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視察.3


 何度かの休憩を挟み、夕暮れ前には件の小屋に辿り着くことができた。

 東西に流れる川は思ったより幅があり、できたばかりの橋が架かっている。

 ここなら作物も育ちそうだけれど、さらに西へ行ったところに大きな穀倉地帯と農村があるせいか、この辺鄙な場所に腰を据え畑を作る農民はいなかった。


 王都から北へ向かう既存の道のひとつもその農村を通っているのだけれど、そこから先は細い山道となるので商隊が通るには不向きだ。


「ほう、ここなら街を作れそうだな」

「宿ではなく街を造るつもりなのですか?」


 予想外のスケールにマリアドールが水色の瞳を丸くすると、ジェルフは「まぁ、結果的にそうなるだろう」とこともなげに言う。


(街って。スタンレー公爵家の財力はいったいどれぐらいあるの)


 小国の国家予算ぐらいあってもおかしくないその金額。これからジェルフと一緒に領地経営もしていくことを考えると、くらくらしてくる。

 マリアドールが今まで目にしたことがない桁の数字が、書類に並びそうだ。


 マリアドールが毒婦でないと知ったとたん、平謝りし、以降は熱心に領地経営について教えてくれる執事の顔が思い浮かぶ。予想より優秀な人物だったらしい。


「まずは宿を建て、さらに住み込みで人が働けるよう従業員用の建物も用意する。宿の近くには食堂が必要だし、そうなると食材を近くで売る店も必要だ」


 他にも、とジェルフが指折りすべきことを上げていくのを、マリアドールは必死に覚えようとする。

 いつの間にか悲壮な表情を浮かべているマリアドールに、ジェルフは苦笑いをこぼした。


「そう、何から何まで一人でする必要はない。ある程度のことは業者に委託すればいいのだ」


 とそこでジェルフは言葉を区切る。ダンブルガス国なら、スタンレー公爵家が新しい事業を始めるとあれば、商人や業者から我先に売り込みにくるのだが、ここはコルタウス国。

 

「マリアドール、ピーターソン商会は主にどんな取引をしているんだ?」

「食材と布をメインとした取引のはずです。ただ、エイデンのお父様はとても顔が広いので、宿屋ギルドに知り合いがいるかも知れません」

「なるほど。ピーターソン商会を巻き込めば、食の問題は解決しそうだな。宿屋ギルドを紹介してもらえれば、あとは建築業者。だが、それはなんとかなるだろう」


 宿屋と建築業者は繋がりが深い。ジェルフの出資のもと、誰かが宿をすると手を挙げてくれれば最低限のことは揃うだろう。もちろん本当に最低限だが。


「ジェルフ様がコルタウス国の宿屋に出資することに、反対する者はいませんでしょうか?」

「いたらいたで、そいつに俺の代わりに出資するよう言えばいい。それでもまだ文句を言ってくるなら、デニス殿を頼ろう。マリアドールのおかげでひとつ貸しができたし、自国の繁栄に関わることだ」


 最低限のことさえ整えれば、交通が活発になるにつれ勝手に人が集まり出す。

 王都からすぐの場所にある宿場町となれば、めざとい商人達が放っておくはずがない。


「では、視察はこのぐらいにして、休むとしよう。ハルメン、使うのはどの小屋だ?」


 少し離れた場所にいるハルメンに声をかけると、川から少し距離のあるところを指差した。


「向こうの木々の前に、小さいですが二棟小屋が並んでおります。私はそのうちの一つを使いますので、お二人は残りをご一緒にお使いください」

「! 一緒にですか? それでしたらジェルフ様とハルメン様が同じ小屋を使われてはいかがですか?」


 ジェルフとハルメンの顔が分かりやすく歪む。

 たしかに、狭い小屋で共通の話題もなく一晩過ごすのは苦痛だろう。


「……では、私は野宿をしますから、それぞれ一つずつお使いください。ちょっと雲行きが怪しいですが」


 言われ空を仰げば、日が沈んだ空にどんよりと重たい雲が立ち込めていた。星どころか月も見えない。


「そ、そんなことさせられません。ずぶ濡れになってしまいますわ」

「でしたら、どうしたらいいでしょうか?」


 優男然とした笑みを浮かべるも、いらいらしているのが伝わってくる。マリアドールがジェルフを見れば、さも当然とばかりに笑みを浮かべた。


「では、俺とマリアドールは手前の小屋を使う。ハルメンは奥を。この辺りの治安はどうだ?」

「時々、盗賊が出るそうですが、ダンブルガス国の王族が来られることもあり、王都周辺は警備がいつもより強固です。この川のあたりまでが警備強化対象地域となっておりますから、大丈夫でしょう。狼はでませんが、野犬や鹿はみかけます。ダンブルガス国の英雄ジェルフ様であれば問題ないと思います」


