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司教の奇妙な夢.2

おはようございます!


 マンテル司教の部屋の灯りは、すでにベッドサイドの洋燈だけだった。


 マリアドールはベッドに座るよう伝えると、自分は椅子を持ってきて向かい側に腰掛けた。


 ジェルフは部屋に置かれたソファに座り、クレメンスは壁際に立っている。こちらも湯につかったようで赤い髪が湿っていた。


「では、どのような夢を見たいか、できるだけ具体的に教えていただけますか?」

「はい。私が見たいのは、妻と最後に会話をした時です」


 表情に出すことなく、マリアドールは珍しいなと思った。

 最後に会った時、という依頼は一見ありそうだけれど、意外と少ない。

 大抵は、特別な日――誕生日や結婚式、初めてのデートが多く、次に、食事をしたり出かけたりといった日常の光景を希望する人が大半だ。


「それで……私が聞いた話では、あたかもその瞬間に戻ったかのように、妻の顔だけでなく周りの景色も鮮明に再現されるとか」

「はい、そうです。ですから、逆を言えばアレンジをすることはできません。雨の日の記憶は雨のまま、晴れにはならないのです」

「絵を描かれるとき、背景はどこまで忠実に再現できますか?」


 その問いに、マリアドールは目をパチパチさせる。


(背景についてなんて初めて聞かれたわ。妻の姿をどこまで正確に描けるか、とか、夢より若く描いて欲しいと言われたことはあるけれど、背景を気にする人は今までいなかった)


 だから、基本的には人物を忠実に描くことを一番にしてきた。

 もちろん背景を適当に描いていたわけではないけれど、どこまで正確に再現できるか、と言われると答えるのが難しい。

 

「普段は人物を中心に描きますが、背景を意識して覚えればそれなりに忠実に描けると思います。あの……差し障りがなければ理由を教えて頂けませんか?」

「私は火事で全てを失ってしまったのです。最後に話をしたのは書斎で、そこには妻の好きな本や地図も置いていました。しかし、本の題名やどこの地図かを思い出せないのです。もちろん夢で見たことは私も覚えていますが、全て完璧にとはいかないかも知れません。ですから、それらも絵に書いて頂ければ、再び購入し手元に置いておきたいのです」


 なるほど。

 思い出の品全てを無くしたのであれば、マンテル司教の言うことも理解できる。


「そういう事情でしたら、できるだけ細かいところまで覚えるようにします。では、そろそろお休みください。こちら、睡眠導入剤になります」


 小瓶を手渡すと、マンテル司教は丁寧に両手で受けとり、チラリとジェルフを見た。


「ここにジェルフ様が立ち会われるのも、きっと神のご意志なのでしょう」

「はい?」


 どういう意味かと問う前に、マンテル司教はそれを一気に飲み干した。「それでは宜しくお願いします」と頭を下げながら小瓶を返すと、横になり青い目を閉じる。


 数分は居心地悪そうに寝返りをうっていたけれど、まもなく規則的な寝息が聞こえてきた。


「ジェルフ様、お部屋に戻ってください。他の方が部屋にいるとうまくいかないのです」

「分かった。大丈夫だと思うが、何かあれば呼んでくれ」

「お気持ちは嬉しいのですが、私に付き合って一晩中起きている必要はございませんからね」

「分かった」


 次いでクレメンスに視線をやれば、こっちは勝手知ったる様子でふわりと欠伸をしている。


「いつも通りってことで」

「ええ、お願い」


 阿吽の呼吸なのだけれど、若干クレメンスの口調に優越感がこもっている。

 ジェルフを見ると、へん、と鼻を擦ってなんだか先輩面だ。


 二人が部屋から出ていくと、マリアドールは椅子をベッドに近づけ、マンテル司教の右手を両手で握り目を閉じた。


(意識が吸い込まれていく)


