ジェルフの過去.2
1話目
話し終えた俺は、古びた小屋の壁に背を預けた。
毒はマリアドールがほとんど吸い出してくれたけれど、腕には微かにしびれが残っている。
これで手綱を握るのは危ないと、馬を止めた近くにあった小屋で一晩を明かすことにした。
おそらく、鉱山で使う道具を仕舞っていたのだろう。
床板はささくれ、砂なのか土なのか小石なのか……とにかくざらりとした床に座った俺は、すべてを話した。
今まで誰にも語ったことがない話だ。うまく伝わったか分からない。
「痛みで気を失いかけたが、俺を探す声が遠くから聞こえてきた。まだ、戦いは終わっていない。中隊長が行方不明になるわけにもいかず、足を引きずり声のする方へ向かったのだが、途中で意識が途絶えてしまった」
次に気づいた時は野営のテントの中だった。
俺の足の怪我は、大勢の敵軍と戦ったときに負傷したのだと周りは思っていた。
敵を皆殺しにした時は足を引きずってなどいなかったが、戦闘中に痛みを忘れ後から大怪我をしていたことに気がつくことは稀にある。
「勝手に解釈され、本当のことを説明することもできず俺は英雄になったんだ」
他人のために尽くしているマリアドールが毒婦と呼ばれ、自分の矜持のために部下の命を危険にさらし狂気に狂った俺が英雄と呼ばれる。
皮肉な話だ。
ガラスの割れた窓枠が、風でガタガタと音を立てる。
雲間から細い月が姿を現し、弱々しい光が蜘蛛の巣を照らした。
部屋の中には、棚と小さな机、それから木箱がうず高く積まれていた。
そんな雑多な部屋の中、月明かりに照らされるマリアドールの銀色の髪がこの場に不釣り合いに輝いている。
ぽろり、とまるで音が聞こえた気がした。
ライトブルーの瞳は水の膜を張ったかのように潤んでいて、そこから雫が頬を伝って落ちる。
「抱きしめていいですか?」
埃と黴だらけの小屋に、透き通った声がした。
意味を理解する前に、ふわりと温かいものが俺を包んだ。
マリアドールの甘い匂いがする。
さらりとした髪が俺の頬に掛かり、マリアドールは俺の頭を抱えたまま鼻を啜った。
「話してくださってありがとうございます」
「……俺は英雄なんかじゃない。自分のことしか考えない身勝手なヤツなんだ」
「そんなことありません。だって、パーティで見た騎士の方は皆、ジェルフ様を慕っていましたわ」
「あれは、偶像の英雄を慕っているだけだ。ずっと温和なふりをし、感情を表さないようにしてきた。怒りに支配され狂暴な本当の俺が現れるのが怖いからだ」
人当たりがよく温厚で情に厚い人間。そんな人間を演じていれば、本当の俺を封じることができると思った。それでいて、決して本音は見せず飄々と人との距離を置いて生きてきたのだ。
「それは違います。ジェルフ様は優しい方ですわ。なんの根拠もない私の話を信じてくれました。領民を救ってくれると約束してくれました。私が今まで見てきたジェルフ様は作り物ではありません」
「買いかぶり過ぎだ。俺は結局のところ、父と同じだ。プライドが高く、怒りで我を忘れ人を傷つける。あの時、沢山の人間が流した血の中に、確かに俺は立っていた。それに、指導係をしているのだって、騎士のためではない。父への反発からだ。片腕を使えず騎士を辞めた父と同じ道を辿りたくなかったから引き受けたにすぎない」
両手でマリアドールの腕を掴み、そっと俺から離す。
床にペタンと座り、見上げるマリアドールは純粋無垢な顔で辛そうに眉根を寄せた。
聖女とは、彼女のことをいうのではないだろうか。
触れて汚すのが恐れ多い、そんな尊い存在に見えた。
彼女の前に両手のひらを広げ見せる。
「この手は血で汚れている。俺には悍ましい血が流れている。この血は俺で途絶えさせなければいけないんだ」
「……だから家族を持ちたくないと仰ったのですね」
妻を娶り、子ができた時。
父が俺にしたように、俺もその子供を傷つけるかもしれない。
いや、きっと傷つける。そういう呪われた血が俺にはあるのだ。
あの、血だまりに浮かんだ剣に映った俺の顔。あんな顔を大切な家族にさらしたくはない。
マリアドールはそっと俺の手のひらを撫でた。
細く折れそうな指が剣だこだらけの手のひらを踊るように滑っていく。
そのまま両手で俺の手を包むと、頬に当てた。
まるでぬくもりを分け与えるかのように、ごつごつとした手に頬ずりをする。
「ジェルフ様の手は大きくて温かいです。ジェルフ様、間違えないでください。ジェルフ様とお父様は違う人間なのです。ジェルフ様が剣を振ったのは部下を守るため。傷つけ虐げるための暴力とは別のものです」
「だが、この手は血で汚れている」
「汚れていません。確かに敵の命を奪ったかもしれませんが、それと引き換えに守った命もあります。もしあのまま戦が長引いていたら、もっと多くの人が亡くなったでしょう。守るための暴力とただ傷つけるだけの暴力を一緒にしてはいけません」
片方の手を離し俺の胸に当てると、ライトブルーの瞳をまっすぐこちらに向けた。
「ジェルフ様の心はジェルフ様だけのものです。誰のものでもないし、誰かと同じことはありません。血の繋がりなんて、大したことないと思いますよ。だって、私の描く絵は「画家ギルバート」の足元にもおよびませんもの」
「でも、夢を見させることができる。それは母親から受け継いだものだろう?」
「そうです。でも、母が見せることができたのは亡くなった子供、祖母は思いを伝えられなかった愛しい人でした。皆ちょっとずつ違うのです。ジェルフ様の剣の腕はもしかしたらスタンレー公爵家の血筋かも知れません。でも、それをどういう風に活かしていくかは、やっぱり人それぞれなんだと思います。ジェルフ様は人を守るために剣を使える方です」
違う?
本当にそうだろうか。
でも、あの剣に映っていた顔は……
「守った部下の顔を思い出してください。皆が安堵し、ジェルフ様に感謝していたのではありませんか。その人達が家族と再会した時を想像してください。きっと、生きて帰ったことを皆が喜んだはずです」
部下の家族が俺に会いに来たことがあった。
腕に生まれたての子供を抱えた部下は、涙ながらに頭を下げた。
子供に会わせてくださってありがとうございます、と。
「もう一度言います。ジェルフ様とお父様は別の人間です。ジェルフ様はお父様のように決してなりません」
「……俺は、家族を持ってもよいのだろうか」
「もちろんです。きっとよい父親になりますよ」
「……人を愛してもよいのだろうか。その人を抱きしめても許されるのだろうか」
「はい。そのような人が現れたらぜひ……」
そこでマリアドールの言葉が途絶えた。俺が抱きしめたからだ。
「ジェルフ様?」
「少しこうしていたい」
銀色の髪を撫でると、ことんと俺の胸に額をつけた。そっと髪を掻き上げると耳まで赤くなっている。
月の光が照らす俺の手が、マリアドールに触れるたびに浄化されるように感じた。
次話から王都へ戻ります。あの御令嬢が再登場。
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