表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/71

司教の奇妙な夢.1

本日2話目です


 三日後。

 夕日が山際に沈むころ、やっとベッグ教会の白いとんがり屋根が見えてきた。


 マリアドールは窓を開け、桟に肘を突いた手に顎を乗せながらその光景をぼんやりと眺める。


(綺麗な景色。藍色からピンク、オレンジへと変わる空を背景に、白い教会の屋根が映えるわ)


 これは描きたくなる。

 思えば、依頼人の絵ばかり描いてきた。

 たまには好きな絵を思うがままに描きたいけれど、あいにくそんな時間がない。


「こういう絵は描かないのか?」

 

 まるで心を見透かされたような言葉にそちらを見ると、赤い瞳と目が合う。

 斜め前に座っているジェルフは、長い足をゆったりと組み替えながら膝に乗せていた本をパタリと閉じた。開いていたページが、マリアドールが外を見始めたときから変わっていないのは気のせいだろうか。


「時間ができれば描きたいです。思うがままに、どう見られるとか、上手く描こうとかそんなこと考えずに、ただ絵筆を走らせたくなる時があります」


 ジェルフは本を座面に置き、マリアドールの前の席へ移動すると、同じように窓の桟に肘をついた。


 向かいには、夕日に赤く照らされたマリアドール。いつもは冷たく見える銀色の髪が、ほのかに朱を帯び輪郭を柔らかく縁取っている。


「綺麗だな」


 思わず、と言ったようにポロリと溢れた言葉に、マリアドールがジェルフを見る。ふいを突かれたジェルフは、目を丸くし次いで気まずそうに視線を動かした。


「そ、その。深い意味はない。ただ……」

「ええ、私もとっても奇麗な夕陽だと思います」

「……そ、そうだな。そういう意味ではなかったのだが、まぁいいか」


 ジェルフがやれやれと息を吐くのを不思議そうに見ていると、御者席からクレメンスの声が聞こえてきた。


「マリアドール、もうすぐ着くよ。どうせいろいろ出しっぱなしにしているんだろう? 片付けて」

「はいはい、分かったわ」


 平民のクレメンスは、公爵家の馬車に乗るわけにはいかないので御者席に座っている。座り心地もよくないし大変だと思ったけれど、本人はなかなか楽しんでいるようだ。すっかり御者とも打ち解けている。

 

 読みかけの本数冊と、暇つぶしにしていた刺繍をボストンバッグにギュウっと詰める。入っていたはずなのに、一度出すと仕舞えないのはどうしてだろう。


 ちょっと力任せに詰め込み終えたタイミングで馬車が止まり扉が開く。

 降りると、そこにはすでにマンテル司教が待っていてた。馬車の音を聞いて教会から出てきたようだ。


「これはこれは、わざわざ来て頂きありがとうございます」

「マリアドール・ジーランドです。そして、こちらは……紹介は不要ですよね」

「はい、ジェルフ様お久しぶりでございます」


 マンテルはジェルフに深く頭を下げた。四十代ほどだろうか、だぼっとした神父服のせいで体格はわからないけれど、背はマリアドールより少し高いぐらいで、目を細めると目尻に皺が寄った。


 スタンレー公爵家の持つ土地は広く、様々な産業が盛んに行われている。

 その中に四年前に廃坑となった鉱山があった。

 かつてマンテルはその鉱山と坑夫、麓の土地の管理を任されていた領主だったのだ。


(廃坑になったのとほぼ同時に屋敷が火事になり、奥様とお子様を亡くされ教会に入られたなんて、お辛かったでしょうね)


 なぜ不幸は重なるのだろう。それはマリアドールも同じなのだけれど。


 手紙を読んだ時はマンテル司教の名前を出さなかったけれど、馬車の中でその名前を伝えると、ジェルフが驚きながら教えてくれたのだ。

 幸い、マンテル司教には手紙でジェルフも行くことを伝えていた。なぜ同行するかについては、不承不承ながら、婚約したと書いたのだが、そのせいだろうかマンテル司教の顔が嬉しそうだ。


