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ベルギー産とチョコ、紛れもなく自分

作者: 山田華央

これは、『自分』が、いまの自分になったきっかけであろう過去を振り返り、結局は自身が大好きなだけの人間だったと気づく話、関わった人たちが結局は大好きだったということに気づく話。

うまくまとめあげることができたら、それは自分にとっては上出来で、きっとというか恐らく絶対、自分が都合よくはっきりと覚えていることばかりにはなると思うが、全てを思い返しながら、書き上げていく記録。いつか読み返したときに、この気持ちを忘れていないように、忘れることがこれからもないように。では

「ふうううう、ゔゔ、どうしましょう~ゔゔ~(泣)」

どうなってこの状況になったのかもわからない、鼻水が垂れるのはもう通り過ぎ、泣きじゃくりすぎてもう鼻が詰まって息ができなくて苦しい。これ、よくあるじゃん、久しぶりに来たな、部活専念してたとき以来?か、まあなんでもいいや。ああ~、とりあえず嗚咽が止まらないのだけは自覚できる。ありがたいことに過去に過呼吸になったことは1度もなく、いまも現状が飲み込めてないという意識がだけはしっかりとある。

(おおっと、涙ひいてきた~、どうする?このあとのことはさすがに考えてなかった~)(こういうときに意識を失うとかなってみたかったな~、)人情的に絶対に感じてはダメな感情ですら、この状況でも頭をよぎるほど、そう自分はひねくれ者だ。

頑張って、3人?か4人?で机を囲んで座れるかくらいの客間であったであろう和室に、自分は1番頼りにしていた先輩に付き添ってもらい、号泣、とりあえず嗚咽している。さっき仕事開始したばかり、なのに、なんだこの状況は、、あ~とりあえず逃げたい、消えたい~、!



拝啓、未来の自分へ

元気に過ごしていますか(はい)

お付き合いしている方は、?どうですか(そこは、うん、はい)

いまでも自由奔放に生きていますか(はい生きています)

いまも変わらず自分中心的ですか(間違いなく)

これからも肯定的にいきましょうね♡そして生きよう、

これを読み返したとき、笑えていますように、



「ど、同期ですよね?よろしくお願いします~」そうぎこちなく自分が挨拶を交わしたのはこの職場で唯一の同期。大人っぽく見えて何でもササっとこなしちゃいそうな見た目だった。部署は別で、このときの自分は新卒の変わった偏見なのか、同じ部署に同期がいないということは、比べられることがないのだと変な安心感を抱いたことをいまでも微かに覚えている。

毎日会う人が変わることはそうとない、少人数の職場。沢山の視線、そして沢山の人と関わることに苦手意識があった自分にはもってこいの職場だと思った。若い、、そんな甘くはないと心のどこかでは思ってはいたが、まあだからこそ切り捨てられることもそうないだろうと完全に緩みきった脳をしている。実際にここで働いた3年間というものは、自分の次に入職してくる新卒はおらず、この3年間をいい意味でも悪い意味でも1番下っ端で、甘えたくって過ごさせてもらったことは紛れもない事実。職を失うことを1番の恐怖に感じていた自分は、何も考えず、ただただ毎日職務を全うし、ただひたすらに生きていただけだった。それだけで自分の人生はとりあえず大丈夫だった、そう思いたかったからだ。

物心ついたときから人とは少し違った過ごし方をする、俗にいう変わったタイプのやつだった。大学の頃は〝不思議ちゃん〟と呼ばれたこともある、これはまだいいあだ名な方。あとは~集団に属したい欲がなくグループ決めでいつも迷惑をかけるやつ、って感じ。大学の友だちとは就職先も少し逸れたところへ「そういうとこ、何か合ってるよね~」と言ってくれる周りの言葉を、〝お世辞〟という意味を理解するまでもなく、内心嬉しいなあと思いながら自分を言いくるめる毎日。単なる正直者の馬鹿。学業も中の下とかで、目立った得意技なんてそりゃ体を動かす?くらいしかなくて、それもある年齢を越えるとポキッと折れたし、自分の人生、いま思うと、人と比べられることから上手く逃げて逃げて生きてきた結果が〝こだわり強〟の自分を作ったのだなあ、と。それも素敵。大学で勉強しているうちに、こだわりには何も悪いことはないのだと学んだ。それは個性なのだと、わたしの低脳は学んだ。素敵、(笑)


1年目は思っていたより一瞬で過ぎ去った。そりゃそうだよな。初めての社会人、初めての職場、初めての仕事。働くってバイト以外では初めてで、何もかもが新発見!!!なんて、目をキラキラさせながら働いていたつもり、自分ではそれくらいに感じていた職務も、実際は自分のキャパにはとてもではないが入るにも入りきらないものであった。キラキラだと想像していたよりも遥かに、そして思っていたよりも自分のキャパは狭すぎたのだ。

唯一の同期も第三者の視点から自分の部署を見てくれていては、「やばいよな~そっち(笑)」と言うこともしばしば。「やばい?え!?そんな?まじか~」「うん、そっち行きたくないもん」「え~来てくれてもいいのに(笑)」と、そう日々のできごとやら感想やらを唯一の同期にどストレートに伝えることができる毎日は、自分の中でもかなりの救いだった、なんというか、それだけで気が晴れた。見えないゴールにただ走っているだけの自分を、目と鼻の先で少しリードしてくれるような存在。目の前の課題は一切減らずとも、それはそれら不安を全て覆すくらいのエネルギーを持っていた。

