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時々、感じるようなこと  作者: 舞夢
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プロ野球解説者の人種差別?

何気なくプロ野球を見ていたら、かつてセ・リーグのH球団で名選手としてならしたM氏が、話した言葉で気になったことがある。


「この選手は、外人だから、もっと期待に応えなければ」

「外人のわりに、ホームランが少ない」

「これなら外人ではなく、日本人の〇〇選手を使ったほうがいい」


外国人選手については、ただ「外人」。

日本人選手については、名字などを使う。

外国人だからと言って、どんなタイプの個人であっても、一括りにして、「外人」と表現しきってしまうのは、いかがなものだろうか。


「外人だから、活躍して当たり前、ホームランを打って当たり前」の発想は、国籍や人種で人間を差別することにつながると思う。

そんな解説を聞いたら、当の外国人選手は、どれほどの差別感と疎外感を感じることだろう。

そのプレーそのものとか、個人の名前ではなくて、国籍や人種が、判断基準に入れられているのだから。


一緒に放送をしていたアナウンサーも、時折「そうですね」と同調していたけれど、それも気になる。

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