夜会.3
手袋を取りに戻ったマリアドールはその帰り、近道をしようと小道ではなく庭を突き抜け夜会の広間に戻ろうとしたところ、思わぬ足止めを食ってしまった。
目の前に立ちふさがるのは四人の男性。ひとりは騎士で、残り三人は服装からして下位貴族のようだ。
「『悪魔の星』が魔性の毒婦と婚約したという噂を出入りの商人から聞いたが、たしかに美しい。スタンレー公爵も見目がよいので、まさしくお似合いのふたりだな」
「急いでいるのでそこをどいていただけませんか?」
異国の地で男性四人にも囲まれれば、びくびくと涙目になるだろうと思っていた男達は、キッと見据えるマリアドールに軽く舌打ちをした。
気然と構えるマリアドールだけれど、実際はドレスの下の足は震えている。でも、もちろんそんなことおくびに出すつもりはない。
「毒婦が帰ってこなくても、英雄はまたか、と思うだけだろう」
「俺の義兄は三年前の戦いで死んだ。あんたの国に殺されたんだ。あんたになにかあったら、あいつも俺の姉のように悲しむだろうか」
「まさか。血も涙もない『悪魔の星』だぞ」
「それに、そんなこと日常茶飯事だろう。見ろ、このスタイル。あいつのことだ、これを楽しむためだけに婚約者にしたのだろう」
不躾な視線がマリアドールの身体を這う。下品な笑みに背筋が冷たくなり一歩下がるも、すぐに後ろに男が回る。
四方を囲まれ逃げ場を失ったマリアドールの額に脂汗が浮かんできた。
(これはまずいのではないかしら)
庭とはいえ、離宮との境目あたりであるこの場所は薄暗い。
夜会の広間からも遠く護衛の騎士もここまでは巡回してこないうえに、すぐそこには木々が生い茂る暗闇が広がる。
「『悪魔の星』が愛玩具として手元に置くほどだから、きっと楽しませてくれるだろう」
「その二つ名でジェルフ様を呼ぶのはやめてください」
「はぁ? あいつが戦場でなにをしたか知らないからそんなことを言えるんだ。なにが英雄だ、お前達が英雄という言葉で包んだその中には、多くのコルタウス国民の血と悲しみが入っているんだ!!」
どん、とマリアドールの肩を押したのは、義理の兄が死んだと言った騎士。
怒りの含まれた視線に、マリアドールは言葉を失った。
「義兄は俺が尊敬する騎士でもあった。それを……お前達が殺したんだ。それなのに、英雄だなんてもちあげたあげく、今度はダンブルガス国の王女がコルタウス国の国母となるなんてふざけるな!!」
「……二国間の結婚についてはコルタウス国からの申し出と聞きました。レオニダス王太子殿下はもう戦いは……」
「黙れ!!」
頬に痛みが走ると同時に、マリアドールはその場に崩れ落ちた。
なにが起こったのかと呆然とするその視線の先には、いくつものブーツのつま先。それがじりじりとマリアドールに詰め寄ってくる。
「そんなもの、お前達が言い出したに決まっているだろう。そうやって、若いレオニダス王太子殿下を操り、この国を自分たちのものにするつもりなのは分かっているんだ。だから『悪魔の星」であるあの人殺しも付いてきたんだろう? 今日だって夜会の会場で、レオニダス王太子殿下に無言の圧を加えているのを見た」
左頬に触れると熱をもって腫れているのが分かる。ジェルフほどの体躯ではないとはいえ、騎士の男に殴られたのだ、頬だけでなく頭の芯もじんじんと痛む。口の中も切ったのだろう、血の味がした。
マリアドールが手の甲で口を拭えば、新しい手袋に血がついた。
赤い染みに視線を落とすと、すくっと立ち上がりパンパンとドレスについた土埃を払い、先ほどと同じように目線を上げる。
ライトブルーの瞳に怯えはなく、そのことに騎士は身じろぐ。
「何度も言いますが、その名でジェルフ様を呼ばないでください。戦いで血が流れたのはダンブルガス国も同じ。それは国の責任であり、ジェルフ様ひとりのせいではありません。貴方の義兄様だって好んで人を斬ったのではないはず。そうせざるを得ず、追い込まれ、他に術がなく、その絶望的な状況でせめて自分の手が届く範囲の人間だけは守ろうとしたことが、そんなに責められることなの……」
「毒婦が舐めた口を聞くな!!」
騎士が剣を抜き、その切っ先をマリアドールに向ける。
キラリと光る切っ先を目の前に突きつけられ、マリアドールはゴクンと喉を鳴らした。
それには、残りの三人の男も驚いたようで「そこまでしなくても」「俺はちょっと脅すだけだと聞いたぞ」「俺は楽しむだけだって」と口々にし、あとずさりしていく。
「黙れ! こいつは人殺しの愛玩具なのだ。気にすることは……」
「俺の婚約者に、なにをしている」
低い声に全員が固まった。
ざっ、ざっ、と、もどかし気に足を引き摺りながら現れたジェルフにその場にいた男達が青ざめる。
「もう一度聞く。俺の婚約者になにをしている」
「お、俺達はなにも知りません」
