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突然の呼び出し.1

 熱が下がってからさらに十日が経ち、下絵を描き終えたマリアドールは、両手をうん、と伸ばした。


「ジェルフ様の用意してくれた解熱剤は本当に凄いわ」


 それまでは高熱で意識が朦朧としていたのに、解熱剤を飲むようになってからは熱こそあるけれど、口元まで水差しを持ってきてもらえば自分で飲むことができる。

 水分を充分に摂れることもあり、翌朝には上体を起き上がらせ、昼にはスープを飲めた。さらに夕方にはパンとサラダ、卵料理といった軽い食べ物なら口にすることも可能だ。


 足元がややおぼつかないマリアドールを心配して、ジェルフはそれらをトレイに載せ自らあーん、と食べさせた。実に楽しそうに。


 マリアドールとしてはスプーンぐらい自分で持てるし、さすがにそれは過保護すぎだと訴えたのだけれど、有無を言わさぬ笑顔で返され、それ以上はなにも言えず大人しく口を開けた。

 ひな鳥に食べさせるように楽しそうにスプーンを運ぶジェルフの姿を騎士が見たら卒倒するか、やはりマリアドールは魔性の毒婦、いや、魔女だと噂が流れるかのどちらかだろう。


 念のためもう一晩宿に泊まり、朝には当たり前のように横抱きにされ馬車で運ばれたマリアドールを、レガシー達は生ぬるい微笑で迎えた。


「気分転換に、夕食の買い出しも兼ねて散歩に行こうかしら」


 時計に目をやれば午後の二時。

 初夏の日差しに日傘は必要かと、部屋の隅に立てかけていたそれに手を伸ばそうとしたとき、階下からレガシーの声が聞こえてきた。

 画廊の声は階段を通って二階まで上がってくる。風が気持ちいいと自室の扉を開けっ放しにしていたからなおさら、その声がはっきりと届いた。


「ジェルフ様?」


 その単語を聞き取ったマリアドールが慌てて鏡の前に立つと、絵の下書きに木炭を使っていたからだろうか頬に黒い線のあとが残っている。慌ててハンカチでこすり落とし髪を手櫛で整えたところでジェルフが現れた。

 しかも両手に抱えきれないほどの薔薇を持って。


「……どうしたのジェルフ様。その薔薇は、私に? でも今日は誕生日ではないわ」

「分かっている。ちょっとこれから付き合ってもらいたいところがあって、これはお詫びの品でありご機嫌取りの意味もある。あっ、もちろん菓子も買ってきて、それはターリナに渡してある」


 いったいどういうことかしらと怪訝な顔をするマリアドールの耳に、慌てた様子で階段を上がる足音が聞こえターリナが現れた。


「ジェルフ様、すぐにマリアドール様の用意をいたしますので、下で待っていてください。あっ、ドレスはどれにすればよいでしょうか」


 ターリナが、ジェルフがマリアドールのために買った洋服ダンスの扉を全開にして聞けば、ジェルフは昼間に着るにはやや華やかなデザインのものをひとつ選んだ。


「これにしよう。イブニングドレスではないが、豪奢だ」

「たっぷりのフリルと散りばめられた宝石が見事ですわ。ではお任せください」


 ドレスのことなんて全く分からないなりにジェルフが選んだものを、ターリナがさっと手に取る。

 そこまで見届けたジェルフは「後は頼む」と言って扉を閉め出ていった。

 ギシギシと階段を踏む音が遠ざかっていく。


「ターリナ、いったいこれからなにがあるというの?」

「なんでもフレデリック殿下からお呼び出しがあったそうですよ」

「殿下から!? どうして私に。それにあまりに突然すぎるわ」


 薔薇と菓子はそういう意味かと思いつつも、納得はできない。というか、心の準備が追い付かない。

 ジェルフはフレデリックと仲が良いけれど、マリアドールにしてみれば雲の上のそのまた上、後光がさしているような方だ。


(でも、スタンレー公爵夫人になるのだから、こういうことにも慣れないといけないのよね)

 

