七話
お久しぶりです。
容赦なく照りつけてくる日差しが、私を照らす。
自転車をこぎながら、「暑い……」と独り言を漏らす。そんな私の独り言は当然誰かに聞こえるはずもなく、ミーンミーンというセミの音に掻き消された。
今は夏休みまっただ中。しかも一年で一番暑いとき、七月と八月の境目。そんな日に外に出るだなんて、私にとっては自殺行為だ。
でもしょうがない。私にはやらなければいけないことがあるのだから。
夏休みの美術の宿題。選挙のポスターを画用紙に描くというものだった。いつだったか美術の時間、班の誰かがマスキングテープを使って描いていたのを思い出したのだ。マスキングテープを使うと、綺麗に色が塗れるとか、何とか。
以前寄った百円ショップに行こうかどうか迷ったけど、他にも色々な物を買いたいから、駅前のショッピングモールに行くことにしたのだ。
しかし早く着かないものか。汗が背中にはり付いて気持ちが悪い。きっとショッピングモールに入った瞬間、私はあまりの涼しさに天に召されてしまうだろう。
あぁどうか、早く、早く着いてくれ。暑くて死にそうだ。クーラーが欲しい。クーラーを求む。そう呟かずにはいられなかった。
家にクーラーがあるにも関わらず、日中クーラーを使うのを許可してくれないのがウチというものだ。夜も、使うかどうか危うい日がある。可愛い可愛い娘が熱中症で搬送されても良いというのか、ということを一度言ってみたいものだけど、流石に今の家庭環境じゃ、無理があるだろう。
最近は両親が喧嘩する回数が減った。しかしそれは、お互いが家にいないことが原因だ。二人とも、早くクーラーの効いた会社に行きたいと、私のご飯なんかは適当に冷蔵庫の中に入れて、早速仕事に出かける。帰ってくるのも、私が寝てしまってからだ。私の部屋にクーラーはついていないから、ダイニングから扇風機を持ってきて風力を弱にして直で当てている。それでもここ最近は暑いくらいだ。
あぁ、一度でいいから、今夏、クーラーの効いた部屋で寝てみたい。
◆◇
ショッピングモールの駐輪場に自転車を停める。夏休みということもあってか、小学生が駐輪場に沢山いる。何だか懐かしくなりながらも、自動ドアの前に立つ。
一瞬で体が軽やかになったような気がした。クーラーの力ってこんな偉大なんだ。
全身の汗が引いていく感覚を覚えて、中に入る。首筋がひんやりと涼しくなる。髪をまとめていて良かった。
ショッピングモールの案内板を見やる。マスキングテープなどが売っている雑貨屋さんは三階。その雑貨屋さんに、シャーペンが売っていたら買おう。この前壊れちゃったからな。シャー芯を入れていたら先っちょから飛び出て来てしまったから買い替えないといけない。安かったからしょうがないのかもしれないけど。
エレベーターを使って三階に上がる。エレベーターのすぐ目の前にお目当ての雑貨屋さんはあった。
何だかカラフルな景観で、一瞬入るのを躊躇う。こんな所に入るなんて、初めての経験だからだ。今まで大抵の文房具は家にあったもので全て済ませてきたから、ど、どうしよう……。
でも、いいや。ここに、クラスメートが来ないことを祈って。
拳をギュッと握りしめて入店する。「いらっしゃいませー」と店員さんの高らかな声が響く。その時も、私の心臓は高鳴りっぱなしだ。握りしめた拳を解き放して、今度はTシャツの胸の部分を握りしめる。
「え、えっと……マスキングテープ……」
誰に言うでもなく、そう呟いてみる。しかし、周りをキョロキョロ見渡してみるも、大きな雑貨屋さんだからだろう、マスキングテープのコーナーらしきところは見当たらなかった。
どうしよう。まず始めにシャーペンを探してしまおうか。シャーペンコーナーだったら、確かあっちだろうな。そんな直感に任せ、店内を小走りで回る。
と。
私の視界に、一人の女子が映った。
どこか見覚えのある、でもどこで見たか分からないその子に、一瞬戸惑う。
どこで、どこで見たんだろう。分からないけれども、どこかで見たことがある……。
背が高くて、愛らしいショートカット、目鼻立ちの整った、涼やかで、でもどこか愛らしい顔。
そこまで出た時、私はひらめいた。
