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六話

 七月二十四日。

 今日は終業式。明日から夏休みだという浮かれ気味の教室の隅っこで、私は机に寝そべっていた。朝の騒がしい空気が、目から、耳から入ってくる。

「ってかお前、期末テストマジで焼いちゃったの?」

「親の前で焼こうとしたら殴られた」

「当たり前だろ」

 男子達が話をしている。「ちょっと、それマジィ? あんた本当にテスト焼こうとしたの?」と女子がツッコんで、笑っていた。

 その人達は私に見向きもしないまま、思い思いの話をして、ニコニコ笑いながら、生活しているんだ。

 やっぱり私は友達が出来ないんだ。中学校に入学して数カ月経っても。


 夏の暑い日差しが教室に差し込んでくる。ガンガンに効いたクーラーの音が耳に入ってくる。


 がしゃん。


 あ。

 あんまりにも机に寝そべり過ぎちゃったのか、筆箱が床に落ちてしまった。椅子から立って、拾おうとする。

「ねー篠崎さん」

「え」

 聞き慣れた、あの高めな声がして、私は目を上げる。

 佐藤さんが、目の前に立っていた。


「篠崎さんてさぁ、すっごい真面目だよねぇ」

「え、は、はい」

 そう言いながら、私は落ちた筆箱を拾う。

 机に戻ってきたときには、佐藤さんがまた、同じような笑みを浮かべていた。

「何か憧れちゃうなぁ。……でも、そんなんで友達出来るの?」

「え……」

 分かっている。これは、佐藤さんなりの侮辱だ。幸い辺りに誰もいないから、私がこんなことを言われた惨めな人間だとは思われずに済んだ。……と言っても、佐藤さんは私の周りに誰もいないことを理解した上で言ったのだろうけど。

 佐藤さんは、表では頭も良くて明るく可愛い優等生を演じている。だが裏では、こういう風に気に入らない人に対して嫌みを言う人なのだ。


「なーんちゃって。ごめんね、こんなこと言って」


 きゃはは、と笑いながら佐藤さんは自分の席に戻っていった。

 残された私は、筆箱の中を見つめていた。


 こんな狭い空間の中に、閉じこもっていたい。そう思いながら、でもそんなことって無理だよなぁって思いながら、筆箱のチャックを閉めた。


「そうだ。今度の花火大会、ユウトも行くか?」

 先ほど期末テストを焼き捨てられなかったと言っていた男子の笑い声が届く。話しかけられているわけでも、噂にされているわけでもないのに、私はギュッと目をつぶり、縮こまるように顔を伏せた。友達のいない私にとって、この手の話が飛び交うことが苦痛だ。

「え、花火大会あるの? 行きたい!」

 ユウトと呼ばれた男子、秋葉悠斗(あきばゆうと)さんも賛同する。このクラスのツートップ的な存在だ。もう一人はテストを焼き捨てようとした男子、吉田直樹(よしだなおき)さんで、小学校が一緒らしかった。


「よし、じゃあ集合時間とか場所、LINEで送るわー」


 LINEかぁ。

 顔を伏せたまま、ふーっと息を吐く。

 良いなぁ、私も皆とLINEを交換したいな。……って、LINEを交換できるような友達もいないんだけどさ。

 そもそもスマホを持っていないし、両親にスマホを買ってなど言えそうにもない。

 今じゃこのクラスにスマホを持っていないのは、一人か二人ぐらいだと聞いたこともあるし、ない気がする。これじゃ私また仲間外れじゃないかと、またも顔を伏せたまま、苦笑した。


