよりこれは……」
「なにか問題でも?」
「いや。なにも。そうだな、もう眠ろう。明日も馬車で移動だ」
明日は王都に戻りベンに絵を渡す。ベンは喜んでくれるだろうかと考えながら、長距離の馬車移動の疲れがどっと押し寄せたマリアドールは、ジェルフのぬくもりに安堵するように目を閉じた。
いつも半ばを過ぎると、楽しんでいただけているか不安になります…!
ブクマやいいね、★などをポチっとしていただけたら嬉しいです。
お読み頂きありがとうございます。興味を持って下さった方、是非ブックマークお願いします!
☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。




