廃坑の街.2
本日2話目
次の日。
いつもより遅く起き部屋で朝食を摂ったマリアドールは、ベランダで食後の紅茶を飲むことに。
向かいの山を眺めていると、すぐ下で土を蹴る足音がした。ずっと続くその音を不思議に思い手すりから下を見ると、ジェルフが剣を振っている。
かつて隣国との戦いにおいて英雄とされた男だけあって動きが俊敏で、足を悪くしているとは思えない。
(歩く時は軽く足を引きずっているのに、今は負傷しているなんて思えないわ)
よく見ると、右足の動きが最小限で済むような剣さばきをしている。
剣技のことはまったく分からないけれど、その素早い動きは普段飄々としているジェルフとは違う。
「格好いい……」
思わず、といった感じで口から溢れた言葉にマリアドールは口を押さえ赤くなる。
(わ、私ったら何を。で、でも、あれだけの美丈夫が剣を振るっているのを見たら、誰だってそう思うわ)
しかし、なんだろう。この、胸の高鳴りは。
一度はひっこめた頭をそっと出し、ジェルフの様子を目で追ってしまう。
ジェルフが剣を地面に挿し、服の裾で汗を拭いた。ちらりと鍛えられた腹筋が見え、マリアドールは慌てて隠れるようにその場にしゃがみ込む。
(こ、これではまるで覗き見をしているみたいだわ。は、背徳感が半端ない! そ、そうだ、タオルを持って行ってあげましょう!)
コソコソしているから後ろめたいのだ。
マリアドールはボストンバッグがらタオルを引っ張り出し、台所で水差しとグラスをもらうと、裏にある井戸へ向かった。冷たい水にタオルを浸し、ぎゅっと絞るとジェルフの元へ向かう。
午前中とはいえ夏の日差しの下、剣を振るうのだから当然暑いだろう。
それにジェルフは長袖を着ている。
キリが良さそうなところで声をかければ、構えていた剣を下ろしてジェルフが振り返った。
「水分を取らないと倒れてしまいますよ」
「ありがとう、いいタイミングだ」
濡れたタオルを腕にかけ、水差しから水をグラスに注ぎ手渡す。受け取ったジェルフはごくごくと美味しそうに喉を鳴らしそれを飲み干した。次いで、濡れたタオルを手渡すと、これまた気持ちよさそうに顔と首を拭く。
マリアドールが住んでいるのは、平民が住まう下町。
当然お風呂なんてない家がほとんどで、夏場は上半身裸で水浴びをする男を目にすることもある。
それに対し、ジェルフはボタンを全部留めシャツをビシッと着ている。汗で張り付いて気持ち悪くないのかと思うも、袖すら捲ろうとしない。
「水浴びをしたらマーデリックの工房へ向かおうと思うのだが、いいだろうか」
「はい。それでしたら三十分後にエントランスで待っています。クレメンスには私から伝えておきます」
「分かった。今朝早くから昨日の場所で絵を描いていたよ。あいつは本当に絵が好きなんだな」
「父の血筋でしょうか。きっと私より才能があります」
「お父上の?」
あれ、言っていなかったかしらとマリアドールは首を傾げる。
「レガシーは私の大叔父です。ですから私とクレメンスははとこです」
「そうだったのか。いや、レガシー達と家族のように住んでいると思っていたが、今の説明で腑に落ちた」
「私の祖父母は他界していますから、唯一の血縁者ですわ」
では、とマリアドールはジェルフからタオルを受け取りクレメンスの元へ向かった。
クレメンスは昨日と同じ場所に座って、一心不乱に絵を描いている。
その姿は、大きさは違うけれど父親に似ていた。
「クレメンス、もう色を付けているの?」
足元に置いてある絵の具を見ながら声をかければ、クレメンスは座ったまま数センチ飛び跳ねた。器用なものだ。
「マ、マリアドール。どうしたの?」
「三十分後に出発するから、支度をして。それから……相変わらず空を描くのが上手ね」
「う、うん。ありがとう。じゃ、片付けるから……あっ」
