視察.2
メルフィーの護衛のために十数人の騎士がついてきている。
王族の異国訪問でこの数は少なすぎるのだけれど、今回の目的は新たに友好関係を築くこと、さらにはレオニダスとの婚約にあるので、少数精鋭。敵意も争う気もないことを示すためにあえてこの人数にしている。
その騎士がぞろぞろとジェルフを見送りにやってきた。
変化のない日常に飽きはじめているのか、鬼軍曹が普段しない柔らかな表情を見て噂話のネタにでもするつもりなのだろう。
ジェルフはそんな彼らをチラリと見ただけで、護衛隊長に声をかける。
「では、視察のため二日ほど留守にする」
「はい。メルフィー王女殿下の護衛はお任せください」
「もとより護衛騎士隊長であるお前に任せているから心配はしていない。それより、見送りは頼んでいないぞ」
「成り行きです。それよりマリアドール様はどこに?」
護衛隊長が離宮の扉に目をやれば、ちょうどマリアドールが出てきた。手にはバスケットだけでなくスケッチブックも持っているから、手の感覚が戻れば絵を描くつもりなのだろう。
息をきらしながらパタパタと走り寄り、ジェルフの隣までくるとはぁはぁ、と呼吸を整える。
「遅くなって申し訳ありません。準備に手間取ってしまいました」
「それはかまわないがまだ熱があるんじゃないか」
「もう平気で……!!」
こつんと、おでこを当てられマリアドールは固まった。
ここは密室じゃない。まわりには護衛騎士が無意味に沢山いるのだ。
それなのに、数秒ジェルフはその姿勢を保つと、やがてゆっくり離れた。
「うん、もう大丈夫そうだな」
「じぇ、ジェルフ様!」
飄々とするジェルフに対し、マリアドールは頬を真っ赤にして周りに視線をやると、目が合った騎士達が軒並み視線を逸らしていく。
その気まずさといったら、注目を集めたダンスの比ではない。
「ははは、噂には聞いていたけれど、ジェルフ様の溺愛ぶりにはこっちが当てられてしまいます。どうぞ、二人でゆっくり視察してください」
護衛隊長は豪快に笑いながら二人を交互に見た。
まるで視察が二人で出かけるための言い訳のようなその視線に、マリアドールだけが首を振った。ささやかな抵抗だ。
でも、なにか言ったところで聞き流されるか照れ隠しだと思われるのがオチ。
もうどうにでもなれ、と諦めたマリアドールが馬車のステップに足を向けると、大きな手が差し出された。にこりと微笑む美丈夫にマリアドールは目を眇めた。
「……ジェルフ様、あのようなことは二人だけの時にしてください」
「二人だけ、だったらしてもいいんだな」
「そういう意味ではありません」
「キスをしないぐらいの分別はあるぞ。あれは馬車の中で……いたっ」
キュッとマリアドールが腕をつねると、ジェルフが大袈裟に痛がる。百戦錬磨の英雄がこのぐらいどうってことないはずなのに。
背後の騎士達から「ジェルフ様がデレている」「嘘だろ、鬼軍曹はどこへいった」と囁きが聞こえてきたので、マリアドールもうこれ以上は何をしても悪循環だと馬車に乗り込んだ。
扉が閉まると馬車は動き出す。それと並列するように一人の騎士もついてきた。
名目としては護衛兼案内係だけれど、コルタウス国で勝手なことをされては困るという見張りだ。
マリアドールは窓を開け、その騎士の名を呼んだ。
「ハルメン様、案内宜しくお願いします」
「はい。途中で休憩も挟みますが、王都を出てすぐは荒地が続きます。飲み物、食べ物はお持ちでしょうか」
「ええ、貴方の分も用意してきたから、お腹がすいたら言ってください」
使用人達が寝ているすきにこっそり台所をつかおうと、早起きして作ったサンドイッチとベーグルがバスケットに詰まっている。他にも燻製した肉とサラダも持ってきたし、水筒は三本も用意した。
「マリアドールが全部作ったのか。誰かにさせればよかったのに」
「そうはいきません。離宮にいるのはメルフィー王女殿下の侍女やメイドです。彼女達にはそれぞれ別の仕事があるのですから」
一番暇な自分がして当然だとマリアドールは思っている。男爵位を持っているとはいえ、使用人は二人だけなので身の回りのことは全部自分でしてきた。