「そ、そいつに頼まれて、マリアドール、いえ、マリアドール嬢に声をかけただけで」
「失礼します」
駆け出す三人の男。剣を握った男はその切っ先こそ地面に向けるも、憎しみの籠った視線でジェルフを睨みつけた。
「あの前線に義兄はいた。俺達の悲しみや苦しみ、悔しさなんてお前には分からないだろう。涙もない悪魔の星と言われるお前のことだ、どうせこの女なんて退屈凌ぎの暇つぶしに決まっている」
再びマリアドール剣先を向けようとした腕をジェルフが掴んだ。
男の騎士服に入るシワと食い込む指先がその強さを表している。ミシリ、と骨が軋む音さえ聞こえてきそうな迫力に、男は顔を歪め、それでもジェルフを睨みつけた
「そうか。でもそのこととマリアドールは関係ない。剣を向けるなら俺に対してだろう」
ジェルフは腕を離すとマリアドールを背に庇うようにして立つ。
冷たい瞳と身体から発する怒りの空気に、男は半歩下がりつつも怒声を上げる。
「他に言う言葉はないのか」
「あの判断は間違っていたとでも言って欲しいのか。それなら断る。それは俺の判断を信用し命を預けてくれた仲間をも否定することになる。憎むなら俺を恨め、それだけのことをしてきたと思っているし、背負うつもりだ」
(誰よりも傷ついているのはジェルフ様のはず。そのとき抱いた、自分の身体を傷つけるほどの後悔をずっと胸にかかえ続けている。普段は平然としているけれど、胸にある重みを手放すつもりがなく死ぬまで背負っていく覚悟かあるのを私は知っている)
その言葉に男の瞳が見開かれた。口が小さく「背負う」と動く。
望むような謝罪の言葉ではないが、俺を憎めというのはそれと同義の意味がある。
剣を握ったままの男に対し、ジェルフは腰につけた剣に指をかける気配もない。
男は自分の手をじっと見たあと、消え入るかのような声でぼそりと呟いた。
「もっと非道なヤツだと思っていた」
男は剣を鞘に収めると、何か言いたそうにジェルフをみたあと視線を逸らし、そのまま夜会の広間の方へと立ち去って行った。
ほっと息を吐くマリアドールの頬にふわりと手が当てられる。
無骨な大きな手を辿れば、心配そうに眉を下げるジェルフがいた。
「すまない。来るのが遅くなった」
「いいえ、でもどうしてここが?」
近道にと庭を通ってきたのだから、マリアドールがここにいると分かるはずがない。
「ウォレンから、マリアドールのあとを怪しい男達がついていったと聞いて、すぐにあとを追った。小道を通って離宮まで行ったが会わなかったので、近道をしたのだろうとあたりをつけ来たんだ。あいつらが大声でわめきたててくれたおかげで居場所は分かりやすかったが、駆け付けるのが遅くなった。すまん」
ジェルフは自分の右足を疎ましそうに見る。後遺症のせいで走れないのが心底悔しそうだ。
「これぐらい平気です。頬の腫れだって明日には治まりますわ」
ふふ、と気丈にマリアドールが笑うほどジェルフの眉が下がる。
ジェルフは壊れ物を抱くようにマリアドールを抱きしめた。
「俺にとってマリアドールは唯一無二の女性だ。貴女に対する暴言も暴挙も許せないし、それが自分の行いから生じたものだと思うと……俺は俺自身が憎い」
「ご自分を責めないでください。それよりこれからどうしましょうか。手袋がまた汚れてしまいましたし、この顔では夜会に戻れません」
「マリアドールが出て行ってからすぐにレオニダス王太子殿下が戻ってこられた。俺達はこのまま離宮に帰ろう。そうだ、その前にワインの一本でもくすねてくるか」
「ふふ、是非にとお願いしたいところですが、口の中をきったのでまたの機会にお願いします。それより、少しの間でいいのでジェルフ様と話をしていたいです。実は、けっこう怖くて、今も足が震えております」
困ったように笑いつつ、ちょっとだけドレスの裾を上げると、ぶるぶると小刻みに震える足が見えた。
ジェルフは悲しそうに眉を顰めたあと、すっとマリアドールとの距離を詰めると背中と膝裏に手を当て抱き上げた。
「ちょっ、ジェルフ様。歩けないほどではありません、降ろしてください」
「うん? さっきの発言はこうして欲しいという意味ではなかったのか?」
「違います。って、その顔、分かってて言ってらっしゃいますよね。大丈夫ですから降ろしてください」
「断る。それより足が悪いので少し揺れるだろう、しっかり掴まってくれ」
こんな姿を見られたらどんな噂が立つのか、と慌てるマリアドールに対し、ジェルフは平然と離宮へ向かって歩いていく。
これは絶対離してくれないヤツだと、数歩進んだところでマリアドールは諦めた。
諦め首に手を回せば、間近にある整った顔に微笑まれ、恥ずかしさから思わずその胸に顔を埋める。
ジェルフはそんなマリアドールを優しく見つめ、小さく「すまなかった」と呟くと、その旋毛に口付けを落とした




