延暦寺の他責思考
神輿動座に際し、担ぐ山僧が、これを故意に泥の中に振り捨てて汚したり、神輿を自らの手で叩き壊したり、血で汚したりすることが、往々にしてあった。
もう二度と使えない。
朝廷は神輿が破壊された状態を「破損穢気」というケガレを感じて恐怖し、新品を作って奉納した(作らされた)
自分が悪いわけではないのに朝廷は神罰を恐れ、自分のせいなのに山僧は神罰を恐れなかった。
日吉神輿七基の造営費用は、合計約6500貫と非常に高額である。祇園会(祇園祭)を開催するのに要する総経費が300貫だから、その21年分に相当する。
※山僧:比叡山延暦寺の僧兵。
※伊藤正敏「無縁所の中世」より
利益を得るのは延暦寺(神輿職人から上納金が入る)と仕事を得た中世神輿職人だけ。
自ら神輿破壊(器物損壊)をしておきながら、我らにそんなことをさせるのは「神仏の怒り」からであると強弁。
もちろん、責任は朝廷(悪政、飢饉の政治責任他を含めた)に押し付けた。
他責思考の権化ともいえる。
神輿再製作費用で、飢饉対策も灌漑対策もできたかもしれない。
しかし、そんなことは、考えない。
延暦寺僧(他の寺院の僧侶を含めて)飢饉で飢え死にしたとは、聞いたことがない。
生きる苦しみもなく、ただ、お経を読み、お布施だけを求めた。
それが、寺と僧侶の正体である。
今でも、ほぼ同じ。