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村外れの森の中に、少年たちが集まっていた。春の兆しを含んだ冷たい空に、笑い声が響いている。手に手に細い枝を持ち、木々の間を駆け巡り、互いに打ち合っている。剣闘の真似事だった。少年たちは顔を真っ赤にして汗をかき、弾んだ息が白く凍っていた。
その場にいる者は、五つくらいの小さな子どもから、十の半ばの若者になりかけの少年までで、年代は幅広かった。小さな子どもたちが遊びに夢中になっているかたわら、年長の少年たちは後輩たちに目を配り、ときおり空を窺っていた。もう日が高くなり、昼になりそうだった。
「そろそろ帰るぞ。もう昼飯だ。」
年長の少年はそう言って回り、後輩たちから枝を取り上げて捨てていった。大抵の子どもは、先輩の言うことをよく聞いた。すぐには納得しない子どもも、腹が減っているだろう、寒くなってきただろう、風邪を引いてしまうぞと諭されると、帰ることに同意した。汗を吸った短衣は、暴れるのを止めると、たしかに冷たくなっていた。
そんななか、いつまでも走り回っているのが、ツノという少年だった。まだ十にもなっていないが、なかなか体は大きかった。いちばん乱暴で、きかん気の強い子どもであり、先輩たちは手を焼いていた。
「お前は、いつまでも遊んでるんだな。」
年長の少年は、ツノに長いこと言い聞かせてから、そう言った。
「じゃあ、自分で、ひとりで村まで帰ってくるんだぞ。おれはもう連れて帰ってやらないからな。」
先輩に向けて、ツノは笑った。
「そのくらい簡単さ。おれ、大きいんだぞ。帰っちまえ。おれは平気だ。後でひとりで帰るよ。」
小生意気な後輩に苦笑しつつ、先輩たちは他の後輩たち連れて、村に帰った。実際、ここは村からそう離れているわけではない。いちばん小さな子どもでも、そう困難なく村に帰れる。ツノが自分ひとりで帰ることも、難しくはなかった。
さて、ひとりで森に残されたツノだったが、みながいないと、遊ぶのがつまらないということに気がついた。ひとりで剣闘をするというのは、いかにも難しいことだった。それに、たしかに腹も減っているということにも気づいた。だが、先輩に、後からひとりで帰るのだと言った手前、すぐに背中を追いかけるというのもおもしろくなかった。
それで、ツノは手にした枝で木々の肌を叩き、下草を打ち払いながら、ひとりであたりを歩き回った。途中で、枯れた枝を拾い上げていく。家に持って帰って、薪の足しにするのだ。固い殻の実が落ちていれば、それも集めた。小さな後輩に渡せば喜んでもらえるし、後輩が飽きた後は、灰汁を抜いてから、練って餅にできる。
そうやって、遊び半分にものを拾いながら歩くと、すぐに両手がいっぱいになった。これを持って帰ったら、先輩たちも喜ぶだろうと思い、帰りかけた。だが、そのとき、誰かの声が聞こえた気がして、立ち止まった。
「誰だ?」
ツノは声を上げ、周りを見た。たしかに、人の声が聞こえる気がした。誰かがたまたま近くで話している、というわけではないだろう。いちばん近くの家は遠い。畑の際、森のすぐ手前から叫んでも聞こえてくるはずがない。かといって、村人がたまたま森に入ってきて、近くで話しているということもありそうになかった。
「先輩かい。ついてきてるのか?」
思いついた可能性は、それだった。ツノがもっと小さかった頃、先輩たちはツノを置いて帰ったと見せかけて、後ろからそっと見守ることがあった。だが、だとしたら、話し声を漏らしているのだから、間抜けだった。
ツノは耳を澄ませ、息を殺した。小さな声が聞こえる。どうやら、村とは反対の側、森の奥から声がしていた。そっと両手に抱えた荷物を足元に下ろすと、声の出所へ向けて、足音を忍ばせて近づいた。
歩くうちに、少年は不思議に首を傾げた。近づいていっても、話す言葉が聞こえなかった。ただ、声だけが聞こえる。すぐに、それが意味のない、泣き声のようなものであることに気づいた。
「誰だ。迷子なのか?」
誰か小さな子どもが、先輩たちからはぐれてしまったのだろうか。そう思いながら、声に近づいていく。