 何度やっても、この感覚には慣れない。

 自分の意思とは関係なくどんどん引き摺られ、闇と一体になる。そうすると、闇の中なのか、自分の頭の中なのか分からないけれど、様々な光景が浮かんでは消えまた浮かんでくる。


 記憶は時の流れとは関係なくランダムに流れてくるけれど、古いものはぼんやりとかすみ、新しいものほど鮮明だ。


(奥様との最後の記憶。一番、色鮮やかなものを見つければよいわね)


 意識を闇の中に飛ばすようにして記憶を探せば、すぐに見つかった。

 そっとそれに手を伸ばし、ひも解いていく。


 暗い部屋の中、小さく言い争う声がした。

 埃っぽいかびた匂いがする。書斎と聞いていたけれど、書庫に近いようだ。


「今までどこに行っていたのですか?」

「至急の用だと伝えただろう」

「テルトがまた高熱を出し、苦しんでいるのですよ?」

「俺が付いていてもやれることはない。それよりもすべきことがあるんだ」


 マンテル司教の口調が今と違って荒い。

 怒鳴るように言い返された妻は、苛立たしげにバンと机を叩いた。


「息子より大切なことって何なのですか? あなたは生まれながらにして病弱な息子を疎み、そんな息子を産んだ私を嫌っているのでしょう。だから、家に帰ってこない」

「何を馬鹿なことを言うんだ。俺はお前達のことを大切に思っているからこそ……」


 ーー激しい言葉を吐き続ける二人。

 

(どうしてこの光景を選んだの?)


 意味が分からなかった。

 いつもなら心温まる思い出や、見ているこっちが幸せになるような姿が現れるのに。

 時にはつられて涙ぐむこともあったけれど、それは二度と戻らない光景が切ないからで、夫婦喧嘩なんて初めてだ。


(この思い出であっているわよね。奥様の絵が目的じゃなくて、本当に置かれている本や地図を知りたいだけなのかしら)


 なんとも奇妙な依頼だけれど、それでもベストは尽くさなくては。

 まずは机の上に置かれた物、それから棚に並ぶ沢山の本の背表紙もできるだけしっかりと脳裏に焼き付けていく。


 マリアドールの本来の記憶力は、いたって平凡である。

 でも、夢の中で見たもの、その中でも特に意識して注視したものについては二か月間鮮明に思い出すことができる。


 普段は、亡き妻の表情をメインに覚えるのだけれど、ふたりは未だに喧嘩中。

 時折、マンテル司教が宥めるように夫人の肩に手を置くので、描くのはその光景にしようと思う。いくらなんでも青筋立てて怒鳴りあっている姿なんて描いて渡せない。


 どれぐらい時間が経っただろうか。

 夢の中の時間感覚は、極めて曖昧だ。


(……あっ、もうすぐ目覚めるわ)


 引っ張られるようにして夢に入ったのに対し、今度は背中に紐がつけられそのままぐいっと後ろに引き上げられるような感覚が襲ってきた。

 と同時に、頭の芯がしびれるように痛くなり、全身が熱を帯びる。

 激しい眩暈に襲われながらぼんやりと目を開けたその先に、まだ瞳を閉じているマンテル司教の寝顔が見えた。


 日が昇り始めている。そのタイミングを待っていたかのように扉が少しだけ開かれ、クレメンスが頭を出した。

 

「クレメンス……」


 かすれた声で呼べば近づいてくる小さな足音と一緒に大きな足音も聞こえた。


(もしかして、ジェルフ様は一晩中扉の外に……?)

 

 遠のく意識でぼんやりと思うと同時に、身体から力が抜けぐらりと揺れた。

 激しい倦怠感に、椅子に座っていることすらできない。


 床に向かって倒れていくその身体を、ジェルフがギリギリのところで受け止めた。


ちょっときな臭くなってまいりました。 次回はジェルフ視点です!


お読み頂きありがとうございます。興味を持って下さった方、是非ブックマークお願いします!

☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。

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