廃坑の街.5
本日1話目
大きなリュックを背負ったジェルフと一緒に馬車に乗り込んで三十分。舗装されていない道は曲がりに曲がっていた。
揺れる度にジェルフが支えてくれるけれど、それはそれで距離が近く困ってしまう。
さらに、馬車が止まりやっと着いたと思ったら、ここからは急な山道だから馬で行くというではないか。
(だから途中のお店で乗馬服を買ってくださったのね)
てっきり、廃坑に入るにあたり、ワンピースがダメで動きやすい服装に着替えさせられたのだと思っていたけれど、そうではなかった。
かつては坑夫達が住んでいたという、川の側に建てられた三階建ての宿舎の軒下に馬車を停めると、ジェルフは馬に鞍をつけ始める。
御者は馬にやる水を川に汲みにいき、ここで帰りを待つらしい。
馬の前で、マリアドールは、むむっと口を尖らせた。
目の前には鞍のついた馬が一頭。馬車は二頭引きだからもう一頭いるけれど、一人では馬に乗れないのだ。
「さあ、どうぞ、奥様。俺の行くところ地の果てまで一緒に来てくれるんだろう?」
「も、もちろんですわ。……これ、落ちませんわよね」
「ははっ、ちゃんと支える。マリアドールは後先考えず行動しすぎだな」
いきなり仮初の婚約を持ちかけた男に言われたくはないけれど、確かに考えが足りていなかった。
馬に乗るのは初めてで、ジェルフの手を借りなんとか跨ったものの、想像していたより視線が高い。
(ちょっとバランスを崩すと落馬してしまいそう。こんな不安定な乗り物に、騎士はよく乗っていられるわね)
片手で手綱を握り剣を振るなんて、絶対無理だ。
それをいとも簡単にやってのけていた男が、軽々とマリアドールの後ろに乗ると、慣れた手つきで手綱を握った。
「では行くぞ!」
「待ってください。心の準備がまだ……っきゃ」
バシっと手綱を振る音がして馬が走り出す。いや、実際には早歩き程度なのだけれど、直接身体に当たる風のせいで速く感じてしまう。
馬の動きに合わすようにゆらゆらする身体を、背後からジェルフが支えてくれた。確かにこれなら落馬の心配はないけれど……
(距離が近いですわっ)
毒婦とは名ばかりのマリアドールは、背中に感じる温もりに頬を真っ赤にする。触れないでおこうと思うのに、時折硬い胸や腕、肩に身体が当たってしまう。
(うっ、せめて背後にいるジェルフ様に顔を見られないのが救いだわ)
とうに毒婦でないのはバレてしまっているけれど、こんな真っ赤な顔を見られるのは恥ずかしい。早く着かないかと、はぁと息をはくマリアドールだけれど、その耳まで赤くなっていることに本人は気がついていない。
「いつも思うが、よくそんな風で毒婦なんてやってこれたな」
「知りませんわ。だって周りが勝手に言い出したのですもの」
「ハハ、そうだった。とすれば、こんなマリアドールを知っているのは俺だけか」
と、いきなりジェルフの指が伸びて来て、髪を耳に掛ける。ピクリと、マリアドールが肩を揺らすと面白そうにクツクツと喉を鳴らした。
「分かっていらっしゃるなら揶揄わないでください」
「そのほうが耳がよく見える」
「み、耳ですか? あっ、物音に気をつけろということですね。山ですから動物がいますし……てここに危険な動物がいるのですか!?」
「いや、いない。……本当に、これのどこが毒婦なんだ」