「おおい、ちびさん。どこにいるんだ。ちび、ちび、どこにいるんだ。」
ツノは大声で呼ばわりながら、森を歩いた。きょろきょろと左右を見回し、声の主を探す。そして、一本の木を横切ったとき、それを見出した。
少年は口を開けて、黙ってそれを見た。
ある一本の木の根本に、まるまると太った赤ん坊が寝転んでいた。その子は笑うような、歌うような声を上げていた。だが、少年の視線は、その子どもに向けられているわけではなく、その赤子の横たわる木の向こうに立つ、ひとつの影に向けられていた。
そこにいたのは、一頭の鹿だった。つやつやと美しい毛並みと、枝のような角を持つ、立派な鹿だった。その獣は、まっすぐにツノ少年を見つめていた。
ツノは驚いて、その場に固まってしまった。少年は、柄にもなく緊張していた。ツノの属するのは、鹿の氏族だった。鹿は尊い存在だった。どうしてなのかは少年には知るよしもなかったが、とにかく、鹿は大事なものなのだった。かりにそうでなくとも、その獣が美しくて、目を離すことができなかっただろう。
やがて、鹿はつうと目を逸らすと、少年に背を向け、森の奥へと歩いていった。ツノは黙って遠ざかっていく獣のすがたを見つめていた。すると、鹿は小さな尻尾をぴょんと跳ねさせた。それで、ツノの固まっていた心が働くようになった。鹿のことは、もういい。それよりも、赤子をどうにかしなくてはならなかった。
とにかく、赤子を連れ帰らなければならない。そう思って、少年は赤子に駆け寄ると、腕に抱いた。子どもの家で何度も赤子を抱いたことがあったから、難しくはないはずだった。だが、その子があまりにも小さく、幼く、柔らかかったので、手が緊張で震えていた。
赤ん坊は丸々と太っていた。ツノが抱くと、少年をまっすぐに見つめた。さっきまで歌うような声を上げていたのに、いまは静かになっていた。口元に小さな微笑みが浮かんでいて、物静かで、賢そうに見えた。
ツノは赤ん坊を抱いたまま、村に向けて歩いた。歩きながら、そわそわと考え事をしていた。
新しい赤子は、鹿がどこか遠いところから連れてくるのだとされていた。それがほんとうのことかどうか、ツノは知らない。だが、いままさに鹿と赤子を同時に見たところだったから、たぶん、その話はたしかなことなのだろうと少年は思った。
赤ん坊を見つけたら、どうしたらよかったのだったか。ツノは考えていた。何か食べさせてやらなければならない。それに、家に連れて行って、みんなに見せて、挨拶させてやらなければならない。服だって着せてあげなければならない、赤ん坊は何も着ていないから。
ツノはそう思って、ふと足を止めると、肩に巻いていた布を解いて、赤ん坊を包んでやった。肩掛けを脱ぐと、少年は、短衣一枚になった。寒かったが、しかたがない。小さな後輩の面倒を見るのは、先輩の仕事だった。丸々と柔らかい赤子を布で包むと、また歩き出した。
さて、これからどうするのだったか。そう考えて、思い出した。赤ん坊を拾った者は、赤ん坊に名前をつけなくてはならない。正式な名づけの儀式は春におこなわれ、その日に、赤子は氏族の一員になる。そしてその日はもう、すぐそこに近づいていた。
「ちび、お前の名前、何にしようか。」
ツノは赤ん坊に言った。赤ん坊は、とくに返事はせず、少年の肩を透かして木々の枝や空を見つめているようだった。
「おれが角だからなあ。どうしようか。」
少年は言いながら考えた。ツノは、蹄に名づけられた。なら、この赤ん坊は毛皮にでもしようか。それとも、枝にしようか。鹿の角は、枝のように分かれているから。
少年は、あれやこれやと赤子に話しかけながら、村に向けて歩いた。そうしていると、ふと、いましがた鹿が森の奥へと向かい、尻を少年に向けたとき、尻尾をぴょんと跳ねさせた光景が思い浮かんだ。それで、名前が決まった。
「お前は尻尾だ。シッポ。ちびのシッポ。かわいいシッポ。」
ツノは愉快そうに言いながら、赤ん坊の顔を覗き込んだ。シッポと名づけられた赤子は、ツノをひと目だけ見ると、またあたりに視線を向けた。