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 それからしばらく時間が経った。ツノは木に登って、太い枝に腰かけていた。額に浮かぶ汗を拭ったが、すぐに新しい汗が流れてくるので、ほとんど意味がなかった。短衣は諸肌脱いで、腰のところで帯でまとめてあった。動かないでいると、火照った体に空気が冷たくて、心地よかった。


 ツノは少し疲れていた。いつまで経っても走り回るのを止めない後輩たちにつき合うのに飽きて、木に登って休んでいるのだった。下では後輩たちがまだ剣闘をしたり、追いかけっこをして遊んでいた。


 どうも、小さい子どもは疲れというものを知らないようだった。体力はツノのほうがあるだろうに、どうしてだか、後輩たちはいくらでも騒いでいた。下では、太い木の根にぐったりと腰を下ろしているツノの同輩らが、後輩たちに囲まれて、手や枝で突き回されていた。かわいそうにと思いつつ、ツノは含み笑いをこぼした。


 だが、幼い後輩たちはの様子はどうだろうか。ツノがあたりに視線を走らせると、シッポの周りで、四人の幼子は集まっておとなしく座っているのが見えた。たぶん疲れて、眠たいのだろう。元気な連中はまだまだ遊ぶが、小さな後輩たちは、そろそろ家に連れ帰って、休ませてやらなければいけない頃合いだった。


 ツノは木から飛び降りると、幼い後輩たちに近づいた。


「さあ、ちびさん。眠たいんだろう。そろそろ帰るぞ。」


 そう言うと、子どもたちは顔を上げたが、立ち上がろうとはしなかった。シッポが立って促すと、ようやく立った。シッポはツノに顔を向けた。


「じゃあ、連れて行くよ。」


 そう言って後輩らを促そうとするシッポに、ツノは首を振った。


「いや、他のやつに行かせる。」


 ツノは、少し離れたところで座って、後輩たちに突き回されている年長の少年に声をかけた。少年は立ち上がると、こちらに向かって歩いてきた。


「けど……。」


 少し不満げに言いかけたシッポに、ツノはまた首を振った。


「お前、ずっとちびさんの面倒をみてばっかりだろ。遊ばなきゃ。来いよ。」


 そう言って、ツノはシッポの肩に腕を回すと、強く引っ張った。シッポはそれほど抵抗しなかったが、不満げな雰囲気ではあった。


 疲れた顔の同輩は、幼い子どもらを連れて帰路についた。シッポはそれを横目に見送ると、ツノについて歩いた。


 まだまだ元気を残した後輩たちが、ツノの下に集まってきた。ツノは、みな汗をかいていることを見て取ると、笑って言った。


「そんなに汚れて帰ったら、ツチのやつにおこられちまう。(ふち)に行くぞ。体を洗っていこう。」


 ツノが言うと、後輩たちはみな声を上げて喜び、早足に飛び跳ねるように森の奥へと進んでいった。


 しばらく森を歩くと、浅い谷間や小さな丘をいくつか通り過ぎて、一行は川に行き当たった。穏やかな流れだが、いかんせん浅い。水遊びくらいならできるが、泳ぐには物足りなかった。


 そこから川上へと、山のほうへと向かっていくと、地面はだんだんと険しくなっていった。ほどなくして、広くて深く、流れの緩やかな場所に出た。その淵は、片方の岸はなだらかな砂地だが、他方は切り立った岩壁になっていた。


 後輩たちはてんで服を脱ぎ捨てると、水に飛び込んでいった。


 まだ、季節は春である。日差しは暖かくなってきたとはいえ、水は冷たかった。しかし険しい森を歩いてきた少年たちは、体が火照ってしまっているようで、冷たい水はちょうどいいのだろう。


 ツノもまた、服を脱ぐと、さっそく水に入ろうとして、足を止めた。他の少年たちが水に入っているのに、シッポが服を脱ごうとしないからだった。


「どうしたんだよ。」


 ツノが声をかけると、シッポは少し困った顔をした。


「おれはいいよ。寒いから。」


 たしかに、シッポは他の連中とは違って、走り回って遊んでいたわけではなかったから、それほど熱くなってはいないのだろう。それでも、険しい岩場を歩いてきたから、その額は少し汗で濡れていたし、頬は紅潮していた。ツノがもういちど促すと、シッポは服を脱ぎ、いっしょに冷たい流れに身を浸した。


 一瞬、シッポはぶるっと体を震わせたが、すぐに気持ちよさそうに目を細めた。ツノはその様子を見て、にやっと笑った。


「別に寒かないだろ。」


 ツノがそう言うと、小柄な後輩は少しはにかんで頷いた。


 ツノとしては、お気に入りの後輩にずっと構っていたいところだった。だが、他の荒っぽい連中が、そうはさせてくれなかった。ツノが水に入ると、すぐに集まってきて、水をかけたり、引きずり倒そうとしたり、飛びかかったりする。いくら歳に差があり、体の大きさが違うとはいえ、数人の少年に襲われると、さすがにツノも全力で当たらなければいけなかった。ことにイワは、体は大きいくせに加減を知らないから、大変だった。


