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イワのすがたが川面の下に消えるとともに、凍りついた静寂が破れた。少年たちが口々に叫び声を上げ、水面を覗き込んだ。だが、ツノはその声を聞いていなかった。ただ、自分の血管が脈打つ音だけが、耳に響いていた。
ツノは、すでに岩場を滑り降りていた。イワが水の下にいるから、飛び込むわけにもいかなかった。後輩たちの横を素早く通り過ぎ、岩場のいちばん下にまで辿り着いた。
イワが、落ちたところから少し川下で、水面から顔を出した。こちらに向けられたその顔には、恐怖と苦痛が浮かんでいた。すぐに、顔は水の下に消えた。少年は腕を使って泳いでいなかった。怪我をしているのだと、ツノは見て取った。
ツノはすぐに水に入ると、イワの下へと急いだ。後輩のところにまで行くのは難しくはなかったが、水は深く、怪我人を連れて岸に連れて行くのは難しそうだった。なんとか肩を貸し、首に掴まってもらうと、必死になって水を掻いた。普段なら簡単に渡れる淵が、まるで大きな湖のように感じられた。だが、なんとか岸に辿り着いた。
イワは、半ば這うように、半ばツノに引きずられるようにして水から上がったが、すぐに力尽きて小石の岸に倒れた。水に洗われて流されていた血が、ふたたび湧き上がり、体の至るところを赤く染めた。
「大丈夫か。大丈夫か!」
ツノは叫びながら、後輩のそばに膝をついた。イワは目を開けて、はっきりとこちらを見ていた。そして、恐怖に引きつっていた顔がくしゃりと崩れて、痛い痛いと泣き出した。
「大丈夫だ。大丈夫だ。」
そう声をかけながら、ツノは茫然としていた。どうにかしないといけないが、どうすればいいかわからなかった。とにかく、血を止めなければならない。そう思い至ると、手近に脱ぎ捨てられていた誰かの短衣を掴み、イワの体にかけて、傷を押さえた。とくに出血がひどかったのは、膝と肘のようだった。だが、ひとりでは複数の傷を押さえることはできなかった。
「誰か、来てくれ! 手を貸してくれ! 血を止めなきゃ!」
ツノはようやく仲間の助けを借りることを思い出した。すでに後輩たちは近くに集まっていたが、どうすればいいかわからない様子で、固まっていた。ツノが声をかけると、みな集まってきて、イワの傷を押さえたり、声をかけたりした。だが、何人かはその場で突っ立ったまま、泣き出してしまった。
――どうしたらいい。
ツノは悪夢の中にいるような心地だった。心は逸るのに、思考は麻痺して、どうしたらいいかわからなかった。すべてがひどく現実離れしていた。仲間たちの泣き声が遠くに聞こえ、何もかもが綿に包まれたようにぼんやりとしていたが、自分の心臓の音が恐ろしいほど大きく聞こえた。何もかもがおぼろげに見えているのに、イワの体から流れ出る血が、目に刺さるように鮮やかだった。
ただただイワの傷を押さえながら、取り留めのない言葉をかけていた。混乱したまま時が過ぎると、やがて、ひとつの考えが心に浮かんだ。
――帰らなきゃ。
とにかく村に連れて帰らなければならない。だが、そのためには、まずは傷を縛らなければならなかった。このまま歩けば、たぶん、ひどく出血するだろう。
ツノは立ち上がると、脱ぎ捨てていた自分の服と、短刀とを拾った。そして服を裂いて帯を作ると、それで後輩の傷口を包んだ。それから、ツノはイワの顔を覗き込むと、しっかりと視線を合わせた。
「いまから村に連れていってやる。立てるか。」
ツノが訊ねると、イワは頷いた。ツノと、他にひとり、ふたりの手を借りて、イワはなんとか立ち上がった。そして両側から仲間に支えられて、歩き出した。
いつもだったらなんでもない道が、怪我した後輩といっしょだと、ひどく険しく感じられた。斜面を歩いていると、頭から転げてしまいそうだった。木々の根と下草とに、何度も足を取られた。苦しげに呻く後輩の声を聞くと、ツノの心は逸るが、しかし急ごうとすると、イワはそれだけ大きく声を上げた。
このままだと、村に着くまで、どれだけ時間がかかるのか。ツノはぞっとした。イワの出血は、まだ止まってはいない。血を流しすぎて、死んでしまうかもしれないと思った。
ツノはほとんど泣きそうになっていた。だが、なんとか泣くのを堪えていたのは、この場の最年長として、自分はしっかりしていなければならないと思っているからだった。周りの少年たちは、みんな泣きそうになっているか、それとも泣いてしまっているかのどちらかだった。
「すぐ、村に着くからな。すぐ、着くからな。」
ツノは何度も何度も、そう言った。誰に向けて言ったのか、自分でもわからなかった。自分自身に言い聞かせているのかもしれなかった。
そうしてひどく長く、辛い時間がしばらく続いた。ふいに、信じられないことに、前方の木立から、急いだ様子の数人の若者たちが現れた。少年たちは、驚いて足を止めた。若者たちは少年らを見ると、すぐに駆け寄った。
「イワ、大丈夫か。」
若者たちは少年たちから、イワを受け取った。そして怪我人を座らせると、優しく声をかけながら、手早く怪我の具合を確かめた。それから、いちばん恰幅のいい若者が、傷ついた少年を背負って、歩きはじめた。
若者たちに怪我人を任せると、ツノはその場にへなへなと座り込んだ。とてもではないが、すぐにはついていけなかった。のしかかっていた重荷がなくなり、緊張が緩み、知らぬうちに涙をこぼしていた。若者たちに落ち合えた偶然を、心から喜んだ。
そして、何気なくぼうっと見回した。ほとんどの少年たちは若者らについて歩きだしていたが、何人かは、まだツノの近くにいた。仲間たちを見渡して、そのときはじめて、ツノは一行からシッポがいなくなっていることに気がついた。それで、若者たちに出会えたのが、偶然ではなかったことを知った。