ジェルフの過去.1
暴力あり
「それでも俺の息子か! お前はスタンレー公爵の跡取りなんだぞ」
激しい罵倒と共に身体に痛みが走る。
バシッと鈍く鳴る鞭の音は、そのまま骨に響き肉を割く。
(お母様!)
身体を丸め小さくなり、涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃ。脳裏に浮かぶのは、もはやはっきりと顔を思い出せない母親の残像。
鞭と罵声はまだ終わらない。
昔はこうではなかった。
母がいたころは三人で食卓を囲い、笑い声が絶えない家族だったんだ。
もともと母は身体の弱い女性だった。俺を産んでから体調を崩すことが多くなり、五歳の時流行病で亡くなった。
父が倒れたのはそれから二年後。
母が亡くなってから呑む酒の量が増えたことが原因だと医者は言っていた。
幸い命は取り留めたが左手に麻痺が残り、第一騎士団長を辞職することになった。
指導役としての在留を求められたが、プライドの高い父はそれを断ったようだ。
代々、第一騎士団の団長を務めていたスタンレー公爵家。それが自分の代で途絶えたことに彼のプライドは傷つき、そしてその矛先は俺へと向かった。
「そんなことで騎士団長になれると思っているのか!!」
繰り返される叱責。
いつの頃からか、厳しい訓練が当たり前の日常となった。
朝は五時に起き、走り込みと素振り。
朝食後もひたすら剣を振るい、午後からは筋力を上げるトレーニング。
そして夕食後は父と剣を交えた。
左手を麻痺しているとはいえ、第一騎士団の団長まで務めた男に、まだ身体も出来上がっていない子供が敵うはずがない。
初めはシラフだった父は、そのうち酩酊しながら剣を握るようになった。俺を打ちのめすことで、まだ騎士として衰えていないと確認するかのように、容赦なく剣を振り上げた。
負ければ、そんなことでスタンレー公爵となれるのかと罵倒され鞭打たれ、時には火傷も負わされた。
逃げることのできない日々、俺はひたすら強くなることだけを考えた。
十五歳の夏。
初めて俺が父に勝った。
父の剣が宙を舞い地面に突き刺さったその時、やっとこの地獄から解放されると思ったんだ。
でも違った。父はいきなり俺を殴り、馬乗りになると何度も拳を振り下ろした。
「これぐらいでいい気になるな。俺はこんなもんじゃない。馬鹿にするな」
そのあとのことは覚えていない。
目が覚めたらベッドの上にいて、顔には包帯が幾重にも巻かれていた。
絶望したよ。
もしかして、父に勝てば褒めてもらえるんじゃないか、昔のように笑って食卓につけるんじゃないかって考えていた。
でも、それは全て俺の妄想だったんだ。
幸いなのはそれ以降、父と剣を交えることがなくなったこと。
だからといって暴力が終わったわけではない。
理由なんていくらでも作れる。
成績が悪い。
目つきが悪い。
口のききかたがなっていない。
いい加減気づいたよ。こいつは俺を殴りたいだけなんだって。
それならいっそうのこと、そのプライドを打ち砕いてやろうと思った。平和で何の武勲も得られないまま引退した父を見返してやろうと。
そんな理由から俺は騎士になった。
最年少で第一騎士団の副団長となり、中部隊をもらって間も無く西の国境で戦争が始まった。
やった、と思ったよ。
これで父を見返せると思った。
最前線の一番危険な役を自ら志願し戦地に向かった俺は、そこでも存在を周りに示した。
さすがスタンレー公爵の血筋だ、俺がいれば勝てるとまで言われ、調子にのっていたのだろう。
隊長の命令で奇襲攻撃をかけるとき脳裏に浮かんだのは、これに成功したら父を超えられるということだった。
しかし、奇襲攻撃は敵に見抜かれ、野営をしていた陣は取り囲まれてしまった。
俺がもっと慎重になっていれば、こんなことにならなかったはずだ。
父を超えることばかり考え勇み足になっていた自分を責めた。
見返したいがため、自分の矜持のために俺は部下を危険にさらしてしまったんだ。
国のため、国民のためと口にしながら、結局のところ俺は自分のことしか考えていなかった。愕然としたよ。
でも、敵はすぐそこにいる。
自分の命はどうでもよいと思った。
せめて、こんな俺を慕ってくれた部下だけでも生き延びてくれればと。
……いや、生かさなければいけないんだ。
俺の馬鹿な矜持に巻き込んだ部下達を守る、そのことしか頭になかった。
気づいた時には敵兵に突っ込んでいた。
ただひたすら剣を振った。
技術とか関係なく力技だ。
そのうち剣は血で濡れ滑り切れなくなり、それを投げ捨てては、敵の剣を奪ってまた振り翳した。
どれぐらい時が経っただろう。
正気に戻った時、辺りは血の海だった。
倒れた男が握っている剣に映り込む男の姿を見て、ゾッと身体中が粟だった。
そこにいたのは、血まみれのあいつ。
狂ったように俺を傷つけた父と同じ顔をした俺が映っていた。
――中隊長! やりましたね! 凄い鬼神だ!
俺のことを言っているのだろうか。
言葉が遠い。
まるで水の幕を通し聞こえるような声に振り返りながら、問いかけた。
「全員生きているか」
「はい! 怪我人はいますが重傷者はいません! 中隊長のおかげです!」
くぐもった声が返ってきた。
堪らず、ふらふらと部下達から離れるように茂みへと足を向けた。追ってくる部下もいたが、怪我人の手当を命じると踵を返した。
俺は父と一緒なんだ。
正気を失い一線を越えた俺は、憎いあいつとそっくりだった。
足元に湧き水が流れていて、そこで真っ赤に染まった手を洗った。でも、洗っても、洗っても手にこびりついたかのように血が取れない。周りがやけに赤く見えたのは目に入った血のせいか、俺の頭がおかしくなったのか、どちらだったのだろう。
嫌だ。
もう戦いたくない。
遠くから応援部隊の駆けつける音が聞こえた。
この勝利を皮切りに本陣に食い込むのだろう。
でも、俺はもう剣を握りたくない。
人を殺したくない。
あいつと同じ人間になりたくない。
手近にあった石は、俺がギリギリ持ち上げれる重さだった。
ちょうどよい。
これで全部終わる。
バキッッッ
石を右膝に落とすと同時に激しい痛みが俺を襲った。
朦朧とする意識の中、笑い声が聞こえた。
誰の声だ? 父か、それとも俺か。
いや、そんなことどうでもいい。
これで俺は二度とあいつになることはないのだから。
ジェルフが足を引きずっている理由です。
次回は時間軸を戻してジェルフ視点を続けます。
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