第40話 金色の災い
ダーボン城の広間では怒号が飛び交っている。机を叩く音が聞こえた。誰かが椅子を蹴っている。
皆が感情的になっていた。無理も無い、とシルクは自身の落ち着かぬ心を抑えつつ、冷静であることを心がける。
「それでは兵が足りぬと言っているだろう、見殺しにする気か!」
「いや、フェルデンの前に中央軍が陣取っている現状で兵を割くわけにはいかない!」
どちらの言い分も分かる。シルクは自分が発言する番が回ってくるまでに、何とか考えをまとめようと思案していた。
(さて、まずは何をすべきか)
情報を整理せねばならないだろう。どの道を選ぶにしても、闇雲には動けない。
この混乱の元凶。北部領内から王国の勢力を排除し、フェルデン砦の攻防に専念できていた状況が一晩で一変した。
北部各地から、続々と報が飛び込んでくる。詳細不明の敵対組織が、各地の部隊と交戦状態に入ったのだ。その子細が語られる度に、皆が顔をしかめた。この目で見ないと信じられないことばかりだったからだ。
(屍の兵)
そのおぞましい姿の報を送ってきたのは、北部解放戦争の激戦地だった地域だ。急に土が盛り上がったかと思ったら、中から土塊と骨でできた兵が現れた。そして、その詳細を確認できぬまま、戦いが始まったらしい。大けがを負った者からは、知り合いの顔に見えて切れなかったという言葉も聞こえてくる。
見ていないが、容易に想像できる。おそらく、地獄の光景が広がっていることだろう。
「シルク」
「……はい」
リチィオが声をかけてきた。シルクはいったん思考を中断し、彼に向き直った。
「君はどう思う?」
リチィオの顔色が悪い。きっと、無理をしているのだろう。シルクは一礼して、自身の見解を話し始める。
「もともと数の少なかった地域には派兵しましょう。しかし、ほとんどの地域で現在の戦力による対処が可能だと思います」
根拠は二つ。
一つ。現在、劣勢になっているのは不意打ちによるもの。準備さえ整えば、挽回は可能であり、それだけの戦力が各地には残っている。
二つ。異形の兵は、結局は人型である。対人戦での訓練が生かせるため、個々人の力量も問題は無い。特にアルテ族の兵は、死に対しての恐れが無い。相手がたとえ死そのものである骸であっても、容赦なく切り伏せるだろう。
もちろん、ヴェレリア王国に近い兵に対しての精神的な影響は考慮しなければいけない。しかし、一番に考えなければいけない問題はそこではない。
「問題は、旧王国幹部の居住地に現れたという獣です」
ダーボン城に傷だらけの兵が帰ってきたのは、つい先ほど。体中を朱く染めながらも、彼は気丈に語ってくれた。
見上げるほどの巨獣に襲われた。自分以外の見張りは全て、それに殺されてしまった。そして、その金色の瞳を輝かせる異形は二体いる、と。
一体と対峙し、何とか振り切れたと思ったら別の個体に道を塞がれた。何度かその爪を受けたが、ここまで来た。そして、駆けつけたシルクの目を見て訴えるのだ。
――どうか、あいつの仇をとってください。
「金色の災いを晴らさないといけない」
シルクは胸に走る痛みごと、決意として握りしめた。
「その名を言うということは、君も知っているね」
リチィオは大きく息を吐くと、頭をかいた。
「こんなことが起こることが予想できていたら、もっと昔の本を読み込んでいたよ」
同感だ。シルクは深く頷く。
シルクとリチィオが思い出していたのは、今はもう遠い記憶となった幻遊戦争について書かれた古文書の一節だ。
――その者、その手によって生み出した屍を兵とする。魔の理を操り、人を贄とし、闇より血に濡れた獣を生み出す。その獣、その瞳を金色に輝かせ、人を食らう。人は、その獣を金色の災いと呼んで恐れた。
後の研究者によって、その獣はこう名付けられた。『煌眼獣』、と。
こんなところで、幻遊戦争の再現が起こるとは思ってもいなかった。寓話だと、物語のように読んでいた自分にシルクは腹が立つ。
「『煌眼獣』は二体。それには対人の戦術が通用しません」
「……兵力を多く使っても、無駄に命を散らすだけ、か」
偵察に寄れば、件の煌眼獣は二体とも動きを止めているらしい。もともと人気の少ない地域だから被害が少ないのは不幸中の幸いだ。
とはいえ、散っていったもののため、動かなければならない。
(誰かがいかなければいけない。それなら……)
シルクは決断する。
「僕に、任せてもらえますか」
シルクの強い意思を込めた紫の眼に、リチィオは小さく息を吐いて頷いた。
「どう切り出そうか迷っていたんだがね」
シルクは一礼して立ち去ろうとする。その背中を見て、思い出したようにリチィオは呼び止めた。
「煌眼獣の報告をしてくれた彼の容態は?」
シルクは立ち止まる。そして、背中を見せたまま、小さく首を横に振った。
己の唇を噛みしめながら。
その頃、救護室は荒れていた。
「嫌だ、俺は、あいつみたいになりたくない!」
報告を終えたことで気持ちの糸が切れたのか、兵士は傷つき動けない体で腕を振り回す。刻み込まれた記憶が、彼を苛んでいた。
「あいつは笑ってた。笑った顔で、俺に斬りかかってきたんだ!」
マリアは、その腕を、しっかりと両手で受け止めた。
「大丈夫です。私が、そんなことはさせませんから」
彼女のまっすぐな紫の眼を、兵士はしばらくじっと見ていた。大粒の涙を流し、その目を閉じた。呼吸は未だに荒いが、悪夢は取り除けたようだ。
彼の目から、自分の姿が消えた瞬間。マリアの表情は凜々しいものから、一気に苦しいものへと変化した。
(ああ、なんて私は無力なんだ)
手を取ると、分かってしまう。彼の命の火は、もう燃え尽きそうになっていることを。
これではいくら神聖魔法を使おうが、死までの時間を緩やかにする効果しか無い。どんな治療も、それを受ける者の治癒力を高めることしかできない。その魂が刈り取られてしまっている今、マリアにできることはほとんどない。
せめて、彼が見ている悪夢を消し去ること。そして、できるなら安らかに旅立てるように。
「夜空を満たす輝き、夜天をかける閃きよ。我が祈り、届くのであれば応えたまえ」
その声は震えていた。しかし、決して途切れることは無かった。彼女の祈りは折れそうになるマリア自身を奮い立たせるものでもあった。