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八話

 夏休みも半分が過ぎた頃。

 篠崎家の扇風機は、私が占領していた。


 私の部屋の窓は、私の勉強机の真横にある。

 ちりんちりんと鳴る風鈴の音が、心地良い。


 しかし、風は気持ち良くはならない。

「暑い……」

 とろけてしまいそうな私の声が、自室に響く。


 宿題もほぼ全部終わらせ、後は簡単な宿題だけとなった。

 遊ぶ友達も、遊ぶ予定もない。だから、夏休みだというのに家にほぼこもって、宿題をやっていた。中学一年生の夏休みとしては、まぁまぁ上出来な進み具合ではなかろうか。そう、自分に友達がいないことを正当化して、大きく伸びをする。


「あとやっていないのって何があったっけ……」

 残りの宿題が気になって、ファイルから夏休みのしおりを取り出す。某フリーイラスト素材の男の子が虫取り網を持っているイラストが描かれた表紙を、ぱらぱらとめくる。

 宿題の欄を見て、「あ」と声を漏らす。


 音楽の宿題、あった。

 合唱コンクールの、パートの音取り。先生は「某動画サイトかなんかで、自分のパートの音をしっかり確認すること」と言っていたっけ。

 私達のクラス、一年二組の合唱コンクール実行委員は、秋葉さんと、もう一人の女子、木原さん。秋葉さんはクラスのツートップ的な存在で、木原さんは吹奏楽部でトランペットを吹いているという。中々に強い実行委員だと思う。秋葉さんは発言力があって、木原さんは音楽的な技術に長けている。

 合唱コンクールの優勝の心配より、まずは私の歌唱力の心配をしないとな。


 合唱コンでのパートは、アルト。前まではソプラノだったけど、ソプラノには可愛い女子しかいないと男子が言っていたのをきっかけに、中学からはアルトに入った。思えばそれは単なる男子の偏見でしかなかったけれど、それでも私は怖かったのだ。

 一人だけ、ソプラノにブスがいると思われたくなかったのだ。

 確かに、一年二組のソプラノの女子は、可愛い。佐藤さんもソプラノだし、木原さんもソプラノだ。対してアルトには、可愛い人も多いが、何より大人しい性格の人が圧倒的に多い。だから、その男子の言っていたことにちょっと付け足すとすれば、ソプラノには可愛くて明るい人しかいないということなのだろう。


 自宅にあるノートパソコンを立ち上げる。スマホを持っていないから、こういうときはノートパソコンが便利なのだ。

 ちょっと立ちあげる時間が長いのはいただけないが、それでも普段使いするには申し分ない。私にはノートパソコンで充分じゃないか、まだスマホなんて必要ない、そもそも経済的に買うお金がないとお父さんが愚痴っていたのを思い出した。


 動画サイトを開いて、慣れない手つきでキーボードを打ち、自分のクラスの合唱曲のアルトを聴いた。


 中学から入って改めて、アルトって目立たないよな、と感じた。おまけに難しい。小学校の頃、音楽の先生がアルトだけ重点的に教えていたのはそのせいか。

 二、三回ぐらい聴いて、今度は音声に合わせて声を出してみる。最初は不明瞭だったのが、段々と正確になっていくのは、自分の成長とはいえ、何だか面白かった。


 ◆◇


 ひとたび練習が終わって、また自由な時間がやってきた。一応音楽の宿題の欄にチェックを入れておいたが、何だかまだやることが残っている気がする。


 何だっけと答えを巡らせていくうちに、パズルのピースが当てはまるような気持ちになった。


 そうだ、リップクリームが切れてたんだ。


 この前行った雑貨屋さんで買っておけば良かったかな。あの雑貨屋さんにはキャラクターもののリップクリームやハンドクリームが、所狭しと並んでいた。加藤さんや望月先輩に気をとられていて、買おうかな、という気持ちになっていたのをすっかり忘れていたのだ。


「コンビニに、売ってるかな……」

 時計を見れば、まだ午後三時。

 まだ日も沈まないし、両親も帰ってこない。


 最近は「暑くなると危険だから、これでアイスでも食べなさい」と親から週に二、三回ぐらいお小遣いを渡されるようになった。これも、私への配慮あってのことだろう。有り難いと思い、貯金箱に貯めていたが、このお金でリップクリームを買おうか。