「お前ら、いい加減にしろよ。」


 ツノは笑いながら声を張り上げつつ、後輩たちを次々と投げたり沈めたりしていった。イワはなかなか強かったが、足を掴んでひっくり返してやった。


 そうやって一通りツノが戯れてやると、後輩たちは対岸の岩によじ登って、川面に飛び込みはじめた。少年が水に落ちるたびに水柱が立ち、岩の上で並ぶ他の少年たちは歓声を上げた。少年たちは競って高いところに登り、飛び込んでいった。


 ツノもまた、飛び込みに参加した。岸辺の岩によじ登り、後輩たちよりも高いところにまで登る。後輩たちは、ツノが自分たちの頭よりも高く登るので、興奮した声を上げた。それからツノがぴょんと跳び、水に飛び込むと、大きな水柱が吹き上がるとともに、少年たちの大きな歓声が響いた。


 そうやって遊んでいると、イワが声を上げた。


「シッポ、来いよ。お前もやってみろよ。」


 その声には、からかうような調子があった。ツノがイワの視線を追うと、シッポはすでに水から上がり、肌の水気を手で振り落としながら、遊んでいる連中を眺めていた。だが、イワの言葉をきっかけに、みなの視線が自身に集まると、シッポは少し顔をしかめた。


「いいよ、おれは。」


 シッポがそう答えると、イワは鼻を鳴らして笑った。


「楽しいぞ。お前もやれよ。」


 そう言って、イワは川に飛び込んだ。大きく水飛沫(みずしぶき)が上がった。そしてすぐに岩場に上がると、シッポを振り返った。


「なあ、お前もやれよ。それとも、怖いのか。こんなの、なんともないのによ。」


 イワの口ぶりには、明らかに侮辱するような含みがあった。他の少年たちは、何かに期待するような雰囲気で、シッポとイワを見つめていた。だが、シッポは何も言わず、ただ気難しい顔をするだけだった。


 イワが、また口を開いた。


「怖いんだろ。おれはこんなの、ちっとも怖くないけどな。」


 その挑発にも、シッポは乗らなかった。否定も肯定もせず、ただ黙って、眉間にしわを寄せるだけだった。


 いい機会だな。ツノはそう思って、口を開いた。


「イワ、お前、ちょっと口が過ぎるぞ。シッポが言い返さないからって、調子に乗るなよ。」


 そう低い声で言うと、大柄な後輩は顔を曇らせ、尻込みするような様子を見せた。それを見てから、ツノはシッポに顔を向けた。


「お前だって、言われるままになってたらだめだぞ。来いよ。お前もやってみろ。怖くなんてないだろ。」


 ツノはそう言った。ツノの見るところでは、シッポはおとなし過ぎた。イワがどれだけ挑発しても、言い返さない。それで、イワがもっと調子に乗ってしまうのだ。だから、そろそろ勇気のあるところを見せる機会を作ったほうがよいと思われたのだった。


 岩場に集まった少年たちは、シッポを眺めていた。大柄なイワに何かと挑発を受けている小さな少年が、いったいどんなふうに行動するのか、期待しているようだった。


 シッポは困ったように眉をひそめながら、しばらくみなの顔色を窺っていた。それから少し俯いて、首を振った。少年たちは、互いに横目で見合って、小さく笑いをこぼした。ツノは落胆と腹立ちとを感じた。


「どうしてだよ。怖いわけじゃないだろ。」


 ツノが訊ねると、シッポははにかんだ。


「もう上がったから。体が冷えちゃったんだ。」


 そう言うシッポは、たしかに寒そうにはしていた。肌は濡れていたし、裸だった。まだ春であり、裸で過ごすのは、まだ早かった。


 あえて無理強いしてはならないだろうと、ツノはこれ以上、何も言わなかった。他の少年たちは、これで話は終わったのだと、また飛び込み遊びをはじめた。シッポも服を着はじめた。


 だが、ツノはシッポを眺めながら、いくらか苛立ちを覚えていた。少しくらい寒くても、飛び込みくらいやって見せればいいのだ。そうすれば、イワだって文句もないだろう。こういうところで躊躇(ちゅうちょ)するから、イワにからかわれるのだ。そうとしか、ツノには思えなかった。


 こんなふうに思うのは、ツノがシッポを気に入っていたからだった。自分で抱き上げ、名を与えた少年に、もっと勇敢に振る舞って欲しかったのだ。だが、いまのところ、シッポはそんな期待に応えようとはしていなかった。


 ツノは小さく溜め息をつくと、岩を登って、高いところから水面に飛び込んだ。

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