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苦しみを背負う人を批判すること
世界各地、日本各地に、生け贄の話は多い。
人柱は、様々な橋の下で、今でも眠る。
地方によっては、その共同体から生け贄を出さず、たまたま通りかかった旅人を生け贄にした歴史もある。
また、障害者も、その対象とされた。
しかし、その際には、一定の供養なり、宗教祭儀もあった。
殺される人にとっては、怖くて悔しくて哀しい限りではあったと思うけれど。
少々飛躍するけれど、有名テレビ司会者が、「医療従事者がコロナ感染するのは、考えられない」などと発言したとか。
つまり医療従事者でありながら、警戒心が低いとか技術が低いと、疑問、批判したかったのかもしれない。
肺炎症状が酷くなれば、呼吸も荒くなるし、マスクなどの防護でもウィルス飛沫を防ぎきれない場合もある。
どうして、そこまで考えが及ばないのだろうか。
日々、神経と体力をすり減らし、患者の治療にあたる人に、どうして敬意と感謝を持たないのだろうか。
そんな発言を聞いた医療従事者が、ますます辛く哀しくなることが、どうしてわからないのだろうか。




