毒婦、英雄を部屋に招く.2
おはようございます。
本日1話めです
カラリと錆びたドアベルの音と一緒に画廊に入ると、カウンターにいたレガシーが、おやっと眉を上げ次いでにんまりと笑った。
「どこへ出掛けられたかと思っていましたらデートでしたか」
「違う……」
「ええ、そうです。それで領地での水害被害の話を聞いて、俺に助けられることがあればと。帳面を見たいのだが構わないか」
「はい、もちろんです。私もお手伝いで領地に赴くことがありますので、何でも聞いてください」
「それは頼もしい。部屋は二階か?」
ジェルフが足先を階段に向けたので、マリアドールは慌ててその前に立つ。ターリナの姿が見えないのでお茶の用意をしているのだろう。
階段の上には大きな窓があり、日中はそこから漏れる光が階段に差し込むもぼんやりと薄暗い。
「カンテラを用意しましょうか?」
「大丈夫だ」
足元に気をつけて下さい、と声を掛け先に階段を登ると左に折れる。左がマリアドールの部屋で右がレガシー達の部屋だ。
ジェルフがサッと視線を動かすのに気づいたマリアドールが、肩を竦める。
「狭いでしょう」
「……申し訳ないがそう思った」
「ふふ、正直な人は嫌いではありませんわ」
「二階は二部屋だけなのか?」
「はい。あとは、クレメンスの部屋が階段下にあります。さぁ、ここが私の部屋です。覚悟して入ってくださいましね」
わざと恭しく片手を胸に当て、もう片方の手で扉を開けると頭を下げた。
ジェルフは促されるまま部屋に入ろうとするも、すぐに立ち止まる。その様子を見て、マリアドールがふふっと笑い、脇をすり抜け先に部屋に入った。
「物が多くて全然片付かないのです」
部屋の壁のうち、一面は大きな本棚で埋まっていた。その反対側にはベッドがあり、足元には本棚に入りきらない書物がうずたかく積まれている。
向かいの窓際に置かれた執務机が部屋に対しやけに大きい。その机の上には書類がこんもりと乗っていて、それ以外は何もない。ドレッサーや姿見さえなく、壁に古びた鏡が釘で留められていた。確かに物は多いけれど、雑多に散らかっているわけではない。ただ、本当に狭いのだ。
貴族令嬢らしからぬ部屋にさぞかし驚いているでしょうとジェルフを見れば、入り口から一歩も動いていない。
「どうぞ、入ってください」
「いや、しかし。寝室に入るのは……」
チラリ、とピンク色の掛布団がかかったベッドを見る。
「執務室兼寝室です! 公爵様でしたら幾つもお部屋をお持ちでしょうが、私は兼用です」
ムッとしながらマリアドールは、ベッドの脇にしゃがみ込むと、小さな箱を取り出す。
中に入っていたベッドカバーをふわりとかけ、これでよいかと腰に手を当てジェルフを振り返った。
「いや、その、すまない。分かっていはいるが、寝台のある部屋に入るのはご法度と教えられているからな」
「いいですよ、生活レベルの違いは織り込み済みです。さ、執務机の椅子に座ってください。ソファなんてこの部屋にはありませんから。私はレガシーの部屋に行って、もうひとつ椅子を持ってきますから、先に書類を見てくださっても構いませんよ」
「では、そうさせて貰う」
ジェルフが椅子に座る。長身の身体では窮屈そうだ。
(私の部屋にジェルフ様が居るって、なんだか変な感じね)
部屋に不釣り合いな背中を見つつ椅子を持って戻ってくれば、紅茶がふたつすでに用意されていた。
執務机が書類でいっぱいだったため出窓の桟に置かれているのは、おそらくジェルフの指示だろう。ターリナはそんなことをしない。
椅子を隣に置くと、さっそくジェルフから質問が飛んできた。
それに答えながら根拠となる書類を探して手渡す。
そうすれば、さらに質問が返ってきた。
堤防を築くのに必要なお金、時間。発注先の業者リストから始まり、川のどの場所にどの程度の大きさの物を築くのが一番効率がよいか。
マリアドールだって、三年間自己流ではあるけれど領主としてやってきた。
質問には充分答えられるけれど、次々と提案される政策には驚かされるばかりだ。
(どれも効率的で、領地の五年後、十年後までも見据えた計画だわ。その分お金もかかるけれど)
うんうん、と頷きながら、自分の領主としての力不足に落ち込んでしまう。
「やっぱり私に、領主は無理だったのです。領民に顔向けできません」
「それは違う。書類を見る限りマリアドールはよくやっていると思う。ただ、身も蓋もない言い方をすれば金がない」
「そこは否定しません」
「何かをするには、それが大きなものほど先行投資は必要なんだ。国も貸してくれない現状の中、やれることは全てやっている。自信をもっていい」
「本当ですか? お世辞じゃなく?」
「本当だ。よく頑張っている。ただ、今後俺が引き継ぐことを考えると、今から幾つか政策を打っておきたい。まずは、洪水を防ぐための堤防だな。それから森林を開拓し農地を広げよう」
堤防を作る場所については、現地を視察し専門家の意見も聞くことになった。
森林の開拓は、夏の収穫を終え農民の手が空いたら進めていくことにする。
方向性が決まり、すべきことをジェルフが紙に羅列していく。
(あとでレガシーにも見せよう。きっと喜ぶわ)
将来、スタンレー公爵家の領土となることを黙っておかなくてはいけないのが心苦しいけれど、領民の生活はこれからきっとよくなるはず。
マリアドールが腰を浮かしジェルフの手元を覗き込んでいると、扉がノックされた。
「マリアドール、ハーレン様から手紙が届いたよ」
「ありがとう、クレメンス。きっと司教様との日程が決まったのよ」
ジェルフに断り、執務机の引き出しからペーパーナイフを取り出すと、シャッと切って手紙を出す。
「やっぱりそうだわ」
「いつだい?」
「三日後の夜よ。でも画廊があるからレガシー達に同行してもらえないのよね」
「それなら僕がついて行ってあげるよ。今までだって爺ちゃん達を手伝っていたから、何をすべきか分かっている」
二人の会話を聞いていたジェルフがペンを置き、マリアドールに声をかけた。
「それは、この前話をしていた夢をみせる依頼の件か?」
「ええ、そうです。夢を見せたあと少々体調を崩すので、レガシー達に助けて貰っているのですが、今回は郊外だからそうもいかなくて」
「どこまで行くんだ?」
「ベッグ教会です。ご依頼人が副司教様で教会を離れることができないから、私が行くことになりました」
「なるほど、王都から丸一日はかかるな」
話を聞いたジェルフは、うーんと宙を睨んだ後、思わぬことを口にした。
「それなら、俺が付き添おう。教育係は比較的、休みの融通が利く」
「ジェルフ様にそんなことさせられませんわ」
「どうしてだ? マリアドールの母親には父親が付き添っていたのだろう。だとすると、婚約者の俺が付き添っても不思議はない。馬車が必要なら公爵家のものを出そう」
確かにその通りなのだが、それでは三日間寝込んでしまうマリアドールの看病を全てジェルフに頼むことになってしまう。
「ねぇ、マリアドール。やっぱり僕も行っていいでしょう? そのほうがマリアドールだって気が楽だと思うよ」
「そうね。ジェルフ様、クレメンスも同行してよいでしょうか。きっと役に立つと思います」
「構わない。では二日後迎えにくる」
ちょっと予想外の展開だけれど、こうして三人はベッグ教会へ向かうことになった。
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