 野犬と聞き、顔色を青くするマリアドールに対し、ジェルフは鹿なら食えそうだと笑う。

 他に気を付けることはと聞けば、ハルメンは少し考えたあと木々のさらに奥を指差した。


「気を付けること、ではありませんが、この先に温泉が湧いています。よろしければ、雨が降るまでにお使いください」

「ほう、このあたりは温泉が湧くのか」

「街道を作る時、それらしきものが幾つか出てきました。地層に詳しい者の話によると温泉脈が地面の下を幾つもはっているとか」


 それを聞き、ジェルフの口角が上がる。

 温泉脈の近くに宿を建てれば、よい宿場町になるだろう。

陸路を使うのは冬が多いだろうから、温泉は商人に喜ばれる。うまくいけば王都から一泊二日で温泉に浸かりにくる平民もいるかも知れない。


「分かった。ではさっそく見てこよう。マリアドールも一緒に行かないか?」

「……入りませんよ?」

「はは、分かっている。交代で湯に浸かろう。それから食事の準備だ」

「それでしたら、私がしておきますのでお二人はゆっくりしてください。とはいえ干し肉の入ったスープぐらいですが」


 小屋の前まで移動し、ハルメンが馬に括りつけていた荷を下ろす。

 馬車に積んでいた荷物は御者が運んでくれるというので、二人はハルメンが指差した木々の奥へと向かうことにした。


 生い茂る木々の合間に、草が踏まれたあとが続く。どうやら、目当ての温泉は小屋に泊まった者が普段からよく使っているらしい。


 背の高い木々が続いたと思うと今度は低木が現れ、その向こうに湯気が見えてきた。

 枝が横に張り出した低木の間をすり抜けると、幅六メートルほどの小さな温泉が現れる。思ったより小さいけれど、大小様々な石で縁取られたそれは、旅人の憩いの場のようにも見えた。


「一応、整備されているのですね」

「遊牧民がいると聞いたから、彼らがしたのかもしれないな。しかし、浅いな」


 膝下ぐらいの高さしかない。

 どうやらコルタウス国では、温泉とは身体を浸すものではなく、湯で身体を流すだけのもののようだ。

 ジェルフは持っていたタオルを取り出すとそれを浸し、顔を拭く。マリアドールも同じようにして首や手を拭いた。


「ジェルフ様も、これと同じような温泉を作るのですか」


 すでに靴を脱ぎだしたジェルフに聞けば、少し考えたあと首を振った。


「俺は肩まで浸かれるほど深さがある温泉が好きだな。戦地にそういうのがあって、部下達と交代で利用したことがある。ところで、マリアドールは靴を脱がないのか」

「私はあとで。これでも淑女ですから」

「そうだった。淑女で悪女で毒婦でそれからなんだったっけ」

「魔性、でしたでしょうか? 魔女もあったかもしれません」


 二つ名どころではない。最近は聖女なんてものも入ったのだから、バリエーション豊富すぎだ。


 マリアドールはジェルフの隣にしゃがみ込むと、手で湯を掬いそれを足にかけてあげる。

 まくり上げたズボンの下から覗く右足の傷は初めて見るものだった。


「そんなことしなくてもいい」

「したいのです。ジェルフ様にはいつも看病していただいていますから、たまにはいいでしょう。気持ちいいですか」

「ああ。少し眠くなってきた」


 ホワンと珍しくジェルフが気の抜けた顔をした。その無防備な姿にマリアドールの胸がドクンとなる。

 いつもは堂々とした所作をみるたびに七歳も年上なのだと思うけれど、こういう力の入っていない姿を見ると。


(かわいい、と思ってしまうわ)