なんなら、いつかは平民になるのだと思っていたから、積極的に家事を教わっていたぐらいだ。
王都から次の街まで丸二日かかる。その間にあるのは農作物を作るには不向きな土地で、背の低い草がところどころに群生しているだけ。
遊牧民が羊や山羊を連れ暮らしていて、そのおかげか王都では新鮮な乳製品や加工品が豊富に出回っている。
問題は、王都を出て次の街まで二日かかるということ。つまり、その間の一泊は野宿が決定となる。
南から北へと続く長いみちのりのなかでは、野宿もいた仕方ないところではあるけれど、初日からそれというのはちょっと問題だ。
それではこの先もっと不便なのかも、と商人達が危惧して足が鈍りかねない。
「ジェルフ様としては、次の街までの間に宿場町が欲しいのですよね」
「ああ。商人達が動き出せば、放っておいてもそのうち誰かが宿を作るだろうけれど、できれば早急に必要だと考えている。中間地点あたり良いに場所がないか、それが今回の視察の一番の目的だ」
コルタウス国に任せてもいいのだけれど、海路が使えなくなる冬までに陸路を整えておきたい、というのがフレデリック王子の希望だった。
デニスとの対談だけでは暇だろうと、ポンと投げられた仕事だけれど、実際はかなり重要。
広いスタンレー公爵家の領地経営もするジェルフだからこそ任せることができると判断したようだ。
「今はまったく宿がないのですか?」
「川のそばに簡易小屋があり、そこを勝手に使っているらしい。部屋の中にはベッドが数個と暖炉があるぐらいだと聞いた。使った者は火とごみの始末をしてから立ち去るのが暗黙の了解となっているらしい」
「雪山とかに、遭難した時の避難所として建てられている小屋、のイメージであっていますか?」
「おう、まさしくそれだ。水と火があるので一泊ぐらいなんとかなるだろうが、貿易の主要街道としてはあまりにもお粗末すぎる」
勝戦国として街道を作るよう命じたときは、必然的に宿場町も用意されるだろうと安易に考えていたダンブルガス国だったけれど、蓋を開けてみれば本当に道しかなかった。
宿場町まで整える金なんてない、というのがコルタウス国の懐事情だろう。
あとは、人の往来が増えれば、市場の原理として平民達が宿を建てるだろう、と国家事業としてはこれ以上するつもりはないようだ。
「もしかして、ですが、その宿を作るための資金を出資されようとしておられますか?」
「するどいな。それも考えている。荒れ地に作るのだから初期投資はかなりの額になるだろうが、言い換えればだからこそできる者は限られている。自慢ではないがスタンレー公爵家は割と金が余っているんだ」
英雄としての顔ばかり知られているジェルフではあるが、じつは経営者としても優秀だ。
執事の力を借りながらとはいえ、膨大な領地経営に加え、あらゆる商売に手を出している。そのどれもが成功しているのだから「金が余っている」は冗談でも比喩でもない。
王都の北門を出て暫くするとだだっ広い荒れ地が窓の外に広がり、土埃が舞うようになった。
窓を閉めると少し暑くなるけれど、このままでは車内が砂だらけになってしまう。
仕方なくハルメンに声をかけてからピタリと閉じれば、ジェルフがマリアドールを抱きかかえ膝に乗せた。
「……ジェルフ様?」
「二人だけになったら、いいのだろう」
「なにが、でしょうか。拡大解釈はやめてくださいね」
「結婚式まであと少しか。待ち遠しいな」
ふっと笑うジェルフは、言葉とは反対に大人の余裕があるように見える。
(ですから、その笑いは色香が増して……心臓に悪いです!)
けっきょくのところ何をしてもジェルフの手のひらで踊らされるだけだと、マリアドールは頬を染め視線をそらす。クツクツと隣から聞こえる押し殺した笑いは、車輪の音で聞こえないことにした。
今日は健康診断に行ってバリウム飲みました。あれだけは何回やっても慣れない…。今の技術だともっと美味しくできると思うのだけれど。フルーツ味とか、コーヒー味とかさ。
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