やはり1対1で話すことできる場は自分にとってはとても有難いな、、


この頃からだった。もし自分ではなく他の人たちだったら。この仕事内容も淡々とこなせるのかもしれない、もし大学の同期たちだったら。これを余裕に感じる子たちもいるのだろうな、そう考え始めると、「自分ってめっちゃ大変やん!!」心の中のひねくれ者が喜びの音をあげる。できないことはあってあたりまえ!やれん!そりゃできんもん!末っ子炸裂。「やばいですよね~」と見せる、心を許した人にだけこぼす謎の余裕感、自分大好き爆誕。周りの気なんて考える暇もなし(笑)ずっと前には進まないままの、ただただそんな毎日を一生懸命生きてた。自分には、この境遇を試練だとは到底受け止めることはできなくて〝絶対に無理〟〝できるわけがない〟そう自分の中に皮肉にもレッテルを貼ってしまう。そうやって呆気なく社会人1年目が終わったのだ。勿体ないことをしたな、


社会人2度目の春、自分の職務は、とりあえず1年目を乗り越えたから大丈夫であろうということで、内容が少し変わったのと、明らかに量が増えていた。なんでもそれは、ここの職場の人たちはみんな乗り越えてきた壁らしい。(1.2年目に?この量を?この内容を?まじか。じゃあ自分もやるしかないのだな)いま思い返すと、無理だ、できないと声を上げても覆らない職場だということは分かっていた。1番下っ端には、謎の〝やってみないと精神〟みたいなものがあり、助けてもらえるのはいまのうちだから!と、自分の声にならない悲鳴は、鳴く前からから握り潰され、大きな渦にもみ消された。周りの先輩たちは本当はどう思っていたのかは知らないが、新人の自分を支えてあげようという気持ちで、〝手伝うよ〟という意味で、満面の笑みを自分に向けてくれていたのだけは鮮明に覚えている。その圧はその場にいる人間にしか分かるものではなくゾッとするが、当時は何とも思わなかったし、儚くも頑張ってやるぞ~とも思っていたし、そもそもそんなところに目を向ける余裕がなくなっていたのも事実。ただ、いい意味で古株な人たちが多い少人数の職場なだけに、久しぶりの新卒入社である自分は手厚く関わってもらえているとのだと勘違いし、何とも思わずにのほほんと過ごしてしまっていた、もちろん単純に低脳なのもあるが。そんなのもあって、〝先輩たちみたいにできるようになりたい〟なんて、心のどこかで一瞬でも思ったんだろうなあ。余計に「助けてください」と発信するタイミングを完全に逃したのだと思う。


「な~いつまでこの仕事続ける~?(笑)」(この時間待ってた~)「いつ辞めるよ~?」「でもボーナスいいしなあ(笑)」(いやほんま、、)「それな」(それな)

いつしか自分は、1日の仕事をやりきって、その日の出来事や全く関係のない話で盛りあがる、唯一の同期との時間を楽しみに毎日を乗り切っていたのかもしれなくなっていた。だって、同期の部署より出勤時間が早いのに、同期より退勤遅いって、、おかしすぎる話じゃありませんか?普通はすぐ帰路につくはず。まあそんなこんなで、日をまたいで喋り倒すことも(笑)趣味が合った唯一の同期は、いままでにない類の友だち、色々な意味で最高の距離感の人間だった。一応のプライベートを満たしている、そう思っていた矢先、自分の日常に異変は少しずつ現れ始める。社会人2年目のことだった。


いま思うととても失礼な働き方をしていたなと。分からないままに指導してもらって、次はしないように気をつけてとなだめられて。怒られることはなく、ただただ与えられたことに全うに向き合う。その分?と言ってはなんだが、仕事以外の時間をもっと満たしてやろうと必死になって、現実逃避しまっくっていたのが懐かしい、社会人1.2年目ってそんなものではないのか、?仕事がない日には、普段の反動のようにその日限りのお洒落をして、大学の同職の仲間たちに会って、あしたからの現実に戻れないと夜更かしをして、そんないたってノーマルなオフを過ごすのが本当に至福のときだった。このときはまだまだ仕事もプライベートもただ全力疾走。自分なんてちっぽけだなと、よく朝焼けを見ながらベランダで息を吐いたりもしていた。ちょっといい気になって、謎に浸って(笑)少しボーナスで貯金ができると、ぱあっと旅行に出かけたりもした、そう!海外にも行ったし極めて最高だったな~ああ懐かしい、



「そろそろ企画動きだした方がいいんじゃない?」あ~まただ。自分が主軸で動いている、自分が発進しないと始まらない、そんなこともうとっくに分かっている、けど動き出せない。いつからこうなった?(笑)ただひねくれ者であるため、形にハマってしまったからには、ちょっと反抗して物事を引き伸ばし続けてしまう悪い癖がついていた、いわゆるテスト前日一夜漬け、もしくはテスト当日または休み時間に頭にインプットタイプ♡これはいまも変わらないなあ、年々よくなってきている?でも治す気もないしな。もちろんこの頃も肝心な「助けてください」は言えたことがなかった。

