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英雄は毒婦の前で跪く.2

2話目です


(ち、ちょっと待って。今、スタンレー公爵って言わなかった? この国の三大公爵の一人がどうして私の前で跪いているの)


 確か初対面のはず。うん、間違いなく初めて会う。

 騎士服には沢山の勲章がついている。

 かつて、第一騎士団の副団長になり、三年前の隣国との戦争では大活躍の上、勝利へと導いた立役者でもある。いわゆる英雄だ。

 でも、その戦争で右脚を負傷し後遺症が残ったため、今は教育係として在任していて鬼軍曹と呼ばれている、と聞いた気がする。


 なにせ、社交界に疎いマリアドールだ。

 城内で知らぬ者がいない美丈夫に関する情報はそれしかない。


(本来なら左膝を立てるのに、右膝を立てている。ということは怪我をしたのは右脚かしら)


 もしかしたら、その姿勢は彼にとって大変なものかも知れない。そして何より。


(こんなところを見られたら、またどんな噂を流されるか……考えただけでもぞっとするわ)


 マリアドールの噂――妻を亡くした夫をターゲットに一夜の夢を売る――それはあながち嘘では無いのだけれど、やましいことは何もない。

 実際にはベッドサイドに座り男の手を握るだけだ。

 とはいえ、そんな話を信じる者はいないだろうし、信じて貰えるとは思っていない。


 でも、マリアドールはその仕事を大事にしていたし、何なら誇りに思っていた。だから辞めるつもりはない。


 周りから悪女だの毒婦だの言われているのは知っている。

 しかし、いつ税金滞納で爵位を返上せざるをえなくなってもおかしくない身。平民になれば貴族と関わることはないし、勝手に言わせておけばよいと半ば開き直っている。

 幸い結婚願望もないので、良縁を求めてもいない。


 それなのにだ。


(地位も名誉も顔面偏差値も高い男が、どうして私に跪くの?)


 しかも契約、つまり偽の婚約者になって欲しいという。

 

「あ、あの。とりあえず座ってください」


 スイーツ山盛りの皿を膝に置き、ジェルフが座れる場所を作る。ジェルフは皿に目を丸くしつつ腰をおろした。


「細い体で随分食べるんだな」

「ドレスを借りてわざわざ来たのです。せめてお腹を膨らませて帰らなきゃ割にあいません」

「ではどうぞ食べながら話を聞いてくれ。こちらの事情を説明せずに頷いて貰おうとは思っていない」


 月明かりの下でみる赤色の瞳は穏やかだ。威圧的な体格に反して物腰も柔らかく、紳士的。


(これはモテるわね)


 しげしげとその顔を眺めるもすぐに興味は皿に移る。

 食べてよいと言われたのだからとシュークリームをフォークで刺し口に入れた。夜会用なのか一口サイズだけれど、中身はカスタードクリームと生クリームが入っていて美味しい。