「手紙を頂いた時は驚きました。まさか、このような形でお会いできるなんて。そして、ご婚約おめでとうございます」

「ありがとう。久しいが元気そうでよかった」

「ありがとうございます。まさかお二人がお知り合いなんて、偶然ってあるものなのですね」

「きっと神の思し召しなのでしょう。ささ、お疲れでしょう。お部屋へご案内いたします。夕食は一時間後でよろしいでしょうか?」

「ああ、それで構わない」


 ジェルフが答えマリアドールが頷く。

 その後ろでクレメンスがコホンと咳をし、紹介して欲しそうにスカートを引っ張った。


「あっ、マンテル司教様。紹介が遅れました。私の手伝いをしてくれるクレメンスです」

「あぁ、彼が手紙に書いてあった。よろしくお願いするよ、クレメンス」

「はい。お世話になります!」


 クレメンスは事前にマリアドールに言われたように、礼儀正しく頭を下げた。

 司教は、優しく目を細めその赤い髪に触れる。


「亡くなった私の子供と同じ年頃だ。元気そうな子だな」

「はい、爺ちゃんにもお前は風邪をひかないって褒められます」

「そうかそうか。私の子供は病弱だったからな。健康な身体は神様からの最大の贈り物だ。大事にしなさい」

「はい!」


 元気に返事をするクレメンスに、司教は大きく頷いた。



 案内されたのは、教会の裏にある修道士、修道女達が寝泊まりする建物だった。


「田舎の教会には客間もなくて。こんなところにジェルフ様にお泊りいただくのは申し訳ないのですが……」

「気にするな。野営で半年過ごしたことを思えば、充分快適だ」


 用意された部屋は三部屋。マリアドールが真ん中で左右がクレメンスとジェルフの部屋だ。

 荷物を出しているとすぐに夕食となり、そのあとマリアドールは湯を借りることにした。


 湯は生ぬるいけれど、夏の暑い時間帯をずっと馬車の中で過ごしていた身体にはちょうどよい。

 じとりと纏わりついた汗を流すと部屋に戻り、諸々の準備に取り掛かる。

 と、扉がノックされた。返事をすれば、ジェルフが入ってくる。


「手伝うことがあればと思い来たが……湯に入ったのか」

「はい。お心遣いは嬉しいのですが、特に手伝って頂くことはありません。それから、夢を見させたあと、三日間眠ってしまいますが、その間のことはクレメンスに頼んでいます」

「そうか……」


 なんだかジェルフが落ち着かない。

 いつもは飄々としているのに目線が定まらず、部屋の中をきょろきょろとしている。


「どうしたのですか?」

「いや、その恰好でマンテル司教の部屋に行くのか?」


 湯上りのマリアドールが着ているのは、生地の柔らかなワンピース。ストンとしたデザインは、そのあと三日間寝込んでも苦しくないためだ。

 コルセットもつけず、締め付けることのないデザインなのだけれど、柔らかな生地が身体のラインをしっかりと拾ってしまっている。


「司教の部屋に行くときは、ガウンを羽織ります。今は暑いので脱いでいますが、着たほうがいいでしょうか?」

「いや、別に構わないが……」


 といいつつ、マリアドールを直視できない。

 逸らした視線が、偶然机の上の薬包で止まった。


「これはなんだ?」

「今から母直伝の睡眠導入剤をつくります。ご覧になりますか?」

「ああ、どんな薬草を使うのだ」


 これとこれ、とマリアドールが口にした薬草名はそれほど珍しいものではない。

 ただ、深く眠らせてしまうと夢のコントロールができなくなってしまうので、その匙加減が大事なのだ。


 数個の薬包には、すでに乾燥させ磨り潰した薬草が入っていた。

 机の上に置いたアルコールランプに火をつけ、その上に小さな網をおく。

 陶器でできた器を網の上において、水差しから水を注ぎ小さな気泡が出てくるまで熱すると、一度火からおろす。

 先程の薬草を入れ、よく混ぜてから再び火にかけ今度は沸騰するまで熱していく。

 すると、初めは緑色だった薬湯が紫色に変わっていく。

 小さなスプーンで混ぜながら色が均等に変化したところで、アルコールランプの灯を消した。


「これで出来上がりです。色の変わるタイミングを見極めれば、簡単に作れます」

「ほう、熱して色が変わるのか。そういえば、廃坑になった炭鉱で最近、熱で色が変わる岩石が取れたと報告が上がってきていたな」


 興味深そうにジェルフが薬湯を眺める。さっきまで濁った緑色だったのに、今はアメジストのように透き通った奇麗な紫色をしていた。


「色が変わる岩石があるのですか?」

「俺も実物を見たわけではないのだがな。マンテルに以前任せていた鉱山は、鉄が取れたんだよ。廃坑になった今も堀った穴はそのままで、悪ガキの遊び場になっているらしい。まだ鉄が取れるかもと勝手に掘削して見つけたようだ」


 もし見つかれば一攫千金。確かに子供が考えそうなことだけれど、プロの坑夫が見切りをつけた山なのだから、その可能性は極めて低い。


「その岩石に価値はないのですか?」

「ないな。熱した時間によって色が変わるので、子供達が絵の具代わりに木片に落書きをしていると聞いた」


 初めはただの石ころ、それを熱したら赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫色の順に色が変わっていくという。そして一度変わった色は冷めても元に戻らない。

 綺麗な色なのだが、とても脆く宝飾品として加工はできないそうだ。


「ジェルフ様、私、その岩石を見たいです」

「俺は構わないが、王都から二日かかる。絵を描かなくてはいけないのだろう、時間はあるのか?」

「近頃、筆が乗っていつもよりいいペースで進んでいるのです。何とか時間を作りますので、連れて行っていただけませんか?」

「分かった、新人騎士の稽古もあらかた終わったので俺は時間の都合がつく。では近々行こう」


 はい、とマリアドールが頷いたところで、扉の向こうからクレメンスの声がした。どうやらマンテルの準備が整ったようだ。

 

クレメンスは当初、マリアドールと同じ年齢で考えていたのですが、おさまりどころが悪く子供になりました。


ブクマが900を超えました。ありがとうございます!


興味を持ってくださった方、是非ブックマークお願いします!

☆、いいねが増える度に励まされています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