優しく声をかけてくれる先輩の助言を吸いに吸い込みまくって、一切外へは発信しない、期待に応えない、自分の中で消化しきれず積もり積もっていく、そんな日々を繰り返していた。



休みの日の過ごし方:1人で地元をドライブ、ただ出かける

趣味・得意とすること:人間観察、ウィンドウショッピング



決して明るい話題にしてはいけないと思うのだか、台風が直撃したときの話をしよう。職場は結構な古めで平屋の1階建て。珍しい、か。台風に限らず、雨が多く降った日の翌日には、雨漏りの対応でバケツと雑巾の設置から始まる日も珍しくはなかった。そんなの人生初体験。それをも先輩たちは「初めてやんね~?今後することあるやろから見ときや」と、自分にさせることはまず基本的になく、完全完璧にレクチャーをして今後と職場の未来を必然的に自分に託していたのだ。(、圧)そして台風直撃。雨漏りの数と範囲が増えるのはもちろん、だが全然そんな可愛いことだけではなかった。のほほんと生きていた自分に、自分全体に電気のようなものが走った。台風の影響による停電で職場全体が機能停止。パソコン作業は電気が通らないために事務仕事もできず、手書きの事務仕事に切り替え(笑)まあ事務は唯一嫌いな業務じゃなかっただけに、自分ハッピー!ラッキー!ていうか、絶対言ったらいけない、で、言うのだが、、このいつもと違う〝特別感〟に自分テンション爆上がり(笑)普通に事務仕事三昧なのにハッピー!(笑)いや普通に考えて、はい、、そう、すでに鬱みたいな症状だったと思う。これも診断はくだってはいないので、あくまで仮定の話。2.3日、こんな状況が続いて、テンション爆上がりによる変なアドレナリンで、事務仕事が必要以上に捗ったのを覚えている。1つ悲しかったことをあげると、超お世話していたメダカたち。あの水槽の水を綺麗にする電動の機械?みたいなものが停電で稼働しなくなり、全員死亡(泣)さすがに応えた(泣)水槽の洗い方、完全完璧にレクチャーしてもらって、やっと全部1人でできるようになったところだったのに、本当、何もできなくて台風から助けてやれなくてごめんな。台風の影響は、辺りの地域にも割と出ていて、大きなもので言うと駅のホームの火災、線路の水没による機能停止等。走らなくなった電車の代わりに本数が増えたそのバスに、絶対入り切らないだろうというくらいに並ぶ人たち。ダイヤルが変わりすぎて声を張る駅員さんの声が、出しすぎてかすれているのを聞いて、ああ、みんな頑張っている、、不便なことも多いけど凄いなあ世の中、と胸が熱くなった。ちなみにこれは後から知ったことなのだが、もうどん底まで落ちたりしている人は、震災後等で世間全体が復興に向けて頑張っているその行動に無意識に活気づけられて、生き生きとするらしい、まさにこれやったやん。まだ言わせてもらうと、その事実を知ったいまでも活気づけられているときは度々あるという現実、、まだまだメンタルはぷるぷるで生きている。そしてこの頃から少し痩せ始めた、、気持ち?


金曜日の夜、退勤後に唯一の同期とカフェが併設されている某ジャンクフード店へ。「転職しよっかな~(笑)」「えーなにするん(笑)」「いや、それやんな」「転職するってなったら言うわ」「おっけ~(笑)」きょうも22時くらいまで喋った、いつもと違って別れ際がスッキリしない、んー、何だこの気持ち。ずっとモヤモヤしている気がして、食べても満たしきれなくて、常に訳の分からない〝不安〟が脳裏をよぎるこの感じ。でもその不安は何に対してか検討もつかなくて、漠然としたまま自分の中で曇り続けているのだった。


月に2度ほどある土曜日出勤。いつもより遅めの時間に家を出る、気持ち的には少し余裕があるはずで、大好きな事務仕事を存分にしてやるぞ~って声に出さず気合いを入れていれる。すると音楽が流れないイヤホンをしたまま職場に着いた。怖い(笑)絶対にいつも流すはずの大好きな黄金期のKPOPさえも一切流さずに職場まで来たとか(笑)ぼーっと生きすぎにも程があって、次の土曜日出勤も同じことをした(笑)

