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昔の友人.4

 

 お墓参りに行き、エイデンが泊まる宿に着いたのが夕暮れ。

お昼のパンケーキはすっかり消化されていたので夕食も残さずたいらげたマリアドールに、エイデンはクツクツと笑う。


「まったく、そういうところは昔と変わらないな。その細い身体のどこに、あれだけの量の食べ物が入るのか不思議でならないよ」

「人を大食漢のように言わないで。ところでベン、体調はどう?」


 出されたスープを少しずつスプーンに掬い口にしていたベンに声をかければ、ぎこちない仕草でスプーンを皿に置いた。


「緊張しているのか、興奮しているのか、怖いのか、嬉しいのかよく分かりません」


 夢を見せてもらう、なんて初めてのことに表情を固くする男性は多いけれど、ここまでオロオロしているのは珍しい。


(これは早めに始めたほうがよさそうね)


 こうやってマリアドールと対面している時間が長ければ長いほど、カチコチのカチンコチンになりそうだ。すでに食事を終えていたマリアドールは席を立った。


「準備をしてきます。一時間後にお部屋に行くわ」

「は、はい! お願いします」


 勢いよく頭を下げるベンに苦笑いをこぼしつつマリアドールはエイデンが用意してくれた部屋へと向かう。


 中規模の商人、少し裕福な平民が使う宿屋だから部屋の中に浴室なんてない。受付で頼めば桶とタオルを貸してくれた。

 もちろん、そんな対応にも慣れているマリアドールはお礼を言い、部屋に戻ると湯浴みの代わりに髪を桶の中に垂らし櫛を丁寧に通すと、濡れたタオルで身体を拭いた。

 二、三日は寝込んでしまうので枕元に水を用意し、コルセットを必要としないワンピースに着替える。そのあとは睡眠導入剤を作り準備万端と部屋を出……ようとしたところで、扉がノックされた。


 エイデンが呼びに来たのかな、と思いつつ開ければ、少し息を切らしたジェルフがいる。


「良かった、間に合った」

「わざわざありがとうございます。ベンが緊張しているのでもう始めようと思っていたのです」

「……ちなみに、その場合、俺が来るまで看病を誰に頼むつもりだったんだ」


 息を整えつつ口角を上げるジェルフの赤い瞳がなんだか怖い。マリアドールはじりっと半歩下がりつつ、曖昧な笑みを貼り付ける。


「えーと、とりあえずエイデンに。ジェルフ様が来られるまではお願いをしようかと……」

「ほぉ」


 ジェルフが一歩踏み出すので、二人の間に距離はほとんどなくなる。反射的にマリアドールが足を後ろに引けば、素早く腰に手を回された。


「エイデンとマリアドールが旧知の仲だとは理解しているけれど、ほとんど意識のない、そんな無防備な姿を晒すほど気心が知れているとはな」

「い、いえ。そういうことはないのですが、エイデンにとって私は妹のようなものですし」


 ね、と笑ってみるも、ジェルフの赤い瞳は冷たい。


(たしかに、婚約者のいる身として少々軽はずみだったかもしれないわ)


 ジェルフの立場に立って考えてみれば、いい気はしないだろうな、と今更ながら思いいたった。婚約者としての自覚が足りていなかったと反省しつつ「ごめんなさい」と言えば、ジェルフが大きく息を吐く音がした。


「別に怒るつもりはない。すまない、ちょっと嫉妬しただけだ。で、今からベンの部屋に行くのだな?」

「はい、隣がそうです」


 答えつつ、頬が赤くなっていく。


(嫉妬? ジェルフ様が私に嫉妬してくれたの)


 いつも年上らしく堂々として何事にも動じないジェルフの口からさらりと溢された言葉にマリアドールの鼓動が早くなる。


(だめ、こんなことで喜んではいけないわ。今からベンに夢を見せるのだから、平常心、平常心)


 軽く深呼吸し頬の火照りを抑えると、部屋を出る。マリアドールに続きジェルフも部屋を出て、ベンの部屋の扉を叩けばエイデンが顔を出した。


 ジェルフの姿を確かめると「向かいの部屋にいるので、手伝うことがあれば仰ってください」と軽く頭を下げ部屋を出ていく。入れ違うように入ったマリアドールは、さっそくベンに睡眠導入剤を手渡した。


「マリアドール様のお身体にご負担をおかけして申し訳ありません」

「大丈夫よ。ジェルフが質の良い解熱剤を手に入れてくれてからは、随分楽になったの」


 異国から輸入したそれは、なんでも優秀な女性研究者が作ったものらしい。

 ベンが横になり瞼を閉じると、ジェルフは壁際にある椅子に腰を掛けた。

マリアドールはベッドサイドに座り、ベンの胸が規則正しく上下するのを確認するとその手を握る。


(絵は小さくていいから二枚欲しいと言っていたわね)


 あらかじめ聞いたベンの希望は、若い頃の妻の姿と、晩年、趣味の刺繍に勤しんでいる横顔だった。その横顔をこっそり盗み見るのが好きだったと、照れながら笑うベンにマリアドールの心の奥が熱くなる。


 静かに目を閉じれば意識が吸い込まれていく。


 沢山ある記憶の断片の中から、もっとも古そうなのを選び取り、手に取ると紐解くようにして記憶を見る。


 現れたのは十代後半の女性。

 そばかすが可愛らしく、その年齢の女性特有の輝くような笑顔が印象的だ。


 場所はどこかの公園だろうか。もしかしたら初めてデートした場所かも知れない。


 紅葉した木の下をベンと少しだけ距離をとって歩く姿が初々しい。穏やかな小春日和の中妻の赤い髪が跳ねるように動いている。


 その笑顔をしっかり記憶したマリアドールは、今度は新しい記憶を探す。


 古いものより鮮やかなそれは見つけやすく、部屋の隅にある揺り椅子に腰掛けながら刺繍をする老婦人の横顔が現れた。


 冬だろうか、暖炉の火がパチパチと爆ぜ、老婦人の頬に赤みがさしている。近くには丸い小さなテーブルがあり、飲み掛けの紅茶と茶葉の入った缶、本が何冊か重ねられていた。

 一つは子供が読む絵本、もうひとつは神話、その上には刺繍のデザインが書かれた本が開かれたまま置かれている。


 冬のごく当たり前の日常。

老婦人が顔を上げまだ途中の刺繍を見せるも、ベンの返事はそっけない。

 老婦人は「あなたはいつもそれね」と若い頃の面影が残る笑顔をみせると、また視線を刺繍に戻した。


 マリアドールの胸が暖かなもので満ちるのと同時に、背中から引っ張られるような感覚に襲われる。


(もうすぐ目覚めるわ)


 頭の痛みと目眩、全身が火照るように熱くなりマリアドールは目を開けた。

その先には、穏やかな顔で眠るベン。と、同時に身体がぐらりと揺れ、逞しい腕に抱き止められた。


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