この人、小学校の頃の先輩だ。
確か、運動神経抜群で、運動会の時は大活躍していた記憶がある。私と接点はなかったけれど、運動に関しては、どの女子よりも目立ってて、その先輩の姿を見ていた私は、あまりの格好良さに、真心ちゃんと二人で盛り上がっていたっけ……。
一瞬、暗い影が脳裏をかすめたが、それを振り払って、考えをその先輩だけに集中させた。
名前が……思い出せない。そこまで出かかっているのに、何とも情けない話だけれど、名前が思い出せない。
か、か、加藤、何とかさん。あぁ駄目だ。ホント、こんな記憶力しかないから、テストで悪い点数しか取れないんだ。
私が自己嫌悪に陥っているとはつゆ知らず、加藤さんは店内を物色しながら歩いていく。そしてたまに「あ、これ可愛い」なんて表情で、雑貨を手に取っている。背が高いから、かがむようにして、雑貨を眺めている。
そして、フッと気付く。
こんなに見てることが気付かれたら、引かれるんじゃないか。
小学校の頃の嫌な記憶が蘇って、喉からウッという変な音が出る。
真心ちゃんと仲良くなる前の、小一の頃の、嫌な思い出だ。
その思い出を、頭から消す。嫌だな私って。どうしてこうも、過去に執着しちゃうんだろう。
そんなことしてるから、皆に嫌われるんだよ、きっと。
「由暖ー!」
誰かの声が聞こえた。
「はいー!?」
さっきまで私が見つめていた加藤さんが、返事をする。
加藤……加藤由暖さんか。
何だか優しそうな名前だな。そう思った。
その加藤さんのお母さんらしき人が、雑貨の並ぶ戸棚からひょこっと顔を出した。
「もう由暖ったら、今日は移動教室用のバッグを買うんでしょ!? 何シャーペン見てるの」
加藤さんのお母さんらしき人は、目に角を立てていて、怒っている様子だ。しかしその表情も、私のお母さんがお父さんに向ける表情よりかは、もっとずっと柔らかかった。
対する加藤さんも、悪びれる様子もなく、まるでいつもそうしてるみたいに、首をかしげて笑った。
「ごめーん。だってあんまりにも可愛かったから」
「あんたこの前もそんなこと言って。結局使わずに放置してたでしょ」
「あれはほら、代用品だよ。もし今使ってるシャーペンが壊れたら使おうって話だよ」
「馬鹿みたいなこと言ってんじゃないよ。……あ、馬鹿か」
「馬鹿って失礼な! こっちだって期末頑張ったんだよ!?」
「あっそ。頑張ってあの結果なんだから馬鹿って言ってんのよ。そんなこと良いから、ほら、こっち来なさい。由暖の気に入りそうなバッグあったわよ」
首根っこを掴んで、加藤さんを誘導……というか連行する加藤さんのお母さん。それに抵抗しているのか、加藤さんは「嫌だ……ここを離れるもんか……」とギリギリ歯を食いしばっている。
何だかコントみたいだ。こんな仲の良い家族もいるもんなんだな。
羨ましくなって、視線をふいと外す。あんな仲の良い家族は、私には眩しすぎる。
「早く来なさい。お父さんがせっかくアイス買ってくれるって言うのに」
胸が、きりりと痛む。お父さんが、お父さんが、お父さんが……。
加藤さんの家は、お父さんとお母さんと一緒に、ここに来てたんだ……。
どんだけ、仲が良いの……。
涙が出てきそうになって、慌てて拭った。ここまで私、精神状態脆くなっちゃっているのか。
「え! マジで!? アイス!? 行こうお母さん! バッグってのはどこ!?」
「あんた切り替え早すぎよ……」
加藤さんの興奮する声も、呆れる加藤さんのお母さんの声も、今は聞こえない。
ただ、無性に悲しかった。
誰か、助けてほしい。誰でも良いから、誰か。
その時、頭にふと、望月先輩の笑顔が浮かんだ。
え……。何で望月先輩なんだろう。
不思議に思っていても、でも何故だろう、望月先輩の笑顔を想像するだけで、何だか心が安らぐ気がした。
加藤さん達がバッグのコーナーに消えていく。それを追おうともせず、私はシャーペンコーナーに視線を移す。
何でか分からないけど、気分が不思議と和らいだ。これはきっと、望月先輩パワーなんだろう。……って、望月先輩パワーって、何?
涼しい風が、体を吹き抜けていく。久しぶりに、結果的に良い買い物が出来た気がした。