この頃から症状にはだいぶ顕著に表れるようになってきていて、人と会うのが怖くなった。特に、心を打ち明けた人にだけ、ひどく狭く深くの人付き合いがしばらく続いた。1番怖かったのは、絶対に忘年会や新年会の集まり系には参加したいタイプなのだが、絶対に楽しい!久しぶりに会える、嬉しい!とは分かっていてもどうしても行く勇気が出なかったこと。初めて〝予定はないのに〟ドタキャンをした。それはこれっきりだったのだが、本当にここまでになるのか、と集まりが終わる時間を予想しては布団に突っ伏して泣いたくらい。嘘だろうと言われるかもしれないが、自分でもそう驚くくらいの変化があった(笑)それほどにありえないと思っていたことが現実になり、受け止めきれずにまた落ち込む日々の繰り返し。分かりやすい例で挙げると、電車が特に辛かった。片道1時間弱で人に会いに行く用があったときには、電車内で自分に当てはまる症状を検索して項目を見ては「おお~」と、当てはまることばかりで現実みがあることに生きている実感が持ててホッとした反面、そう気づいたときには時すでに遅しで、動悸がすごくて泣きそうになり、電車内では泣けるまい!と涙を抑えるのに必死で、結局泣いてはマスクの中が鼻水だらけだった(笑)もちろん到着して会うなり、こんな症状でここまで来るの辛すぎた~!(自分大好き自分のことだけすぐ報告(笑))と、とりあえず笑って話をした。重い話?もう自分では誰にでも話すことができるようにはなっている。人と会うのが辛いのには例外もあって、社会人になってからスマホの買い替えを、友だちの紹介である男性にしてもらうようにしていたのだが、その人に会うときは、なぜかもう〝この人に会いに行って、することはこれだけ〟という明確なスケジュールを予想できたからか、このときのメンタルでも耐えることができた。1対1でやりとりができる環境であること、終わりが見えて何をしたらよいのかわかっていること、これらが明確であったとき、自分はかなり助けられていて、まだ自分自身の力を発揮できているのだ。これがわかってからはプライベートでも仕事でも、相手にそう伝えるように心がけてきた。もちろん言い出すのは大の苦手要素だが毎回声を震わせ、頑張っている。


「ふうううう、ゔゔ、どうしましょう~ゔゔ~(泣)」

おっと、どこかでこのフレーズに聞き覚えはないだろうか。そう、冒頭にあったフレーズである、ここまで長くなったがそろそろこの話をしようか


それは、いつものように淡々と毎日を過ごし、いつものように出勤をし、いつものように仕事に取り掛かり、約2.30分がたった頃。気がつけば、いちばん頼りにしていた先輩の目の前にいた。邪魔なくらいの目の前に(笑)というか目の前に立ちに行った。先輩はうん、うん、と頷き、目を通わせると「どしたの~?」と声をかける。(あ~いつもこれに助けられてきたな)確か毎日してるかも(笑)いつもそう優しく声をかけてくれ、忙しさに関係なく相手をしてくれる。自分は何かあるときにだけ都合よく話を聞いてもらい、そうでないときは「何でもないです~♡」とその場を後にしていた。心を許せて頼れる先輩。すごく甘えさせてもらっていたなあといまでもその日々を思い出す。この日の自分は何か変だったんだろうな、いつもの「どしたの~?」に続いて「ん?うんうん、大丈夫?」と。(なんでや、なんや、何を見透かされとる??)「いや何も!」と元気に返事ができたつもりではいたのだが、ただならぬ何があったらしく、目を丸くして「とりあえずちょっとおいで~」と手を引き、気づけば廊下まで誘導されていた。もうドアをあけて部屋から出る頃には自分はすごい状態になっていて、前が見えず、嗚咽が止まらない。「大丈夫大丈夫、とりあえず息しようか」と。そう、看護師だった先輩。呼吸を落ち着かせるのは慣れているな、でも止まらん、嗚咽が止まらんのだよ(笑)子豚のようにヒグヒグ言いながら大量のティッシュを消費し、鼻が詰まりきったカラッカラの自分ができあがった。「大丈夫大丈夫、」と自分をなだめる先輩の手は優しい、が何かが違う。止まらない。うん、そのなだめる手が止まらない。怖い、確か、自分はその場から逃げ出したくて先輩を頼ってすがったであろうに、頼りにしている先輩は、自分をなだめあげては連れ戻そうとしてくれている。少し嫌悪感が走った。そう思う自分も嫌だ。優しいのに怖い、、(あ~もう逃げられんな、どこ行っても出口なしだなここは)気づけばそれが嫌な程にも習慣化してしまっていた。よっぽどのことがないと、この仕事からは目を背けて逃げ出したり、早退することはできるはずもなく、完全に1周回りきった脳になっている自分は、休んだ分の遅れを挽回することを恐怖に感じ、〝休む〟ことができなくなっていた。驚くべき事実を挙げるとすると、2年働いて取得した有給休暇はたったの1回(笑)ブラックやん、といまでは思うが、当時は申告できずだった。周りの人たちも極力、通院か非常時くらいしか取得していなかったのもあるから余計に。あ~、みんな大好きでいい人たちなのに、怖い。話が逸れたな、本題へ戻ろう。

逃げ場ないな~帰りたいな~ともう出ない鼻水を懸命にすすりながらこのあとどうするかを考える。(おおっと、涙ひいてきた~、どうする?このあとのことはさすがに考えてなかった~)涙までもが乾いてきた。もう妥協して落ち着いて元に戻るしかない(笑)それからのことは具体的には覚えていないが、いつもの優しさとは違う変な気配りを先輩みんながしてくださり、ただならなかったんだろうな(笑)何も知らない唯一の同期の部署の人たちには普通に接してもらい(これもこれでとても助かった)、そして唯一の同期には廊下ですれ違うときに案の定、2度見をされ、「え、!え?ん?え、泣いた?(笑)」と。「そうそう、やばいなとうとう(笑)また終わったら言うわ」「えー楽しみにしてる(笑)」と、こんな状況でも自分たちはこんなだ。この感じも仕事の中で現実逃避している感があってハラハラで楽しんでいたなあ、、

