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時々、感じるようなこと  作者: 舞夢
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専守防衛とか平和主義とか

第二次世界大戦、太平洋戦争の結果を踏まえ、日本は平和主義、戦争放棄と憲法の条文化した。

その後は、世界情勢等を踏まえ、現実的な対応(憲法上の疑義を主張する学者や政治家もいるけれど)として、日米安保条約や自衛隊を設置し、戦争等の有事に備えているのが、実情である。


その中で難しいのが「専守防衛」の考え方。

自国から攻撃しないけれど、相手国から先制攻撃されれば、防衛等の対応をする。

先制攻撃はありえない、というのが、基本的な理解になる。


しかし、全く問題がない、とは言い切れないのではないだろうか。

相手国からの先制攻撃が、破壊力が高い、殺傷力が高い、核兵器攻撃であったとすると、日本に相当甚大な人的被害、物的被害が発生してから、ようやく防衛等の対応が始まることになる。(それで被害削減に間に合うかどうかは、別として)


となると、専守防衛を当然とする人たちは、既に「日本に相当甚大な人的被害、物的被害」を、容認していることになるのではないだろうか。

しかし、それを仕方ないと、自分が相手国からの突発的な先制攻撃で死んでも、家族が死んでも、恋人が死んでも、数多の親しい人が死んでも、容認できるのだろうか。


ただ、こういうことを言い始めると、専守防衛論者や平和主義者は、「だからこそ、平和外交を貫くべき」と、ほぼ聞く耳を持たないのが、現実。

そうなった時にどうするのか、誰に責任があるのかなどは、あまり考えない。

自らの主張や見解を最善とし、「政府外交の失態」と非難するだけで終わるのが、簡単に予想できるけれど。


かくして、議論は進まない。

日本国民は、常に、先制攻撃に脅えながら生きていくしかない、そんな状態が続いている。

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