 頬を緩めながら、こんどはチョコレートケーキにフォークを刺した。

 こちらは濃厚なビターチョコレート。中に入っているチョコチップがよいアクセントになっている。


「何か?」


 マリアドールはケーキを飲み込むと、ちょっと怪訝そうにジェルフを見る。

 食べながら話を聞こうと思っているのに、ジェルフはポカンとこちらを見るだけで一向に本題に入らない。

 うん? と眉根を寄せるとクツクツと喉を鳴らす笑い声が聞こえた。


「いや、まさか本当に食べながら、しかも美味しそうに、話を聞くとは思わなかった。気にせず食べてくれ」


 ささ、と目で促されても、そう言われると食べづらい。

 とはいうものの、馬車が迎えに来る時間は決まっているし、あと一皿、いやできればふた皿は食べておきたい。


 ということで、にこりと微笑み返しフォークを口に運ぶ。ジェルフはワインに口をつけることなく、左膝をマリアドールに向けた。


「実は俺に王女メルフィー様との縁談があがっている」

「それは、おめでとうございます?」


 小首を傾げれば、眉間の皺で答えられた。

 どうやらこの返答は正しくなかったらしい。


「俺は家族を持ちたくないのだ。それなのに王女殿下など荷が重すぎる」


 王女殿下の年齢は二十歳。すでに結婚していてもよい年だけれど、婚約者もまだいない。

 対して、目の前の騎士は……


「ちなみに、スタンレー様はおいくつでしょうか」

「二十五歳だ」

「……」

「なんだその沈黙は。幾つだと思っていた」

「大丈夫。落ち着いた男性は魅力的ですよ」


 眉間の皺が増えた。またこの返答は正しくなかったらしい。

 これでは埒が明かないと思ったのだろう、ジェルフが話を纏め出した。


「王女殿下との縁談話はとある方が教えてくれ、まだ正式に決まったわけではない。選ばれた理由は、俺が公爵位と英雄の肩書を持っているからで、王女殿下の意思はそこにないそうだ。しかし、王命が降りてしまえば本人同士の意思など関係なく話は決まってしまう」


 王女殿下の嫁ぎ先として最も多いのが公爵家、次いで侯爵家や隣国だ。

 比較的歳が近く、英雄であるジェルフとはまさに王道といったところだろう。

 

「平均的な婚約期間は一年です。その間に王女殿下が別の方と結婚しなければ、どうなさるのですか?」

「できればそのまま結婚して欲しい。期限は王女殿下が結婚するまで、と言いたいが、それではマリアドール嬢にも差し障りがあるだろう。最長で婚約期間も含め三年ということでどうだろうか。もちろん、結婚の支度金は充分に用意するし、別れる際には俺の落ち度として慰謝料の名目で謝礼を支払う」


 マリアドールはライトブルーの瞳をパチリとする。

 そこまでは理解したと頷くと、「それで」と切り出した。


「どうして私なのですか?」

「婚約解消でも離縁でも、名前に傷がつく。申し訳ないが、その、貴女は……」


 歯切れの良さが一転して言い淀む。ちょっとこめかみのあたりを掻くところを見ると、非常識なことを言っている自覚はあるようだ。つまりは常識人。


「悪女であり毒婦の私なら、離縁ぐらいでは傷になりません。両親もおりませんし、確かに最適ですね」


 しかもお金に困っている男爵家となれば、飛びつきたくなるような好条件、とまではさすがに口にできず飲み、ワインと一緒に胃まで流し込む。

 ゴクリゴクリ、細い喉がなった。


 おかわり、と空のグラスをジェルフに突き出せば、慌てたように注いでくれる。常識人な上に善良だ。


 おかわりのグラスを揺らしながら、さて、どうしようかと考える。

 お金は必要だけれど、それを受け取ったところでマリアドールが抱える問題がすべて解決するわけではない。どうしたら一番メリットがあるのか。

 ジェルフほど善良ではないマリアドールは短い時間で頭を全力で働かせた。


「条件が二つあります。まず、私が夜に出かけ朝帰ってくることを許してください」


 それこそがマリアドールが毒婦と言われる由縁。そんな女を婚約者にしてどこまで防波堤になるのか、と思わないではないけれど、これだけは譲れない。


(世の中にはいろんな趣味の方がいるものね。奔放な女性に振り回されたい男、もしくはそんな女を手懐けることに優越感を感じる男)


 目の前の男が演じるなら、間違いなく前者だろう。きっとうまくやれるはず。


「分かった。では、俺は自由奔放な女性に振り回されるのが好きな男ということにしよう」

「だと思いました」


 当たり、とばかりに拳を握れば、ジェルフは怪訝な顔で首しかげる。マリアドールは握っていた手を開き、にこりと微笑むと誤魔化すように指を2本立てた。


「では二つ目の条件です。別れる時は、私の不貞による婚約破棄か離縁にしてください」

「貴女の不貞? それでは益々名前に傷がつくぞ。いくらなんでもそんなことはさせられない」

「いえ、してもらわないと困ります。そして、慰謝料を請求してください。支払うのは私の領地です」


 ジェルフが提示したのとまったく反対の条件を言い出したマリアドールに、ジェルフは手にしていたワインボトルをボトリと落とした。転がり流れ落ちる液体が地面に吸い込まれるのを見て、慌てて拾い上げたのはもちろんマリアドールだ。


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