何やら呆れているようだが、背後でため息を吐かないで欲しい。首筋に当たる息にゾワリとしてしまう。全くもって、色香の無駄遣いだ。
途中で馬を降り小さな小屋の前につないだ。その後は、かろうじて道らしき道を進むことさらに三十分。剥き出しの岩肌に足を取られ、ジェルフに手を引っ張られ、やってきたマリアドールの前に二メートル四方程の穴が見えてきた。昔の採掘現場だ。
「ソリックはよくここまで来れましたね」
「この辺りの子供は十歳で馬の乗り方を教わるし、子供は身軽だからな」
穴は他にも幾つかある。もっと上の方にもあるし、入り口の小さなものや縦穴のようなものまであるらしい。
その中で詳しく地図に描かれていたのが、今マリアドールの前にある穴だ。ジェルフは地図を片手に穴の中に入ると、天井や壁に触れ強度を確かめる。
「この穴が一番入りやすいようだ。色の変わる岩石を見つけたのもここらしい」
「確かに、入り口が大きいし中も広いですね」
覗き込めば、暫くは緩やかな下り坂が続いている。
天井は背の高いジェルフでも腰を曲げなくてよいほど高い。
ジェルフは、背負っていたリュックを降ろすと中からカンテラを取り出し火をつけた。
「すまないが、少し待っていてくれないか? 穴の中も調べたい」
「それなら私も行きますわ。あの岩石が取れる穴なのでしょう」
ちょっと興奮気味のマリアドール。
子供達が行ったのであれば、そう危険ではないだろう。
しかし、ジェルフの顔は渋い。
「この地図がどこまで正確か分からない」
「危ないと思ったら引き返します。それに絵の具になる岩石なんて聞いたことありません、是非、どういう所にあるか見たいですわ」
ジェルフは地図をもう一度見て、この辺りまでなら大丈夫だろうという箇所を指差した。
「では、この三叉路までにしよう。時間としては三十分ぐらいだ」
「ありがとうございます。ところで、所々に書かれているバツ印はなんでしょうか?」
「恐らく、これより先は危険ということだろう。そこは避けていこう」
二人は、およそ二キロ先を目標とし、カンテラの灯りを頼りに穴の中に入っていった。
暫くは小石混じりの緩やかな足元が続いたけれど、次第に転がる石が大きくなる。真っ暗で狭い場所というのは、それだけでなんだか恐ろしい。
「ここ、崩れ落ちませんよね?」
「恐らく大丈夫だろう。この辺りは岩盤も硬い」
ジェルフが拳で岩盤を叩けば、小さな破片がポロリと落ち、コロコロと転がっていく。マリアドールがそれを目で追った。コロコロ、コロコロ。
「ま、これぐらいは平気だ」
「本当ですか!?」
いつもの飄々とした表情に見えるけれど、よく見れば口角が引き攣っている。
途中で何度も道が分かれ、ジェルフはその度に地図を出して確認しながら進む。そろそろ折り返そうかという地点で立ち止まると、ぐるりと周囲の岩を見回した。
「どうやらここで件の岩石を採掘したようだな」
地図には、この辺り一帯が大きな丸で囲まれていた。
「ちょっと掘ってみるか」
リュックの中から先の尖った採掘道具を二つだし、一つをマリアドールに渡す。
マリアドールが穴に入るのを反対していたものの、こうなることを予想していたようだ。
恐る恐る壁を削るマリアドールに対し、ジェルフは採掘道具を勢いよく壁に突き刺した。ごろりと拳大の石が採れる。本当に大丈夫か?
