突然の呼び出し.2
メルフィー王女の結婚。たしかに言った、そう聞こえた、とマリアドールは握りしめていた指先にさらに力を加えた。
(毒婦の噂はおさまってきたとけれど、私と英雄ジェルフ様ではあまりにバランスが取れていないわ。いえ、それ以前に没落寸前のジーランド男爵家とスタンレー公爵家では家柄も格式も違いすぎる)
マリアドールもジェルフも両親がいないので、二人の結婚に異を唱える者はいなかったけれど、常識的に考えてありえない組み合わせだ。
それに対し、三大公爵家のスタンレー当主と王女殿下の組み合わせは実にしっくりくる。
「……そ、それは。ジェルフ様がメルフィー王女殿下とご結婚されるということ、なのでしょうか」
身を引けと言うためだけにここまで呼び寄せ、二人揃った姿を見せつけられた挙句、フレデリック殿下という決して反論できない相手から説得されるなんて、あまりに酷すぎる。
でも、それがジェルフのためならば、と真っ赤に潤んだ瞳で耐えるマリアドールの目に映ったのは、キョトンとした三人の姿。
「いや。そうではないが……」
俺の言い方がまずかったかと、フレデリックが気まずそうに首を振れば、メルフィはとんでもないと胸の前で手を振り、フレデリックの肩をパチリと叩いた。
「お兄様、言い方が紛らわしすぎます。もう、マリアドールさんが今にも泣きそうではないですか。さ、こちらをお使いになって」
メルフィーにハンカチを差し出され慌てて遠慮するも、強引に渡されてしまう。さらには「差し上げますわ」とまで言われては引っ込みがつかず目尻に当てると、隣に座るジェルフが片手で顔を押さえ肩を震わせていた。
僅かに小さな声で「可愛い」と聞こえた気もしたが、マリアドールはちょっとそれどころではない。
「あ、あの。私、勘違いをしたようで、その。申し訳ありません」
「いやいや、悪いのは俺のほうだ。ジェルフ、感慨にふけるのはそれぐらいにして顔を上げろ」
呆れたような声に、ジェルフは軽く咳ばらいをするといつもと変わらない飄々とした表情を見せたけれど、耳が少し赤いのは三人とも気がついていた。言わないだけで。ちなみに口元もちょっと緩んでいる。
「話を戻そう。実はメルフィーに隣国コルタウスの王太子レオニダス殿下との縁談が持ち上がっている」
「コルタウス国とですか!?」
マリアドールが驚くのも無理はない。
つい三年前まで戦っていたコルタウス国とは一定の距離を保った付き合いをしていた。
しかし、いつまでも隣国同士諍いを抱えていてはということになり、二国間で本格的な和解、国交が開かれることとなった。
そのため、エイデンの持つピーターソン商会がダンブルガス国に来ることができたのだが、国が考える友好とはそれだけではなかったようだ。
いがみ合っていた国同士が手を結び友好関係を築いていく、その最も分かりやすい手段は王族同士の結婚だ。コルタウス国王陛下の子供はレオニダス王太子一人ということもあり、メルフィー王女に白羽の矢が立った。
歳はメルフィー王女が二十歳、レオニダス王太子が十八と二つ違いということもあり、縁談はとんとん拍子に進んでいるという。
心配が杞憂に終わりほっとして話を聞いていたマリアドールだったけれど、途中からチラチラとメルフィーの表情を盗み見る。おそらく彼女にとっても、思いもよらない縁談だったろうに、堂々と受け入れているその姿は、王族らしくもあり、見ていて辛く感じもした。
(私と年齢が変わらないのに、国のために元敵国に嫁ぐなんて、内心はとても不安なことでしょう)
それにも関わらず、堂々とし、さらには勘違いして潤んだ自分にハンカチを差し出す優しさもあるなんて、と思うと、自分の取った行動が子供じみていて恥ずかしくなってくる。
(スタンレー公爵夫人となるのだから、私もメルフィー王女殿下のように、とまではいかなくても、相応しい振る舞いをしなくては)
ビシッと背筋を伸ばすマリアドールだったけれど、続けられた話に再び言葉を失った。
「それで、一週間後、顔合わせのためにメルフィーがコルタウス国に行くこととなった。そこで、ジェルフに護衛騎士の一員として着いて行って欲しいと打診をしたのだ」