そんなとき、さらに職場で孤立さを増すかのように悲劇が追い討ちをかけた。今回は初と言ってもいいくらいの症状、自分の発する声が出なくなり、とうとうゼロにまでになったのだ。いや、それがどうした?と言わるであろう言い方しかできないのは謝ることしかないのだが、とりあえず声が出なくなったのだ。ただこれまでにあったようなメンタル的な問題による、〝助けてください〟が言えなくて等ではなく、本当の声。だがそれはいまに始まったことではなく、過去にも大切な場面で何度がやらかしたことがある。鮮明に覚えているのは大学時代の実習の最終日。その前の日からかすれ声にはなってきていて、最終日にはお世話になった方たちへの挨拶ができないほどの声になり、残念な実習最終日を迎えたことをよく覚えている、それくらいに何かを持っているのだ、ただの体調不良にしてもタイミングが悪すぎる。

声が出ないことくらい、出さなければ済む問題ではないか。いや本当に、解決策はそれで、極力出さなければ済むのだがそう簡単にはいかない。まず職柄的に声は出さなくてはならなくて、ましてや任されている企画を、先頭に立って引っ張る場合であれば、なおさら声を〝張る〟ことが求められるのだ。部活的な見方で言わせてもらうと、声出しには上手に喉を使う人もいれば、それより上手く腹を使って声を出す人もいて、自分は最もダメな、喉のみを使い、喉を潰しきってしまうタイプにあたるの。これが痛い目をみた。この時期、ちょうど企画リーダーを任されていたのもあって、自分のキャパは溢れかえり、泣いて爆発した上に声がなくなって迷惑をかけるとは、やばすぎるやん、と自己嫌悪に陥る毎日だった。さすがに声が出なさすぎて業務にも支障を来しはじめたので、仕事おわりに猛ダッシュをして、職場の1番近くの耳鼻咽喉科に駆け込んだ。ここはいまでもお世話になっている、そして引っ越さない限りは今後も、多分生涯を終えるまでお世話にはなるであろう耳鼻咽喉科だ。初めて経験する指先採血?が終わるなり先生の口から発せられた言葉は「ポリープになりかけやね、ほらここ、ここ」と、よく分からない写真を見せられながら言われた「ポリープなりかけ?なんやそれ、って、いや待って手術?!」ポリープという言葉は聞いたことがあった。でもそれになる理由もわかっている訳ではなく、友だちでポリープ手術をした子がいたから知っているだけだった。「大丈夫やよ~なりかけやし、腫れもまだ小さいしね、でもこれ以上になったときは手術かな~少しのあいだは声出さずに安静に、ね?」と。(手術じゃなくてよかった~けど安静とか無理やし声はなー、声を出さんか~)病院を出て駅のホームに向かう、まだ日も落ちていない、(どんだけダッシュして間に合うてん(笑))1人で地味に笑う、1人で、気持ちわる(笑)と。このときの自分の脳内は、あした出勤してまず皆さんに何て言おう、かだった。ちなみにどういう風に話をしたかは全く覚えていない(笑)きっと心臓を握りつぶされるほどの衝動が走り、大量に汗をかいて出ない声を発したらすぐに終わったのだろう。自分の目の前の席のとてつもなく優しい先輩が、うんうんそれがいいと思う、と肯定的な目で見てくれていたのは微かだが覚えている。休むわけじゃないのに、声を出すのを控えさせてもらうだけなのに、こんなにハラハラしながら帰路についてあしたを迎えなくてはいけないものか。何だか虚しくなった、通り過ぎる各駅停車の電車の風が妙に気持ちよい、「は~は~ああ、、やっぱし声出やんな」ホームには自分を含め、遠くにあと数人くらいしかいなく、泣きそうになりながらも自問自答する。泣きながら割と好きな自分のハスキーボイスとも言えない声に浸りながら、その長い1日は終わった。

気がつけば長い長い、企画リーダー期間もいつのまにか終了していて、何かのしがらみから少し解き放たれた自分はまた無になっていた。これは自分のダメな面だと頭ではわかっているのに治そうと行動に移すことはなかなかできない。いやでも、自分にとって〝苦〟である仕事に長くて半年くらいものあいだ縛られ続けたら、多少は無になる期間があってもよいのでは?いわゆるクールダウン的な?都合のよい楽観的な考え方をするようにしている、その時間が自分は人より少し長いだけだ。そうとでも考えないと生きていけない、とりあえず自分は生きていきたいのだ。


〝ポリープになりかけ〟と診断を受けてからはみるみる体重が落ちていった。この職場で人生最大の体重になっていたのもあるから、痩せることは少し嬉しい気もしていた。体重が落ち始めた理由は、何か喉によくないのかなと思って、できる限りの食事をスープ系に変えたことからだった。元から薄味が好みだったのもあり、お湯をここまで入れてくださいのラインより少し多めにお湯を注ぎ、コスパ的にもお腹的にも喉的にも、体重も落ちるし、これええ感じやんと思いながら何だか勝手に満たされていたのだ。猫舌な自分はいつもかなり冷めてからスープを飲むのだが、あるとき、時間がなくて熱めのものを無理やり腹に流し込んだ。胃は満たされたが、喉、通って大丈夫だったか、?と、その日はソワソワしたまま退勤までの時間を過ごした。そしてその晩から自分は、溜まりに溜まった何かを、満腹感を満たした瞬間に一瞬でゼロにまで戻す、何かの快感にハマっていった。そしていまも、まだこのときからの自分と、理由は違えど、戦い続けている。

