ジェルフの戸惑い.1
ジェルフ視点です
「いつもこうなのか?」
ベッドで苦しそうに眉を寄せるマリアドールを見ながらクレメンスに聞けば、「そうです」と淡々とした声が返ってきた。
ベッドサイドに椅子を置き隣を陣取っているクレメンスに対抗するように、ベッドに腰を降ろせばギシリと鳴り少しだけマリアドールの身体が傾いた。
額から流れる汗を、クレメンスが丁寧に拭く。
小さく開けた口から、苦しそうに細い息が吐かれる。
三日間寝込むと聞いた時は、ただ眠るのだと思っていた。
しかし、目の前のマリアドールは高熱に苦しんでいる。
どこが毒婦なんだ。彼女は自分の身を呈してまで人に尽くす聖女ではないか。
初めにおかしいと気づいたのは、夜会の庭園。
まさか交換条件に領民の生活の補償を求められるなんて思ってもいなかった。
その献身的な姿勢は、おそらくどの貴族よりも領主にふさわしい器を持っていた。
まだ、十八歳の娘が。
おそらく領主教育なんてされていなかっただろうに、必死で領民を守ろうとしているのだ。
しかも、貴族としての地位にまったく執着がない。
これが、妻に先立たれた男に取り入り、搾取をする女か?
どう考えてもおかしい。
だから試すつもりで、イヤリングを取ってやると言いながらマリアドールの耳朶に触れた。
すると、ただそれだけで首まで真っ赤に染まる。
なんだこの初々しい反応は。男に触れられたことがない深窓の令嬢のようではないか。
こんなことで、自分の父親ほどの男を篭絡できるのか?
さらに、帰り際、ハーレン侯爵の令嬢からワインをかけられ罵られていた。
すぐに助けに行くこともできたのだが、しばらく様子を見ようと思ったのは彼女の本来の姿を見極めようと思ったから。
自分で言うのもなんだが、俺は見目がよい。もしかすると、俺に取り入るために初心なふりをしていた可能性もある。
だが、その考えは間違っていたとすぐに分かった。
マリアドールは自分の擁護を一切しなかった。
ワインをかけられぶたれても、ひたすらハーレン侯爵を信じるよう頼んでいた。
再び扇子が高く持ち上げられた。
マリアドールはそれを避けようとせず、身を縮める。
これ以上は無視できないと仲裁に入り、辻馬車で帰るというとんでもない申し出を退け、半ば強引に自分の馬車に詰め込んだ。
送って行った先で見たのは、まるで庶民のような慎ましい生活。
これが遺産目当てで、ヤモメ男の愛人をする女の生活なのか?
しかも従者から慕われ、俺と婚約すると知った時は心底喜ばれていた。
ここまでくれば間違いない。彼女が毒婦だという噂は嘘だ。
しかし、定期的に妻を亡くした男のもとを訪れているのは確かだ。
実際、ハーレン侯爵と一夜を過ごしたという会話を庭園で耳にしている。
疑問を抱いたまま、突然夜分に押しかけ長居するわけにもいかずその日は画廊をあとにした。
次に出会ったのは、第三隊長の代わりに行かされた窃盗事件の現場。
コバルト・ドロリーと親しく話している姿を見て、コバルト子爵も妻を亡くしていたことを思い出した。
マリアドールが描いた絵を見ながら親し気に話すその姿に、少し苛立ちを感じたのはなぜだろう。
わざと牽制するように、マリアドールの腰に手を回し婚約者だと告げた。
さて、コバルト子爵はどんな目で俺を見るだろうと思っていると、あろうことか手を握ってくるではないか。
ぶんぶんと上下に振られるまま唖然としていると、彼は饒舌に語り始めた。
やはり、マリアドールが定期的に男の部屋を訪れるのは何か理由があるらしい。
これは、本人の口からしっかり聞かねばと心に留めつつ、マリアドールにここに来た理由を聞けば宝石と絵を売るためだと言う。
代々男爵家に伝わる宝石に、形見といえる絵。
それを領民のために売るというのか?
どこまでお人よしなんだと、ここまでくれば腹が立ってきた。
彼女はあまりにも自分に無頓着すぎる。
他人に優しすぎる。
強引に公爵家に連れて帰り、問いただせばやっと本当のことを話してくれた。
辛そうに目を伏せたその姿を、演技だと思う俺はもういなかった。
信じられない話だけれど、信じたほうがすべてしっくりとくる。
知らず髪に手が伸びていた。
ポロポロ涙を流すその細い身体を抱きしめれば、吐き出すようにすべてを語ってくれた。
この小さな肩に、今までどれほどの物を背負ってきたのか。
そんな彼女に、俺は仮の婚約者を演じるよう頼み、さらに悪評を立てようとしている。
婚約話はなかったことにしたほうがよいのかもと思ったが、交換条件を思い出した。
彼女は俺に領民の将来を預けたのだ。
婚約話を白紙に戻すと、マリアドールが困ってしまうのは目に見えている。
ならば仕方ない。
せめてものお詫びにと、今領地が抱えている問題を肩代わりすることにした。
マリアドールには先行投資だと言ったし、それは嘘ではない。
でも、そんなことを抜きにして、助けたいと思ってしまった。
実際に領地経営の書類に目を通し、彼女が苦しい懐の中でどれだけ努力してきたかは分かった。
俺から言わせれば、最初に商会を売ったのが悪手だが、領地経営を何も知らない十五歳の少女の決断だと考えれば仕方がない。
こういう場合、当主が知り合いや国に掛け合い金策をするのだが、マリアドールにそのつてはない。
執事が細かなことはしっかりフォローしているが、あくまでも執事。金を貴族から借りられる立場にはないのだ。
慎ましい努力が積み重ねられた書類を見ながら、それがまるで彼女の本来の性格のように思えた。
華美な名声や豪華なドレスに目もくれず、ただひたすら領民のために生きる。
どうしてそんなことができるのかと考え、一つの結論に至る。
その領民こそが、彼女が亡き両親から受け継いだ形見なのではないだろうか。
父親の形見より、彼女はその形見を大事にすべきだと考えた。
そんな大事なものを俺に託したのだとしたら、随分信用されたものだ。
マリアドールは俺のことをお人よしだと思っているようだが、彼女にだけは言われたくない。
よく今まで悪い男に引っかからなかったものだ。
神なんて信じる性格ではないが、そこは見えざる者に感謝したくなった。
次話もジェルフ視点になります!
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