 殺意があるんじゃなかろうかと言うほど強く照らしてくる太陽を、私はそっと見上げた。


 ◆◇


 通知表を貰って、帰路につく。周りを歩く同じ制服を着た男女は、夏休みの話題で持ちきりだ。

「っていうかさぁ、社会の宿題超めんどくさくない? この町の歴史を調べなさいとかさぁ。歴史がない町を調べたって意味がないじゃん」

「分かる、それな! 何のために調べさせるのって。どうせ皆同じようなこと発表するのにさ、わざわざウチらが調べてくる必要あるのかって話だよね」

 違うクラスの女子が、私の目の前で社会の宿題の愚痴を吐きだしている。うんうん、そうだよね。一人一人調べてくる必要ないのにね、と頭の中で会話に参戦してみる。


「っつーかさ、ホント松枝ウザくね?」

「分かる! あんな宿題出してくるとか絶対ウチらの夏休み潰そうとしてるよね」

 社会の先生の悪口だ。悪口の話題はあんまり好きじゃないので、私はそそくさとその人達の横をすり抜けた。



「あれ……」


 自宅に着いた。階段を上って、自室のドアを開けようとしたとき、中から人の気配がしないことに気付いた。

「……今日は喧嘩してないのかな」

 おかしいな。今日は二人とも仕事は休みだったはずなのに。

 まぁ、喧嘩していないに越したことはない。周りの人の迷惑にならないんだったら、それでいい。

「ただいまー」

 返事は返ってこない。

「あれ?」

 おかしいな、どうしてだろうと思いつつも、靴を脱いで、リビングへと視線を移す。


 お母さんが椅子に座りながら、缶チューハイを片手に本を読んでいた。


「真織、お帰りなさい」

「ただいま、お母さん」

 今日は喧嘩していない、いつもとは違うお母さん。

 リュックサックを自室に置いて、ダイニングの自分専用の椅子に座る。クッションも何もない木製の椅子は、少し冷たかった。だが、夏である今はその冷たさが心地よい。


「……お父さんは?」


 聞いちゃいけないと分かっていながらも、興味本位で尋ねる。

「あいつ?」

 ギロッと目を光らせたお母さんは、はぁとため息をついて缶チューハイを口に運んだ。本をパタッと閉じる。

「知らない。近所のどっかであたしの愚痴でも言ってんじゃないの」

「え……」

 あいつのことなんか知らないわ、と悪態をつくお母さんの言葉に、胸がどくんっと高鳴る私。

「じゃあ……お父さん帰ってきてたんだ」

「今日は会社が休みだって言ってたし。……でも、あたしがちょっと言っただけで怒っって出ていっちゃってさ。器小さいくせして。ホントクソだよクソ」

 ふぅ、とため息をつくお母さんの顔を、私はまともに見ることが出来なかった。


 だけど、言うなら今しかないと思い付いた。

 答えは分かっているけれど、それでも。


「あの、さ、お母さん」


 今言うか、言っちゃうか、と心の中で奮闘しつつも、お母さんが怒っていないなら今言うしかないだろうと思い立ち、口を開く。

「何?」

 私がほんの少し視線を上げると、お母さんと視線がぶつかった。私は眼鏡のフレームを両手で直してから、「えと、その……」とあちこちに瞳を向ける。


「スマホが……ほしいの」

「スマホねぇ……」


 思いの外早く反応が返って来た。私はそっとお母さんから視線を逸らす。

「今まで何にも買ってあげられなかったから、スマホぐらい買ってあげたいと思うんだけどねぇ」

 そう言って、窓の外を見るお母さん。心なしか、優しげな顔をしていた。

「……でも、あいつが何て言うか分からないからねぇ。もう少し待っててくれる?」

 窓から向き直ったお母さんから、優しげな声音と顔でそう言われてしまっては、流石に「えー今欲しい!」なんて駄々をこねることは出来なかった。

 うん、と頷いて、冷蔵庫から麦茶を取り出す。

 暑いことこの上ないのに、ウチはクーラーなんか全然つけてくれない。早速額に浮かんできた汗を手の甲で拭って、麦茶を飲みほした。


「ぷっはー」

「真織は本当に麦茶が好きねぇ」

 穏やかな笑みを浮かべて、お母さんが言う。

「うん、夏は暑いから、麦茶が好きだなぁ」

 じゃあ、今から勉強してくるね、と言い放って、自室のドアを開けた。


「あのね、真織」

 お母さんの困ったような声が、後ろから聞こえた。

「何?」

 振り返って、首を捻る。膝下丈のプリーツスカートが、ふわっとなびいた。


「この前、真織のこと、いなければよかったのになんていってごめんね。あの時、カッとしていたから、つい」

「あー……」

 ついこの間の出来事が、鮮明に、ありありと、頭の中に浮かんでくる。それを慌てて消して、「いいよいいよ」と手を横に振る。

「そんなの、忘れてたし。お母さんも疲れることだってあるよね」

 無理に明るくふるまおうとすればするほど、悲しくなるのは何故だろうか。

 私が悲しい気持ちになっているとは知らないお母さんが、「そう……ね」と曖昧な笑みを浮かべる。

「じゃ、今度こそ勉強してくるね」

 はーい、と優しく返事をしてくれるお母さん。



 ドアがぱたん、と閉まる音がして、静寂が訪れる。

 その途端、押し潰されそうになるくらいの悲しさが押し寄せてきた。部屋の隅に置いてある布団にもたれかかって、ため息をつく。


 どうすりゃいいんだろう。

 私の家は、何がどう駄目だったんだろう。

 そりゃ、お父さんの飲酒運転が正しかったかって言えば、違うと断言出来る。法律違反を正当化するわけではない。けれども、それでも助け合うのが、家族ってもんじゃないのか。あいつふざけんなよって顔をして、何も向き合わないのは、少し違うんじゃないのか。


 そう言えたら、どんなに楽なことだろう。

 知らない間に、涙がこぼれた。


 家族が壊れたきっかけは、お父さんの飲酒運転だったと思う。それから、知らず知らずのうちに、お父さんとお母さんの間に、溝が出来ていったんだ。


 お父さんがいない。お母さんはただ静かに本を読んでいる。

 何もかもがバラバラな状態の家の中で、私は静かに泣いていた。

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