元々スラッとはしている見た目だったらしいが、それからは〝なんか痩せた?〟と言われる度に、自分は誰かに見てもらえている、何だかそれが認められている気がして、〝見た目〟にこだわり、過食や嘔吐に走ったのだ。〝スラッと〟ではなく〝痩せた〟自分。その謎の優越感のようなものに浸ってしまった。これも診断を受けてはいないが、検索しまくった結果、自分の症状はほとんどがあてはまったから、恐らくそうなのであろう、、もうずっと戦っているから、詳しい内容については省かせてもらおうか、また聞かれたときにはもちろん余裕で答えられるけど、中には軽蔑くらいに引く人もいそうだ、いつまで激闘が続くかはわからないが、ある日パタンと終戦する日が来るかもしれないということを願って、、少し話が逸れたね


自分で選んだ職だったが、こんなにも劣等感にも感じてしまうとは、さては初めから向いてなかったのかとまた自己嫌悪に陥ったところで、初めての有給休暇を取って転職を考えては面接を受けてみたりもした(笑)急すぎ(笑)だが、思い立ったらすぐに動き出してはみたいもので、それでうまくいったときの可能性に賭けてみることがいまも割と大好きだったりする。我ながら初対面の人が苦手な割には、しっかりと話もできたつもりだったが、不合格の通知もいただけず、あっけなく転職の夢は散ったのだった。「こんなにも相手にされないものか」と、不合格の返事すらくれない担当の方を、純粋な心の低脳な自分が心底恨んだ(笑)そして何事も無かったかのようにまた職場へ出勤した。

この頃ももちろん毎日を乗り切るのに精一杯だったが、人生で初めてと言っても過言ではないほど、充実したプライベートの時間も過ごせていた。でもその関係がずっと続く保証はこのときは考えてみることもせず、ただただ楽しい時間よ永遠に続けと願う。そりゃあ目の前のパーティーのようなひとときに、毎回浸りながら夜更かしをして遊びまくり、日が変わってから絶望的に自宅へと、トボトボ帰るオフを繰り返した。ある意味、その〝差〟がしんどかったのもあるが、現実に戻る辛さよりも楽しい時間を引き伸ばすに越したことはなかったのだ。この頃も最低体重をキープ。最低と言ってもそこまで軽すぎることもなく至って健康的な体をしており、動きやすさで言うと1番ベストな体型だった。

年越し時のSNS、「今年もお笑いを追っかけられますように☆〇〇と〇〇と~に会う!!」の投稿。とか何か若々しいな(笑)昔から好きだったのもあり、単純にお笑いに助けられていた、それは紛れもなく事実。お笑いの方たちってすごいんだ、いまではそれが職業なのだと、裏の裏の事情とかを想像して、変に嫌らしい現実を考えてしまうようになったのだが、それでも民衆を幸せな気持ちにさせようと働いてる、なんて素敵な職なのだろうと、とても感激した。この頃の自分はただ単に元気の源をお笑いからいただいており、意味がわからないくらいに助けていただいていました、本当にありがとうと思う(笑)そしてもいまでも、あ、この前年始にお笑い見に行きましたわ、(笑)

そんなこんなで1周まわりきりながらもぼちぼち働き、生きていた自分、転機は突然訪れる。唐突な2択問題。


1.異動をして、違う部署で働く

2.管轄が変わるが、いまのところでこれからも働く


まあ3.辞めるという選択肢もある。だが〝職を失う〟に値する選択肢3は自分の中ではまずなかったので、今回は2択としよう。よりによって、影でコソコソと転職活動をしていて?あっけなく散って?こんなタイミングでそんな話題出てくるもんなのかと驚いた。この前、自分が来客にお茶を出して対応したの、あれ次にここを取り仕切る関連の人だったのか、状況知らなさすぎの馬鹿にも程があると笑えた。

初めての転機というのだろうか、初めてだが今回は2を選択した。理由は、また1から人間関係を作り、築いていけるだけの余裕をそのとき持っていなかったから。そして、残る人たちと共に、管轄が変わることに対して、いわゆる〝社風〟に変化をもたらしてくれるのではないかという淡い、淡い期待を抱いて。唯一の同期もいる、心強い、というか、正直なところ少し意見を合わせにいったのもあるとも言える(笑)まあそれはサラッとスルーしていただけたら(笑)だが、ここからがさらに地獄だった。新年度が来るまでの残り半年すらない期間、過去の業務の整理と今後の引き継ぎパーティーが幕を開ける、そう毎日残業三昧期間の始まりが来た。

