第43話 生き残れば勝ちだ
出立の準備を整え、アゼルは部屋を出る。吐く息は、冷たい。凍り付きそうな、夜明け前の朝だった。静かな中、遠くで金属音がする。他の兵士も準備を整えているのだろう。
煌眼獣の動きによっては、ろくな準備をせずに臨むことになっていたが、十分に時間がとれた。
「あとは、俺達次第か」
頭にもう一人の重要人物が思い浮かぶ。そんなことを考えていたからか、頭で想像していた顔が目の前にあって思わず立ち止まってしまった。
「よっ、調子はどう?」
槍を肩にかついだミィナがアゼルの進行方向に立っていた。
「絶好調だな」
「それは何より」
ミィナは槍をくるくると回す。相変わらず重量感のあるものを軽々と扱っている。そちらも好調のようだ、とアゼルは笑みを浮かべた。
「それよりもあんた、アレを一人で相手するって、自分で言い出したんだって?」
ミィナはにっ、と笑ってアゼルの顔を下から覗き込んでくる。アゼルの目の前で、彼女の赤い髪が揺れた。
どうやら、アゼルが自分が何とかするとシルクに進言したらしい。アゼルが自分で広めたわけでは無いが、そんな噂が部隊で広まっていた。
実際、シルクにしてはあまりに偏った編成だった。周りの驚きの声は少なくない。それでも、シルクは言うのだ。
問題ない、と。
「何の根拠もなく、任せる人じゃないしね、シルク」
「そうだぞ。だから、おまえも気張れよ」
へへへ、とミィナはにやけた。もう片方の煌眼獣、そちらには多く人員を配置しているが直接相手をするのはミィナの役目だ。
「もちろん。あんなの相手にしたって言ったら、『楽園』で叔父貴に自慢できるしね」
『楽園』という言葉に、アゼルの眉がぴくりと動く。
それは、アルテ族の信じる天国だ。勇敢な戦士だけが、そこにたどり着けるという。だから、その『楽園』にいるという戦神に愛された乙女と称されるミィナも、当然そこを目指していた。
死後を目標にするなんてとんでもない、とアゼルは思う。死んでしまえば何も残らない。
その確信は、アゼルの心に母の最期の背中とともに焼き付いていた。
(まぁ、でも、考え方はそれぞれだよな)
シルクと出会うまで、貴族に偏見を持っていたように。ミィナに出会うまで、アルテ族の誇りなどくだらないと笑っていたように。
アゼルの考えだって、あまり人に褒められたものでは無い。だからこそ、今はいったんは受け止めておこう。そう、思えるようになった。
「じゃあ、先行くね、アゼル」
ミィナはとんとんと軽い足取りで先に進み、立ち止まった。何だろうと、アゼルが見ていると彼女が振り向いた。
満面の笑みで、彼女は言う。
「『楽園』で、会いましょう」
「は?」
強烈な違和感がアゼルを襲う。
『楽園』で会う、その言葉自体はアルテ族が好んで使う戦いの前の挨拶だ。アゼルも何度かミィナに、そして他のアルテ族出身の兵に言われたことがある。
現在は儀礼的なもので、本当に天国で会うことを約束する文言ではない。だから、死ぬ覚悟を持つ、ということを嫌っていると皆に知られているアゼルにも平気で言ってくるのだ。
しかし、今のミィナはこれまでと明らかに違っていた。
遠ざかる背中が一瞬、霞んで見えて。
「ちょっと待て」
アゼルは立ち去ろうとしているミィナを呼び止めた。
「おまえ、それ、本気で言ったな?」
二人の間を、冷たい風が横切った。沈黙が永遠に思える。耐えきれずに、アゼルは言葉を続けた。
「俺が死ぬっていいたいのか。それとも……」
「ねぇ、アゼル」
そこまで言いかけたアゼルに、ミィナが口を挟んだ。くるりと振り返る。
そのミィナの眼を見たとき、アゼルは息を飲んだ。その顔から先ほどまでの満面の笑みは消え去っている。
「あんたは、本気でアレを相手にできると思ってる?」
鋭い視線、ひきつった表情。戦場でも、獲物を見つけた狩人のような笑顔で駆け抜けている彼女。そんな冷たい顔を、アゼルは初めて見た。
槍を持つ手が、少し震えている。その震えを見て、アゼルは思い出した。
(そういや、こいつと初めて会ったときもこんな感じだったか)
アゼルは戦場でミィナと対峙した。そのときの彼女は初陣で、その膂力と技に驚きはしたものの、今みたいなキレは感じられなかった。
だからこそ、時間稼ぎを任されていたアゼルがミィナを引きつけながら戦うことができたのだ。本来の彼女相手に、それをしたら自殺行為だろう。
あの時と、今とで共通すること。
(そっか、こいつは)
自分の力が通用するか分からないことを恐れている。もっと言えば、戦士として役立たずのまま死ぬことを恐れている。
(そうだよな。そうなると『楽園』に行けないから)
彼女の思う『楽園』に行ける勇敢な戦士とは、自分の役目を十分に発揮できた者のことなのだ。それに到達できないことを、ミィナは恐れているのだと、アゼルは納得した。
「俺だって、恐いぞ。死ぬのは、いつも恐い」
アゼルが急に情けないことを口にしたので、引きつった表情を緩めてミィナは眉根を寄せている。
「でもな、だからこそ生き残れる」
アゼルは腰に手を当てて、胸を張る。これは恥ずかしいことでは無い、そう主張するために。
「おまえが『楽園』に行きたってんなら、今は生き残れ。生き残るだけで、今回の戦は勝ちだ」
ミィナがきょとんとした顔でアゼルを見ている。毒気を抜かれてしまって、呆けてから大きな声で笑い出した。
どうやら、緊張のたがが外れたらしい。ひとしきり笑ったあと、出てきた涙を拭って言う。
「まぁ、あたしもとりあえず、生き残ることにするよ」
ミィナはすっかりいつもの調子を取り戻して、笑顔を見せる。
「そんで、あとであんたの方の話も聞かせて。叔父貴への土産話にするからさ」
これなら大丈夫か。安堵したアゼルは口端を歪める。先に進んでいたミィナに追いついて、横に並ぶ。
「あんなのが最後の相手ってのも、納得できないからさぁ」
最後の相手、というのもアルテ族のこだわりだ。ミィナの尊敬する叔父貴ことオルドーの最後の相手はシルクだった。
敵討ちとかどうとか、そんなことも考えず。ミィナはオルドーの最後の相手がシルクでよかったと本気で思っている。
「じゃあ、どんなのが最後の相手だったら納得できるんだ?」
そんなアゼルの軽い問いに、ミィナは少しだけ考えて、にやりと笑った。
そして、そのまま、一歩後ろに跳ねてアゼルの顔に向けて槍先を突きつけたのだ。思わず身構えたアゼルは、その意味が分かって肩をすくめた。
「まぁ、消化不良だったのは分かるが。そんな日はこねーぞ」
そんなアゼルにミィナは首を少し傾げる。
「でも、一度裏切ってこっちに来たわけだし? ありえない話じゃ無いでしょ?」
「おっと」
それを言われると何も言えない。アゼルは苦笑いを浮かべるしかなかった。
(まぁ、こんな説教しといて、生き残れなかったらしゃれにならないからな)
アゼルは拳を握りしめた。己の決意を確かめる。
この戦いを生き残るために。