「カンテラの灯でも、岩石の周りが白く浮き上がるらしい」
その言葉の通り、岩石を照らせば工房で見た時のように白い縁取りが見えた。
「こんなに簡単に採れるなら量産も可能でしょうか」
「おそらく。そういえば、特に赤色に興味を持っていたようだが気に入ったのか?」
マリアドールはぎこちない手を休めることなく、ジェルフに聞いた。
「ジェルフ様は、絵の具が原因で画家が死んでいることをご存じですか?」
「いや……初耳だがそれは本当なのか?」
それはほとんど知られていない話だ。
この国で画家の地位が低いこともあるけれど、絵を描いている画家自身がそのことを知らない場合も多い。
「シンシャと呼ばれる赤い染料は、東の国では漢方や顔料としても使われています。そのせいで危険性を知らない人が多いのですが、実は有害な物質が含まれているのです。奇麗な赤色なので、パトロンからそれを使うよう指定されることもあって、そうなると画家は断れませんからね」
「そのシンシャと、あの岩石の赤色が同じだったのか?」
「はい。よく似ていました。あれが絵の具として使えるのであれば、代用できるでしょう」
それともう一つ、マリアドールがこだわっていた色が白だ。
こうしている今も、マーベリックが岩石を燃やしてくれている。
「白も同じです。『鉛白』と言われ、その発色の良さから人物画に好んで使われています。特に女性の肌を白く描くときに、鉛白を使うとパトロンが喜ぶそうです」
文字通り、その絵の具には鉛が使われている。
「そんな危険なものが絵の具に使われていたなんて知らなかった。マリアドールもそれらを使っているのか?」
「私はパトロンを持つ画家ではありませんから使っていません。父からも禁止されていましたし。でも、クレメンスは……」
クレメンスもマリアドールの父親から使わないよう言われていた。
でもどこで手に入れているのか、最近鉛白を使うようになったのだ。その都度叱ってはいるけれど、のらりくらりと躱されてしまっている。
「あの子、時々路上で絵を売っているんです。その時知り合った絵描きから教わったのでしょう」
鉛白を使う画家は多い。
皆使っているのだから大丈夫、と子供なら安易に考えそうだ。
「だから、あれほど強くマーベリックに頼んでいたのか。マリアドールにしては押しが強いと思っていた」
「昨日の朝も、クレメンスが鉛白を使っているのを見ていたので、つい、口調がきつくなったかも知れません。マーベリックさんには無理をさせてしまいました」
コロリ、とマリアドールの足元に小さな石が転がった。
それをカンテラで照らすと、ポケットに入れる。
「ジェルフ様にも我儘を言ってしまいました。採掘場所も見ましたし、もう帰りま……」
「危ない!!」
ジェルフを振り返ろうとしたとたん、突然、腕を引っ張られその胸に抱き留められた。
ジェルフが短剣を腰から抜き、右腕に振りかざす。
何かを切断するような音と、頬に微かに水滴がかかった。
「ジェルフ様?」
「マリアドール! どこも噛まれていないか?」
(噛まれる?)
何のことか分からず目線を動かせば、地面に落ちた細長い物体が目に入った。
「こ、これは毒蛇? ジェルフ様、腕を見せてください」
「大丈夫だ」
「そんなわけないです。いいから、早く」
強引にシャツのボタンを外しみれば、小さな二本の牙の跡がある。
マリアドールは躊躇うことなくそこに口をつけ、毒を吸い上げた。
「やめろ、口の中を怪我しているとマリアドールまで毒に侵されてしまう」
「大丈夫です。ちょっと黙ってください」
ポケットからハンカチを取り出し傷口の上を強く結ぶと、再び毒を吸い上げ地面に吐く。
それを何度も繰り返しているうちに、腕の赤い腫れが治まってきた。
「もういい、本当に大丈夫だ。この蛇の毒に侵されると皮膚が赤く、次いで紫色に変わる。赤みが治まってきたところを見ると、毒はあらかた吸い出してくれたようだ」
「良かったです。水を貸してください。傷口を奇麗にします」
「その前に口を漱いでくれ。見たところ大丈夫そうだが、心配だ」
言われたとおり口を漱ぎ、次にジェルフの腕に水をかけようとした。
と、そこで初めてその腕が傷だらけなことに気が付いた。
毒を吸い出すことに必死だったけれど、はだけた服の下から鍛えられた上半身が露わになっている。
そして無数の傷跡がそこにあった。
(これは、剣の傷跡ではないわ。まるで鞭で打たれたような……それに火傷のあともある。どれも、数年前のものではなく、何十年も前の……)
そこまで考えて、マリアドールはジェルフを見上げた。
いつもは飄々としている赤い瞳が、辛そうに細められていた。
「誰にされたのですか?」
「……父親だ」
それは紛れもなく、折檻のあとだった。
マリアドールは一度剣の訓練中にジェルフのお腹
を見ていますが、遠目でチラリだったので傷に気がつきませんでした。ジェルフの傷は肩から背中にかけてが大半です。長袖で剣の訓練をしていた理由は傷を隠すためです。
次話、ジェルフの子供時代。少し辛いお話になります
お読み頂きありがとうございます。興味を持って下さった方、是非ブックマークお願いします!
☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。