新年度から少し新しい風が吹く!一旦、とりあえず一旦区切りがつく!自分は、それまで〝とりあえず〟やりきってやろうと、少し力が入った。が、毎日の仕事内容がキャパオーバーなのは事実。まあそれは今更感満載な事案だったのが、ここで難ありなことが自分のキャパオーバーを痛めつける。初めの方でも言ったように、いい意味で古株な人たちが多い子の職場。もちろん長年勤務されている方も数名いて、そこであがった声が「もう最後なんだから、これで一応終わってしまうのだから特別なものにしよう~!」、、、、んー、いらーん!!!!!!(笑)いや、いま改めて思うと「そうですよね!特別なものにしましょう!」と思うのだが、思うのだが、このときはこの台詞を返すも、気持ちは一切こもってなく、内心(こんだけ業務パンパンで、引き継ぎで荒れ狂ってるのに何で仕事もっと増やすねん、何が特別やねん例年通りでええやんけ)と、まさにゆとり意見が自分の体内で爆発していた。あれだな、長年そこにいたから出てくる情とか、いまもあまり湧かないほうなのだが、このときの自分には失礼なくらいに〝なんなんそれ〟レベルで湧いていなかったと思う(笑)という、まあ特別なものにする手助けは全力でして、まあまあほぼ先輩たちに自由にすすめてもらった、それについていった。それだけしかできなかったな、本当に


長い日で、15時間とか職場にいた(笑)自分で承知済みのサービス残業。とりあえず早くゴールに着きたい自分からしたら、これは、いまもあまり変わらないのだが、残業代が発生するかしないのかなんてことはあまり気にしないタイプだ、単なる低脳なのもあるのだが!(笑)だから、体調は崩さない程度に、頭痛がするときは定時で帰って、引き継ぎ業務を完遂させる。ただそれだけ、それだけ気持ちで心無いまま最後まで突っ走った。

終わりが見えるにつれて、あからさまに自分には変化が出てきた。泣きそうで辛い。おかしいと思った、何か全てがどうでもいいって思って最近までやって来た、なのに、それなのに〝情〟が湧いてくる。そりゃ周りには到底かなわないちっぽけなものなのだけど、、終わりが近づけば近づくほど涙もろくなった。担当していたこと、もう関わることがなくなる人、まとめていくこれまでの企画や書類。あれだけ、あれだけ自分を無になるくらいに懲らしめてくれたものも、最後が近づくとまたこうだ。またこんなにも自分を苦しめるのか。果たしてこれはいい意味の苦しみ?ただ辛いだけの苦しみ?期待が少しでもこもってる?判断が鈍くなるほどの、いままでに感じたことのない、この体の内部が熱くなるような、なんとも言えない気持ちが自分の中に芽生えた。いま思い出しても、同じ気持ちになって熱くなるだけで、その答えは多分これからも見つからない。でもそれはとても特別で、このときにしか味わえない感情であって、気持ちであって、そしていまも消えない辛さだった。


凍えるような寒さを一旦乗り越え、3月。

もう1ヶ月もない、引き継ぎ業務も終盤に差し掛かってはいた。自分の日常は変わることなく毎日残業。そう、自分のしていることは変わらないが、周りの人たちは変わっている。自分の中に芽生えた感情と同じで、先輩たちはもうすぐ来る終わりのために、生活の様々な場所を彩った。目に見える場所を鮮やかに飾りつけたり、目に見えて自身の最善の姿で終えれるように過ごしたりだとか、何かクスッと笑えてしまえそうなそんな人たちの姿も、全て一掃され、廃れた自分の目にはどれも有終の美を飾ろうとしている素敵な姿にしか見えなかったのだった。そんなとき、自分は最後の最後にして、出会うべくして新たな光に出会った。それは唯一の同期の部署にいる先輩だった。これまでも話すタイミングとかはあったが、深く一緒に働いたことはなく、〝あまり関わりのない丁度よい関係〟というのだろうか、まだ見えてないところが多く、お互いにいい面だけ見つけていた感じだったろうか、そんな関係で。もちろん大先輩なので、自分のことなんて、手のひらでコロコロされてもおかしくない関係だったのだが、最初から最後まで、本当に誰に対しても低姿勢で。そして、たまにおふざけが過ぎる、素敵な人だった。

「いつも頑張ってますよね、ほんとに(笑)そう聞きますよ~」と。(いつもは見てないやん、流石に知らんやん。)と心の中でツッコミを入れていたが、どこまでが本当か嘘か、そんな雑念を感じさせないくらいに、素直に嬉しい言葉をかけてくださる方だった。唯一の同期が退勤する時間まで残業をしている自分を相手にしてくださっては、「2人とも一緒に帰られるように向こうで声かけてきますね」と小走りで向かってしまうような、そんな人。なんて真っ直ぐな人のだろう、自分の荒れて枯れ果てていた心は、最後の最後であっけなくも大きな変化をもたらした。そしてそれは紛れもなく自分自身だった。いつも自分が返事をする時間をくれず、一方的ではあるが、とても温かく否めない、そんな一方的さだった。ああ、もう少し、もう少し早く気づいて、一緒に仕事してみたかったな。毎日同じところに出勤はしていても、その事実をきょうまで見つけられていなかったことをとても残念に思った。