 貯金箱をまたハサミを使ってこじ開ける。中からお金が飛び出してきた。

 そういえば、貯金箱が何だか重たい。

 きっと、沢山溜まったんだろうな。


 ちょっと嬉しい気持ちになって、ハサミをしまい、貯金箱の蓋を力を込めて閉じた。

 五百円もあれば足りるだろう。私が買うのは、ただの薬用リップだ。下手すりゃ、百円なくても買えるかもしれない。なんて、それはないか。


 ◆◇


 部屋で着ていたTシャツとショートパンツのまま外に出る。あまりの蒸し暑さに、目がくらみそうになった。暑さのピークはもう過ぎたっていうのに、八月はまだまだ暑い。当たり前だろうけど。


 近くのコンビニに向かうまで、汗が滝のように噴き出してきた。元々暑がりだから、普通の人の二倍ぐらい、汗が出ているはずだ。


 そういえば、この汗のこと、真心ちゃんに話したら、「代謝が良いってことじゃん」と褒めてもらえたっけ。


 苦い記憶を思い出して、頭をぶんぶんと横に振る。

 またか、私。いい加減にしろ。何をそんなに引きずることなんかあるんだ。

 額の汗を拭って、コンビニに入る。


 中は空調が効いていた。汗がすぅっと引いていく感覚が、気持ち良い。

 いらっしゃいませー、と店員さんが爽やかな笑顔を向けてくる。無視することも出来なくて、そっと会釈した。


「あ」


 小さな声が、聞こえた。

 声の聞こえた方、横を向く。そこで、私の心臓が嫌な跳ね方をした。



 秋葉さんと、吉田さん。その他、周りに数名の男子。

 一年二組のリーダー格の人達が、そこにいた。



 ナイフでも突き刺されたかのような冷たさが、全身を襲った。

 嘘、何で、ここに。

 そりゃ、コンビニだから、利用していたっておかしくはないけど、でも。

 タイミングってもんが、あるでしょ。


 私は、いかにもって感じの部屋着。クマが描かれたTシャツに、黄色の裾の広いショートパンツだ。

 対して男子達は、ちゃんとしたTシャツにハーフパンツ。ショルダーバッグやリュックサックをかけて、普通の外出用の格好をしている。


 あぁ、どうして着替えなかったんだ。あぁどうしよう、馬鹿にされたら。いや、秋葉さん達ならそんなことはないだろうと、心のどこかで勝手にそう信じ込んでいた。


「篠崎さん、ちーっす」

「どもー、篠崎さん」

「こんちゃーっす」


 え?

 慌てて、真正面を向く。

 今、確かに挨拶されたよね……?


 私がそう確かめるより前に、彼らはレジに向かっていた。

 ……私、挨拶されたんだ。

 こんな私にも、挨拶を返してくれる人がいるんだ。


 その事実に、飛び跳ねそうになった。

 祈るような思いで、彼らを見ようとしたその瞬間。



「服ダサくなかった?」



 そんな声が聞こえた。

 目の前が、真っ暗になる。


「馬鹿、聞こえるぞ」

「確かに俺もそう思ったけどさぁ」

「いや、今言うべきことじゃないだろ」


 そんな声も、聞こえる。

 あぁ、あぁ……。

 何だ、何だ、何だよ……。


 今信じようとした世界が、派手な音を立てて割れたような気がした。

 そうだよね、私の服装なんて、ダサいに決まってる。

 それでも、分かっていても辛かった。


 怖かったけれど、もう一度、彼らの方を見る。


 一瞬、一人の男子と目が合った。

 その男子を見て、ハッとする。


 相沢さんだ。


 秋葉さんや吉田さん達と一緒にいるなんて珍しい。もしかして、クラスLINEでやりとりでもしていたのだろうか。

 そんな私の想像をよそに、相沢さんは私から目を逸らした。

 あぁきっと今、私は馬鹿にされてるんだろうな。


 相沢さんだって、きっとそうなんだろうな。

 そう思って、そして、その男子達から視線を外して、祈った。


 あぁ、ここに望月先輩がいれば良いのに。

 きっと、私の方を見ても、何も言わずに、話しかけてくれるはずだ。

 私の不運さを嘆きながら、彼らがコンビニから出ていくのを、じっと待っていた。

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