毒婦、英雄の婚約者として夜会に行く.5.
本日2話目です。お気をつけください。
二人が会場に入った時には、すでに数人の客がグラスを片手に談笑していた。スタンレー公爵家の領地の一部や、商売を任されている子爵、男爵達だ。
上下関係がしっかりしているだけあって、皆がマリアドールを美しいと褒め祝福の言葉を述べたけれど、それを鵜呑みにするほど世間知らずではない。挨拶を終えた貴族たちが、こそこそと言葉を交わす姿も、目の端にしっかりと留めた。
次いで現れたのは騎士、それから上位貴族と続く。
(ち、ちょっと待って。リストに載っていない辺境伯や侯爵までいるわ)
これではもう、お城の夜会と一緒ではないか。
もっとも、そこまで上位貴族になると、リストに載っていなくても顔と名前は一致する。だから困ることはないのだけれど。
「ジェルフ様、参加者リストと随分異なるように思うのですが」
「婚約披露パーティーとなれば、呼ぶ人間が増えるのが貴族社会だ。マリアドールなら言わなくても分かると思ったが?」
飄々と言ってのけるも、マリアドールの反応を楽しむかのように口角が上がっている。お返しにと、マリアドールも微笑みながらそっと肘をつねってやった。今は愛される婚約者なのだ、これぐらいの戯れ微笑ましいぐらいだろう。
貴族達はさらにぞくぞくと入室してくる。
何が恐ろしいかって、それでも窮屈に感じない公爵家の広間だ。
そんな中、次々と挨拶にくる貴族に対し、ジェルフは「最愛の人」だとマリアドールを紹介し続けた。
皆がマリアドールの噂を知っているだけに、ある人はぎこちなく微笑み、ある人はあからさまにジェルフに同情し、もっと露骨な人は「目を覚ませ」とそっと忠告をした。
ありがた迷惑なこと、この上ない。
しかし、途中からおや、と眉を上げる貴族が何人かいた。
ジェルフの熱く甘い微笑みや、ちょっと過度なスキンシップに、初々しく頬を染めるマリアドールの様子が演技に見えないのだ。
もちろん、当の本人は必死で毒婦らしく笑っているのだが、髪に頬を寄せられ真っ赤になっていては説得力がない。むしろ年齢から考え初々しすぎる。
そうしているうちに、挨拶に来る人も途切れ音楽がダンスに変わった。
婚約披露宴パーティーで一番に踊るのはマリアドール達。
ジェルフが恭しく手を出し、マリアドールがそれに応えるように手を重ねた。
会場の視線が一気に二人に集まる。
美男の英雄と魔性の毒婦。
これほど興味をそそる肩書きが並ぶのも珍しいだろう。
無粋な視線がチクチクと刺さる中、広間の中央で二人は視線を交わした。
流れてくるのはスローワルツ。ジェルフの足を考えての選曲だ。
「すまないが、この足では充分なエスコートができないかもしれない」
「構いませんわ。ジェルフ様の足のことは皆が知っております。気にせず踊りましょう」
「そうだな。今更取り繕うこともないか」
眉を下げた表情からいつもの飄々としたものに変わると、ジェルフは一歩踏み出した。
音楽に合わせ、ゆっくりと足を前後、左右に動かしていく。
右足の歩幅が左足のそれより小さいことに、マリアドールはすぐに気づいた。
微妙にテンポが変わり踊りにくいけれど、幸いダンスは得意だ。
それにジェルフも、右足を引き摺りながらもリズムにはついてきている。
少しバランスを崩す時もあるけれど、鍛えられた騎士だからだろうか、周りが気づくほどではない。
「踊りにくいなら、もう少し私に体重をかけてもいいですよ」
「すまないがそうさせてもらおう。最後まで一曲踊らないといけないからな。それにしてもダンスが上手だ」
「両親がダンスが好きで、よく二人で踊っていたのです。私にも教えてくれました」
「そうか、それは羨ましい……っと、すまない」
リズムを取り損ねたのか、足がついていかなかったのか、ジェルフがマリアドールの足を踏んだ。
「やはり一曲は長いですよね。もう少し近づいた方が体重を載せやすいですか?」
半歩、詰め寄ったマリアドールに会場が小さくどよめく。
見れば、扇子で口元を隠し囁き合っている夫人もちらほら。
(なるほど、偶然だけれど、もしかしてこれが毒婦っぽい振る舞いなのかしら。それなら、あとひとつ、ふたつぐらい何かしてみましょう)
無理をするなと言われているけれど、毒婦らしく振舞ったほうが、別れた時ジェルフにとって都合がいいはず。
とはいえ、次の手がまったく浮かんでこない。
(えーと、潤んだ瞳で見上げるとか? でも、それは遠目に分かりにくいわ。えーと、もっと顔を近づける? それともジェルフ様のお顔に触れ……いえいえ、それはちょっと私にとってハードルが高すぎるわ)
「マリアドール、俺を見て」
ぶつぶつと思案していると、名前を呼ばれた。
顔を上げれば、いつもより近い位置にある赤い瞳が熱を含んでいるように見える。
腰に回していた手が離れたと思うと、銀色の髪を愛おしそうにさらりと撫でた。
「ジェ、ジェルフ、様?」
突然どうしたのかと動揺したせいで、ステップを踏み損ねジェルフの足を思いっきり踏んでしまった。
「あっ、申し訳ありません」
「これでおあいこだな」
ジェルフは甘く微笑むと、さらにマリアドールとの距離をつめ、その旋毛に唇を落とした。
会場がざわめいたのと、マリアドールの顔がボン!と真っ赤になったのはほぼ同時。湯気でも立ち昇りそうなほどだ。
「ジェルフ様、そ、その。今、キス、キスを……」
「婚約披露パーティーだからな」
「……そ、そういうものなのですか。わ、分かりました。私の勉強不足でしたわ」
「……その素直さでよく今まで毒婦をやってこれたな」
呆れた声と一緒に再び唇が落とされる。
(ひ、ひゃっっ! でも、これが一般的なのだから驚いちゃだめ。堂々としてなきゃ)
必死で平静を装おうとするも、レースからのぞく肌まで真っ赤になっている。視線だって恥ずかしくて下を向いたままだ。
だから、会場中でただ一人、マリアドールだけは見ていない。
蕩けるように甘く、婚約者を見つめるジェルフの顔を。
今朝は糖分高めです。もう少しだけ夜会が続きます。
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