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時々、感じるようなこと  作者: 舞夢
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吹奏楽の問題点

現実として、吹奏楽のコンサートに足を運ぶ「ウチワ以外の人」が何人いるのだろうか。

吹奏楽経験者でクラシックやジャズなど他の音楽に進んだ人が、改めて「音楽」として吹奏楽を聞くことは、ほとんどない。


それはなぜか。


特に高校生時では吹奏楽コンクールに向けた練習がある。

一音もミスが許されない厳しい練習が続く。

超名門高では、練習室内に木刀や竹刀も置いてあるとか。

もちろん生徒を叩くことはないのだろうが、精神的な指導を施すらしい。

精神的指導とは、ある意味「脅し」なのだろうか。

音楽は、脅されて上達するものだろうか。

学生同士の友情関係は残るにしても、これでは音楽に対する愛情は育たないのではないか。


また、甲子園野球の時期になると、吹奏楽部は率先して応援に駆り出される。

そして、炎天下や雨も含めて野球場でひたすら、曲を演奏する(させられる)。

そして高校野球と吹奏楽コンクールの日程が重なった場合、どういうわけか高校野球応援が、校長名で優先されることもあるらしい。吹奏楽部が長期間コンクールのため練習した時間も、全く無駄になるし、これでは、吹奏楽部は野球部の下部組織である。

炎天下や時には雨天の中、野外で演奏すれば痛む楽器もあるが、野球部関係者や学校関係者は、そんな配慮は全くない。これも高校野球至上主義の悪弊か。


音楽的にも問題がある。

吹奏楽を経験したことのない人が、吹奏楽のために作曲された曲を、全くと言っていいほど知らないことである。

いい音楽であれば、多少なりとも知られてくるはずなのに、その兆候は全くない。

また、クラシック曲の吹奏楽編曲もあるが、あれは愚の骨頂である。

そもそも、作曲者が苦心の末、その曲に合った楽器や調を考え世に出した曲を、楽器を変え、調を変えて演奏するのである。

冗談で演奏するならともかく、これは作曲者や曲にとって、忌むべきことではないか。

その意味で吹奏楽でのクラシック曲編曲演奏は「マガイモノ演奏」である。


基本的にアジアの国々では、日本を含めてヴァイオリン等弦楽器の教育、普及が遅れた。

そのため、弦楽器奏者が少ない。

都内はまだしも、地方において本当に少ないと思う。

それもあって、「作曲家の意図したとおりに演奏をする」管弦楽の普及は日本では進まなかった。


そうかといって、その「代替品」としての吹奏楽も一般の人がコンサートに足を運ばない状況である。


管楽器では出せない音楽性を弦楽器は持っている。

その弦楽器を無視して、合奏形態とした吹奏楽は音楽的には数段落ちる。

この問題を克服するには、子供のころからの弦楽器奏者の育成と、中学、高校段階での部活動としてのオーケストラを行わせることが必要となる。


やはり、吹奏楽は吹奏楽のためだけ作曲された曲を演奏するのがいい。

元交響楽団員としての見解、これに反対する人は「盲目的吹奏楽愛好者」としか考えられない。

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