「お土産です、溶けてたらすみません、よかったら(笑)」と、その先輩は、数日間の有給休暇を取っては1人でよく旅行に出かけるらしい。その大胆さに当時の自分は衝撃を受け、タイミングよく沢山の話を聞いた。いままでになかった高鳴り。先輩に対する口数が明らかに増えた。初めの旅先で買ったというそのお土産は、ヨーロッパをまわってから自分の手元へとやってきた。だからか、溶けてたらすみませんというのは(笑)残業中に不足していた糖分を補うには十分すぎる甘さだった、それに全然溶けていなかった。すごいなあ、、その日はそれで十分、残業はやめて心を満たして帰路に着いた。この先輩のためにと言っては過言だが、そう言っても何も間違ってないと錯覚するほど、この時期の先輩の存在は自分にとってとても偉大なものになっていた。面白いのは嫌なくらいに、こんなキャパオーバーで大変な毎日でも不思議なくらいに、容姿のことは1度気になると歯止めが効かない。(あの時間にあの糖分は~)と、少しだけ罪悪感は残った。

これと、あと1度だけ甘いものをいただいて、それ以降は先輩と会うことはなかった。「大丈夫ですか!疲れてませんか(笑)きょうも甘いものありますよ!」いつも持ってるのだろうか(笑)容姿のことを気にするのはするのだが、甘いものが大の好物だということも事実。「え~いいんですか~(泣)」と本音じゃない本音が出る、もう貰う気は満々だ。そう走って戻ってくると、自分こデスクに雑にお菓子を置いた。「ふふ、2種類も?すごい量、(笑)」ベルギーワッフル2個と蜂蜜かりんとう。

涙は見せず、笑顔で、貪るように食べた。自分だけの自身だけに対する少しの罪悪感、先輩に対して何か偽善者になったような気持ちになる劣等感、真っ直ぐ向けられるこの時間だけしか浸れない幸福感、もうすぐ終わってしまうのだという喪失感、自分の心の中はこれまでの日々と、比べものになるくらいに忙しかった、なに、いつもこんなだったやんか、最初から最後までずっと、なのに、これほどまでに何かに満たされた気持ちになる忙しい気持ちは生まれて初めてだった気がした。

「本当に迷惑ばかり、いままでありがとうございました」そう告げると、まだまだお菓子を持ってきますよと言わんばかりの、素敵な笑顔で自分たちは別れを告げた


まだ日も昇っていない朝、暗い空にうっすらと浮かぶ開きかけているサクラのツボミを数え、また少し寂しい気持ちになった。また新しい毎日が始まる、新たな日々、


春。

新年会という名の集まり。自分たちよそ者は今年からこの場に合流するのか。「何かいままでとは違いすぎて(笑)」「ほんまそれ、とりあえず若い年齢層多すぎな~」「各部署から代表1人ずつカラオケとかダルすぎ(笑)」「いやこれが毎年ってやばない(笑)」と、少し心が軽くなって完全に肩の荷が降りきったのもあってか、唯一の同期とのお喋りが止まない。次々とマイクが人の手を渡り、様々な音が響く。若い男性が歌うラブソング。(声高いし(笑)ほんでまたこんな場で恋愛ものて(笑))ふふーんふ~ん、知っている曲なだけに口ずさんでしまう。心地よくもないけどこのラフな空間がまだ実感を持てない。見渡すだけで精一杯。曲が終わると何も考えてなかった自分を唯一の同期の声が奮い立たせる。「挨拶やって!行くで、はよ(笑)」普通に考えたらありえる状況なのに、予想外の展開(笑)(はああああああ、すぅぅぅ)「~です、これからよろしくお願いし 、」最悪だ、、(肝心なラスト、マイク離すの早かった~(泣))

以前とは完全に全然違う心の持ちよう。当分フワついて空回りしそうな気がするな、いけない、はあ、、頑張ろう。甘いもの、、そうだデザート。アイスクリーム(バニラ、チョコ、柚、ストロベリー)デザートもう食べたいなと思ううちに、思いはすでに声に出ていた。「すみませーん!デザートのアイス、チョコでお願いします、できればもう、、、あ、、いや、ちゃうな、やっぱりいいですまだ(笑)」初っ端からやらかしたと感じる自分の心はあの日の、あの日々の甘さを欲していた。甘いもの食べたかったのもある、だが、自分の体はすぐに甘さを求めた。だからだ、自分にもあまい、このときもいまもこれからも。人生勉強ばかり、まだ必死にもがこう、生きよう。

まだ始まってもない、なら見つけてやろうか、新しい生き方を、自分を。



長いようで短く儚い、同じような繰り返しの内容を最後まで見て下さりありがとうございました。

内容は違えど、〝自分〟と似たような経験をした人は少なからず存在するのではないでしょうか。この話に出てくる〝自分〟に関わってくださる似たような人たちは周りにいませんでしたでしょうか。〝自分〟に当てはまるような場面はありませんでしたでしょうか。なかったかも知れませんね(笑)


完全に自分目線で、わかってほしくないようで本当は少し知って、わかってほしい、そんな単純な書き方しかできませんが、内容はさておいて、少しホッとはしませんでしたか?きょうも、なくなりそうな自分を抱きしめ、精一杯、日々を生きる方へ向けて、いま生きるこの時代を共に共有しましょう。また心に余裕ができたとき、思いを、気持ちを綴る機会を必ず作りたいと思います。それではまた。

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