焦るクレメンスから強引にスケッチブックを奪うと、ライトブルーの瞳を眇めそれをじっと見る。
「マリアドール、返して」
「クレメンス、この雲はいったい何で描いたの?」
「う、そ、それは……」
「あれは使っちゃ駄目って何度も言っているでしょう。理由もきちんと説明したはずよ。それも何度も何度も……」
「分かった! 分かっているよ。今回だけだから」
「この前もそう言ったでしょう」
隠すように絵の具を片付ける姿を、マリアドールはジロりと睨む。
クレメンスは隙をついてスケッチブックを奪い返すとぱたんと閉じ、絵の具の入った鞄に押し込んだ。
「じゃ、僕も用意してくる」
「待って、話は終わってないわよ」
「大丈夫、大丈夫だから」
何が大丈夫なのかとマリアドールが口を開ける前に、クレメンスは脱兎のごとく屋敷に飛び込んでいった。
マリアドールはため息をつきながら、自分も用意しなくてはとクレメンスに続き屋敷に戻る。
三十分後、洗いざらしのベージュの麻のシャツに、トラウザーというラフな格好でジェルフは現れた。髪が少し濡れているのが、なんとも色っぽい。
(この人は、どうして無意味に色香を垂れ流すのかしら)
それでいて本人は色恋沙汰には無頓着とばかりに飄々としているのだから、尚更周りは放っておかない。どうにかして自分に振り向いてもらい、特別な存在になりたいと躍起になるのだ。
馬車の扉を開けたジェルフが座席を見て「えっ?」と驚き、マリアドールを振り返る。
「これも持っていくのか?」
座席には白色のキャンバス生地が丸められた状態で置かれていた。
「色が変わった岩石は砕いて水に溶けるのですよね? でしたら、その溶かした色水をキャンバス生地に載せたいと思いまして。うまくいけば絵の具として売れると思うのです」
「なるほど、ここに来たいと言った一番の目的はそれだったのか」
「はい」と頷くとマリアドールは馬車のステップに足を置いた。さっとジェルフが手を出し、さりげなくエスコートする。クレメンスはすっかり仲良くなった御者の隣だ。
「色水になるからといって絵の具になるわけではないのだな」
「はい。鉱物ですから可能性は低いのですが、太陽に当たると変色してしまうことがあります。あとはひび割れたり、ポロポロ剥がれたりするのも不向きですね」
「だから実際に描いてみるのか」
「試してみる価値は充分にあると思います。水だけでなく油とも混ざってくれれば油絵にも使えます」
うまくいけば、マリアドールが望む色が手に入るかも知れない。
そうすれば、画家達にとって大きな転機となるだろう。
「もし、絵の具になるならこの地域の産業の一つになるかも知れないな。鉱物が取れなくなって、すっかり生活が貧しくなってしまった。何か手はないかと考えていたところだ。是非協力させてくれ」
「すでに充分して貰っていますよ」
クスクスと、マリアドールが隣に座るジェルフに微笑み返す。
いつの間にかジェルフの座る位置が、斜め前から隣に変わっているけれど、マリアドールもそれを自然に受け止めていた。
馬車は寂れた街を通り抜け、果樹園を右に折れると暫く進んだのち止まった。
降りると、木造の平屋の建物が二軒立っており、そのうち1つが工房になっているようだ。
「ジェルフ様、ここでいいでしょうか?」
「ああ、そうだ」
御者は工房に来るのは初めてで、事前にジェルフが場所を説明していた。
ジェルフ自身は馬で何度か来たことがあり、慣れたように少し離れた場所にある木を指差す。
「あそこの木の下に馬車を停めてくれ」
「畏まりました」
馬車が立ち去るのと同時に、工房からマーデリックが出てきた。
手には件の岩石を持っている。
この物語はラストまでざくっと書けていて、今、推敲中です。毎日2話投稿(時々3話)できそうです!
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