「ジェルフ様がですか」
「そうだ。二国間の繋がりをより強めるために、ジェルフとコルタウス国で軍の指揮を執っていた王弟デニス殿下との対面も予定されている」
それなら護衛騎士としてではなく、堂々とジェルフ・スタンレー公爵として呼べばいいのにと思っていると、フレデリックがさらに細かな事情を説明してくれた。
「今回のメインはレオニダス王太子殿下とメルフィーの婚約であって、デニス殿下とジェルフの対面はそれを強調するためのパフォーマンス的な意味がある。『ダンブルガス国の英雄』であるジェルフにいまだに反感を持つ貴族もいるので、彼らを刺激しないように護衛騎士という名目で同行し、対談はあくまでついで、という体裁をとることにした」
デニスは王弟という身分でありながら、最前線で軍の指揮をとっていた。戦いは負けたとはいえ、彼でなければコルタウス国の損失はもっと大きかっただろうと、今でも国民からの支持が強い。そんなデニスとジェルフの対談はたしかに両国にとって大きな前進となる。
それは分かるのだけれど、マリアドールの胸には別の意味で不安が浮かぶ。
(エイデンがジェルフ様のことを『悪魔の星』と言っていたから、コルタウス国民のジェルフ様への恨みは根強いはず。もしかすると、戦争当時まだ十七歳だったメルフィー王女殿下より、英雄ジェルフ様に悪意ある視線や言葉が向かうかもしれない)
そんな敵地でジェルフは大丈夫だろうか、と青い顔で黙り込んでしまったマリアドールの手に、ジェルフがその手を重ねる。
「俺のことは心配しなくていい。なに、実際に刺されたり剣を向けられるわけではないのだから、大丈夫だ。それに、滞在期間は一ヶ月ほどと聞いているから、結婚式には間に合う」
「そうかもしれませんが……」
それでも心は傷つくだろう。ジェルフは飄々としなんでもさらりとこなすので、周りは気がついていないけれど、その内面は繊細なのだ。先の戦いで自分がした決断に誰よりも苦しみ後悔しているのがジェルフなのをマリアドールは知っている。
だから、一人でコルタウス国に行かせるなんてできなかった。
「あの、差し出がましいようですが、お願いがございます。私もジェルフ様と一緒にコルタウス国に行くことはできませんでしょうか?」
「マリアドール!? そんなことを貴女がする必要はない」
「ですが、いわば元敵国に乗り込むようなもの。実害はないでしょうが、気持ちが張り詰める日々が続くでしょう。私なんて一緒にいてもたいして役にたちませんが、気晴らしの話相手ぐらいにはなります」
まっすぐジェルフを見るライトブルーの瞳からは強い意志が伺える。ジェルフはどう言えば説得できるかと逡巡したが、その答えに辿り着く前にフレデリックが声を出して笑った。
「はは、気晴らしなんてものじゃないよ。ジェルフにしてみればオアシス、天国、女神……」
「フレデリック殿下! いくらなんでも言いたい放題がすぎますぞ」
つい言葉を遮ったジェルフに、今度はメルフィーが扇で口元を隠し肩を揺らした。
「鬼軍曹が婚約者を溺愛しているという噂は本当でしたのね。ではマリアドール、貴女、コルタウス国にいる間だけ私の侍女となってくれないかしら」
「私が侍女ですか?」
「ええ、お茶は淹れられて?」
「もちろんです。私付きの侍女がおりませんから、普段から自分のことは全て自分でしております。給仕はもちろん簡単な料理や縫物、洗濯もできます」
「それは心強いわ。少しこちらとは言葉の発音が違う単語もあるけれど、それはどうかしら」
「両親が存命のときは商会を営んでいました。コルタウス国とは取引も頻繁にあったので、おそらく問題ありません」
「では決まりね。お兄様、ジェルフ様、なにか不都合がおありになりますか?」
メルフィーの問いに、フレデリックは「まったく」と首を振り、ジェルフは「おふたりの許可が出たのであれば」と肯首した。
こうしてマリアドールのコルタウス国行きはあっさりと決まり、一週間後二人は船でコルタウス国へと向かった。