 この国の三大公爵夫人に自分がなるなんて考えてもいなかったマリアドールとしては、分かっていてもこの状況を受け入れるのに時間と度胸が必要。一年かけて自覚してきたつもりだけれど、いざ王族と会うとなると、しかもこんなに突然、眩暈がする。


 ターリナが急いでドレスを着せてくれ、その合間にマリアドールは自分の肌に白粉をはたき紅をさす。髪を結い上げる時間はなかったので、ハーフアップにして、大きな宝石の付いた髪飾りでその場しのぎの身支度を誤魔化した。

 

 なんとかそれなりに整え階段を下りようとすると、階下からジェルフが「迎えに行くからそこにいてくれ」と声をかけられた。


「そんなドレスを着てエスコートなしで階段を下りたら足をくじくか、下手をすれば階段を踏み外すぞ」

「そうですね。たしかに下がまったく見えません。手を貸していただけますか」


 ジェルフがマナー教師をつけてくれたおかげで、高位貴族らしい振る舞いもなんとか板についてきたけれど、とっさのところでやはりボロが出てしまうと、マリアドールは気を引き締める。

 そして意味が分からないまま馬車に乗り込み、辿り着いた先に待っていたのは、お城の中庭に用意された白いテーブルと四脚の椅子だった。


(お茶会? しかも椅子の数が予想よりひとつ多い)


 ライトブルーの瞳をパチクリしていると、控えていた侍女がさっと姿を消し、間もなくフレデリックと一人の女性が現れた。

 フレデリックと同じブロンドの髪にエメラルドのような瞳。肌は透き通るように白く、首も手も華奢で折れそうなほど。可憐で庇護欲さそうその女性に、マリアドールの鼓動は激しくなる。


(夜会で遠目にしか見たことがないけれど、あの方はメルフィー王女殿下! 目元がフレデリック殿下と似ているので間違いないわ)


 隣のいるジェルフを見上げれば、表情が硬い。嫌な予感に温かな日差しの下にいるのに冷や汗が浮かぶ。


(私とジェルフ様が婚約したきっかけは、メルフィー王女殿下とジェルフ様に結婚の話が持ち上がったから。そういえば、その話が立ち消えになったとも、メルフィー王女殿下に新しいお相手が見つかったという話も聞いたことはないわ)


 ジェルフが持ってきたあの大量の薔薇、あれは、謝罪の意味もあると言っていなかったか。

 

(ジェルフ様とメルフィー王女殿下の結婚話が再浮上したとか? もしかして、これは、私をジェルフ様と別れるよう説得するために開かれたお茶会?)


 嫌な考えが頭を駆け巡り、胸がぎゅっと締め付けられる。


(英雄と謡われるジェルフ様に相応しいのは私よりメルフィー王女殿下。でも、だからと言って、いまさらこの手を離したくはない)


 無意識のうちにジェルフの腕にかけていた指に力が入る。泣きたくないのに視界が潤んできて、我慢しなくてはと唇を噛むも不安はますばかり。

 そんなマリアドールの様子に気づくことなくフレデリックは席に着くと、マリアドール達にも座るよう促した。


 定型文のような挨拶を口にし、おずおずと座ったマリアドールは、膝の上でぎゅっと手を重ねる。

 侍女がお茶を淹れ、メルフィー王女が離れるよう命じる。

 なにやら重い沈黙が流れるなか、一番に口を開いたのはフレデリックだった。


「突然呼び立ててすまなかったな」

「本当です。こういうことはやめてもらいたい」

「そう怒るな。って、マリアドール嬢、顔色が優れないけれどどうしたんだい。あぁ、俺達を前にして緊張しているのかな。別に取って食ったりしないから力を抜いて」

「は、はい」


 小さく深呼吸をして顔を上げると、メルフィー王女と目が合う。

 可愛くニコリと微笑まれ、マリアドールは躊躇いつつ口角を上げた。それが精いっぱいだ。


「えーっと、ジェルフからさっさとしろと無言の圧力を感じるから、いきなり本題に入らせてもらうが」


 とそこで一呼吸置いたフレデリックは、マリアドールにはたと視線を合わせ言った。


「今日、呼び立てたのは、妹、メルフィーの結婚についてだ」


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