 英雄と呼ばれるジェルフに対し、そんな言葉を向けていいのか疑問だけれど、後ろに手をつき顔を曇天に向けながら湯に浸る姿はそこらの青年と変わらない。


 メルフィーやデニスという最近王族と会う機会が多いけれど、一皮むけば彼らの素の表情もこうなのかもと思う。

 自分の意志とは無関係に生まれながらに背負わされたもの、それらを投げ出すことなく誠実に生きる姿には素直に感心する。

 

(デニス殿下とカルナ王弟妃殿下はお互い信頼していたのだから、二人だけのときは素の表情を見せ本音で会話できたんじゃないかしら)


 そうあって欲しいと思うと同時に、それならなおさら、カルナの本音に一番近いところにいたデニスの、その死をあり得ないと断言した言葉が真実味を帯びる。


「なにを考えているんだ」


 湯に手を浸したまま考えに耽っていたマリアドールに、ジェルフが声をかける。

 マリアドールは慌てて湯を掬おうとするも、ジェルフは「もういい」と言ってその手を優しく掴んだ。


「……私が見た記憶についてです。デニス殿下が仰るように、カルナ様は王弟妃として生きることを決めておられました。そのような方が護衛騎士と心中したなんて考えられません」

「部屋が荒らされていた件について、改めて思い出したことはあるか?」

「いいえ。以前お話したように、カルナ妃殿下が亡くなったときに大勢の騎士や侍女が部屋に出入りしていたこと、その間に、机の上に置かれていた本が乱れ、引き出しが開けられていたことだけです。絵については、本が整然と積まれた机と、誰かがそれを荒らしたあとをスケッチしようと思います」

「それでスケッチブックを持ってきていたのか」

「はい。いつものように絵を描いてお渡ししてもいいのですが、今回の目的は部屋を荒らした犯人を見つけること。それなら、置いてあったものの状況が分かればよいのですから、スケッチの状態で早くお見せしようと思っています」


 絵に仕上げようと思うとどうしても時間がかかる。優先順位から考えてスケッチのほうがいいだろう。

 それなら、帰りの馬車の中で描き、次の日には渡すことができる。

 

(あとは滞在中に一枚、カルナ妃殿下の絵を描き上げたいわね)


 雪の舞い散る中、毅然と微笑む美しい姿が脳裏に浮かぶ。秘めた想いを胸に隠し、夫とのなる男の切ない思いをくみ取り、それでいて王族として恥じない生き方をしようと考えるカルナ妃は、女性から見ても輝いて見えた。


 ぽつぽつとマリアドールは垣間見た記憶をジェルフに話す。

 デニスの思い人が誰なのかは伝えなかったけれど、マリアドールの話を聞くジェルフの表情からして思い当たるところがありそうだ。

 というか、むしろメルフィーが分かりやすすぎる。


「王族とは大変なものですね。私、貧乏男爵に生れてよかったと思いました」

「彼らには同情するが、巻き込まれなくて本当によかった。あのまま婚約話が進んでいたら、こうしてマリアドールと一緒に旅をするなんてできなかったからな」

「メルフィー王女殿下はレオニダス王太子殿下とのご婚約に納得されているのでしょうか。今なら、相手をまだ変えることができるように思うのですが」


 誰と変えるとまでいわなかったけれど、ジェルフはやはり分かっているようで、神妙な顔で頷いた。


「国王陛下はレオニダス王太子殿下の地位を確固なものにしたいから、ダンブルガス国の姫を息子の妻に選んだのだ。難しいだろう」


 言い換えれば、国王さえ説得できれば突破口が開けるのだけれど、一国の王を説き伏せれる者などそういない。


(レオニダス王太子殿下も決して悪い人ではないのだけれど、デニス殿下と比べるとやっぱり若く未熟だわ)


 愛する人が手の届く場所にいながら、自分の想いに蓋をしなければいけない気持ちを想像したマリアドールの胸は、ぎゅっと苦しくなる。


 ジェルフに会うまでは知らなかった切なさだ。


 マリアドールはことんとジェルフの広い肩に頭を乗せた。


朝から原稿に向き合っていました。

6月は数社〆切が重なりそうですが、この物語は完成しているので毎日投稿します。

是非最後までお付き合いください。

日々、ブクマが増えて嬉しいです。活力になります!ありがとうございます!!

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