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時々、感じるようなこと  作者: 舞夢
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「愛国無罪」の野党議員

かつて、長期間、自らの党の主張が通らないとして、国会審議を審議拒否、欠席したうえに、該当議案の採決にだけ姿を現し、プラカードを掲げたり、委員長のマイクや原稿を飛びかかって奪い取ろうとする野党議員がいた。

その後、マスコミから、その行為の危険性を問われた時に、当の国会議員は

「これは、日本国民のためであって、多くの市民の怒りを表したものであって、何ら恥ずべきことはない、むしろ恥ずべきは強行採決を行おうとした与党側に問題があり、本来であるならば採決を撤回し廃案にするべきだ」

と答えたことがあった。

「目的のためには、手段を選ばず」の典型的な考え方と思うし、国会議員が、議案の審議の場に出ず、いざ採決にだけ、「暴力的行為をおかしても」強硬に反対するとは、如何なものかと思っていたけれど、似たような事例を思い出した。


「愛国無罪」として、日本人に暴行したり、日本人の商店や企業を襲撃した、かの国の人々の所業である。

自らの主張が通らない、相手国の態度が気に入らない、それを暴力的行為で威嚇、そして傷つける。

まるで「駄々っ子、ガキそのもの」の幼稚な行為である。

相手を暴力的に威嚇する、傷つければ、全て自分の主張が通ると思ってのことなのだろうか。

あるいは単なる嫌がらせと、自己承認欲求を示しているだけなのだろうか。


かつて某大学のフットボール監督が「どんな手を使ってもつぶせ」と指示を出して、実際に「無用な」危険タックルを選手にさせてしまい、大問題になったこともある。

「目的のためには手段を選ばず」「ルールにはない反則的暴力的行為をおかして相手選手に怪我をさせても」、自らの「勝利」という目標を達成しようとするのも、如何なことと思う。


いずれにせよ、そのような発想や、そのような行為を取る人々は、他人の痛みが理解できない、まるで子供なのだと思う。


特にそんな考えや行為をする国会議員に対しては、自分たちの税金を払っていることが、悔しくてならない。


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