毒婦、思わぬ対決に慌てる.1
2話目です
馬車から見る景色は、ほんの少しだけれど秋めいてきた。
マリアドールの膝の上にあるのは、ハーレン侯爵に届ける絵。
婚前旅行から帰って二週間が経っていた。
ハーレン侯爵の旅行は予定より長くなったらしく、昨日王都に戻ってきたと連絡があり、こうして絵を持って行くこととなった。
(予定通り帰ってきたとはいえ、旅行中は私達もいろいろあったわ)
廃坑から帰ると、一晩中エントランスで待っていた従者とクレメンスが飛び出してきた。
ジェルフが毒蛇に噛まれたことを話すと、念のためにとすぐ医者が呼ばれ、マリアドールには温かい紅茶が用意された。
クレメンスが嬉々として渡してきたのは、鉛白と同じ白色の絵の具。
すでに水と油で溶いてキャンバスにも描いていた。
どの色も絵の具として使えそうだ。
ジェルフとも相談して、まずは赤色と白色の販売を進めることになった。
刀鍛冶はマーベリックだけだけれど、鋳物師は何人かいる。彼らに協力してもらい、絵の具の材料となる粉末を作ってもらう手はずを整え王都に戻ってきた。
(あとは販売経路をどうするかよね)
画家はパトロンに囲われていることが多く、横の繋がりが少ない。マリアドールの画廊で絵の具を販売することは可能だけれど、ここは王都一歴史のある画廊を持つハーレン侯爵に相談したいところだ。
(それにしても、ジェルフ様はいったいどういうおつもりかしら)
突然抱きしめられたあの夜。
始めは緊張していたけれど、初めての乗馬に廃坑巡りで疲れていたマリアドールはいつの間にか眠っていた。
目覚めたのは、ジェルフの膝の上。
左足を枕に借りて眠っていた。
慌てて起き上がれば、淡い朝日を浴びたジェルフが壁にもたれるようにして眠っている。
気のせいか、その寝顔は憑き物が落ちたように穏やかに見えた。
そっと手を伸ばし頬に触れると冷たい。
夏とはいえ山の上は冷える。薪を探すため手を離そうとしたところで、大きな手がマリアドールの手を握った。
「おはよう」
「お、おはようございます。申し訳ありません、私、眠ってしまったみたいで。重かったでしょう? 足は痺れていませんか?」
矢継ぎ早の質問は照れくさいから。うっかりとはいえ、男性の膝の上で目覚めるなんてあり得ない。
真っ赤になるマリアドールの髪をジェルフが撫でた。見つめてくる赤い瞳がいつもと違う熱をはらんでいるように思え、マリアドールは不思議そうに首を傾げた。
「ジェルフ様?」
パチパチとライトブルーの瞳を瞬かせれば、ジェルフは暫くその様子を見たのち、ガックリと肩を落とした。
「ど、どうしました? やっぱり毒が抜け切れていませんでしたか?」
「いや、大丈夫だ。伝わったと思っていたことが、全く通じていないことに衝撃を受けただけだ。マリアドールは男女の機微にどこまで疎いんだ?」
どこまで、と言われても分からない。
というか、まるで疎いことが前提のような言い方だ。
「魔性の毒婦ですから」
「そうだった。さすが、自称、魔性の毒婦だ」
呆れたように喉を鳴らし笑うので、魔性と言ったのはジェルフ様だと頬を膨らませながら言うと、そうだったとさらに笑われた。
まったく意味が分からない。
その挙句……
(どうしてあの時、ジェルフ様は私の額にキスをされたのかしら)
指でその場所に触れれば、もう随分時が経つというのに、まだ熱を持っているかのように思えた。
(しかもあの洋服は何!?)
一週間前、沢山の洋服や宝石がマリアドールの家に届けられた。
贈り主はもちろんジェルフで、デイワンピースから夜会で着るドレスまであり、宝石もルビーをメインにマリアドールの瞳の色と同じブルーダイヤや、アメジストなど多種多様だ。共通項はどれも一級品。
書類だらけのマリアドールの部屋には全ては入りきらず、本棚を一つレガシー達の部屋に移動し、洋服ダンスを一つ用意した。
レガシー曰く、その洋服ダンスまでジェルフが買ってくれたという。
(確かに貧乏男爵だけれど、それぐらいのお金はあるのに)
マーベリックに徹夜で岩石を燃やしてもらった時にジェルフが払ったお金も、あとから返すつもりでいたのに受け取ってもらえなかった。
(仮とはいえ、ジェルフ様の婚約者だからそれなりの服装をしろ、ということかしら。それじゃ、王女殿下の結婚が決まるまでこれが続くというの?)
仮の婚約者はジェルフから頼まれたことだから、ここは甘んじて受け取るけれど、別れる時には返すべきか悩むところだ。
(別れる……そうよね、いつか、そういう時がくるのよね)
胸がチクリと痛んだ。
チクチク、チクチク。なんだ、これは。
出会ってまだ二ヶ月も経っていないのに、ジェルフのいない生活を考えると、急に景色が色褪せてしまう。
髪を撫でる大きな手、抱きしめられた温もり。
濡れたように輝く黒い髪と、切れ長の赤い瞳。
思い出したら、どんどん溢れてきた。
どうしよう。止まらない。
やがて馬車はハーレン侯爵邸の前で止まった。
今日一日だけ御者を頼んだ男が、恭しく扉を開ける。
だけれど、いっこうにマリアドールが降りてこない。
不思議に思い、馬車の中を覗き込んだ御者が見たのは。
――真っ赤な頬に手を当て、呆然としているマリアドール。
まるで今、とっても大事なことに気づいたかのように、ライトブルーの瞳が丸くなっている。
「マリアドール様? 着きました」
「ありがとう。あのね、本には恋って落ちるものだと書いてありましたが、あれは嘘ね。知らないうちに始まるものだわ」
「はぁ?」
御者がキョトンとする中、マリアドールは絵を持ち馬車を降りた。
やっと気づきました!
そして、あの御令嬢が再登場します。
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