第37話 一輪の華
良く言えば保守的、悪く言えば頭が固い。
革命軍の中枢を占めるアルテ族はその多くがそんな人間たちだ。たとえ、革命軍の指導者リチィオがいかに聡明であっても、同族に根強い古くからの慣習やものの考え方はなかなか変えられずにいた。
今ではアルテ族以外でも、王国に不満を持つ戦士が多数参加している革命軍。大なり小なり、騒動は起きる。未だに瓦解せずに留まっているのは一重に「王国憎し」の意思が統一されているおかげである。
そんな中で、最近軍に加わったマリアという少女はとても異質であった。なにせ有名貴族出身のお姫様だ。功績のあるシルクの妹という話がなければ、面と向かって反発するものもいただろう。陰ながら、嫌がらせをする者がいるくらいだ。
「嬢ちゃん、あまり一人で行動しないでくれ。守りきれん」
アゼルは頭を抱える。目の前には少し首を傾げているマリアがいた。その顔は笑ってはいるものの、明らかに無理をしている。
首を戻す。微かな痛みにマリアは目を閉じた。一回だけ横に動かす。驚きで固まっていただけで、そこまで酷くはない。これなら大丈夫だ。
「でも、けが人が出たと聞いたので。急がないと」
その一瞬で、彼女の表情はもとの穏やかなものに戻っていた。
どうやら誰かがすれ違いざまに彼女の髪を引っ張ったそうだ。それ自体は軽く、しかしバランスを崩したマリアが盛大に転んだことでアゼルの耳にも入る大事となった。彼が駆けつけた頃には、すでに下手人どころかマリアすら、現場からは姿を消していた。
その後、首を傾げたまま歩くマリアを見つけて大慌てで声をかけたのが冒頭の場面となる。
「分かった。じゅーぶんに気をつけてくれ」
「はい、アゼル様」
マリアは会釈をすると足早に立ち去っていった。
「ねぇ、アゼル」
「……気配消して近寄るなよ」
いつの間に背後にいたのだろうか。眉根を寄せたミィナがアゼルの背後に立っていた。こういうところは非常に動物的だとアゼルは思う。
「マリアちゃんの髪、引っ張ったやつ見つけたけど、どうする?」
「仕事が速いな」
今からしようとしていたことを先に終わらせているミィナに素直に感心する。
「こういうの、おまえ達はどう思う?」
「気に入らないことがあったら面と向かって解消しないとね。こういう陰湿なやり方、だいっきらい」
「だろうな」
だからこそ、騒動を知ったミィナは率先して動いたのだろう。ミィナとは価値観の相違で言い争うこともあるが、その辺りの感性をアゼルは信頼している。
それと、良くも悪くも風通しのいいのが今の職場である。寄せ集め、といった方がいいか。だから、すぐに悪い噂は広まるし、不満があれば上の者に直接言いに来る者も多い。
(まぁ、本当に危害を加えようとしたら人気の少ないところを選ぶもんな)
人口密度の多さからか、常に誰かの目に触れるのは皆が分かっている。わざわざ、あんなに人が多いところでおこしたのは、衝動的かつ本気でない嫌がらせだからだろう。
だからといって、許すわけではないが。アゼルは大きく息を吐いた。
「とりあえず、嬢ちゃんが本気で気にしてないから保留。シルクには、少し大げさに伝えておく」
未だにマリアを軍に置くことに懐疑的な意見を持つアゼルは、危険性を大いにシルクに訴えるつもりだ。それで意見を変える人間でないことは重々承知しているが。
「さんせーい」
ミィナは両手を頭の後ろで組んでから、大きく伸びをした。
「あたしが向かう先にマリアちゃん行ったと思うから、ついでに様子見ておくよ。アゼルはシルクに伝えといて、早急に」
マリアが去った方へと歩いて行くミィナに、アゼルは少しだけ首を傾げてから声をかけた。
「なぁ、おまえは嬢ちゃんに協力的だよな。なんで?」
常々思っていた疑問をぶつける。もちろん純粋に聞きたかったからだが、同時に真意を引き出すための方法でもある。
アルテ族の中でも特別な立ち位置にいる彼女がシルクに協力的なこともあり、それでうまくいくことも多い。マリアの件もそうだ。しかし、アゼルはその真意が計りかねていた。
振り返るミィナは、きょとんとした顔をしている。唇を尖らせてしばらく考えた後、こう言った。
「だって、可愛いでしょ。一生懸命で」
あまりにもすっきりとした回答に、アゼルは思わず吹き出した。
「ああ、それは同意」
ミィナはアゼルが考えている以上に単純なのかもしれない。少しだけ安心したアゼルはミィナに手を振って立ち去っていた。
(ほんとーに一生懸命なのよね)
ミィナが向かった先は訓練場だ。大勢の兵士や戦士達が己が腕を磨いている。
しかし、未熟な者も多く、勢い余ってけがをする者も多くいた。そんな彼らが休んでいる一角で、マリアは精力的に動いていた。
「焦る気持ちは分かります。でも、無理をすると体を傷つけるだけですから。しばらくは養生してくださいね」
にっこりと、マリアは満面の笑みで笑った。まるで花が咲いたかのように、周囲が明るくなる。
献身的な姿を見せる彼女の評判は上々だ。未だに、王族と同じ髪色であるということに複雑な感情を持つ者も多いが、実際にマリアと交流した人間は、まず間違いなく彼女に惹かれる。
「可憐だ……」
「え、なに。おまえ、ああいうのが好み?」
ミィナの近くで軽口をたたく兵士二人。その声に気づいたか、気づいていないのか。マリアがこちらを見たので、二人は急いで立ち去っていった。
マリアがミィナの方に駆け寄ってくる。ミィナは片目を一瞬閉じて、マリアに合図をした。
「ミィナさん」
――はい、アゼル様。
(ん?)
ミィナの頭にマリアとアゼルが話していた場面がよみがえる。
そういえば、だ。マリアはとても丁寧な言葉遣いをする。年長者だけでなく、一度子どもを相手にしていた時もそれは変わらなかった。ここまでに身につけた所作なのだろう。
だからこそ、不思議に思った。どうも、マリアはアゼル相手だと敬意が一段階上がっている気がする。わかりやすいのは、その名の呼び方だ。敬称が、明らかに違う。
「ねぇ、マリアちゃん。ちょっと聞いていい?」
なんでしょう、とマリアは背筋を伸ばした。
「アゼルと話すとき、緊張してるよね。なんで?」
マリアは一瞬、とぼけた表情をした。ミィナに言われるまで意識していなかったのだろう。
「え、でも、それは当たり前というか……あっ」
答えに困っていたマリアは、あることに思い当たった。
「そういえば、私、アゼル様から直接聞いてない」
気づいたのは、マリアが知っている情報をアゼルは他者に隠しているのでないかという事実だ。
マリアはそれをアゼルの育ての親から聞いたのだ。アゼルに確認をしていない。
「え、何を?」
ミィナは眉根を寄せる。一人慌てだしたマリアを、ただ見ているだけだ。あたふたと視線を泳がせるマリアは年相応に幼い。
「すみません、非常に勝手なお願いですが、忘れていただけると嬉しいです。アゼル様が話していないのに、私から話すのは間違っていますから」
「そりゃあ、あたしもそういうの嫌いだからいいけどねー」
あまり腑に落ちていないミィナだったが、マリアが頼み込むので渋々納得した。
「とりあえず、呼び方変えたら?」
たぶん、アゼルも気づいているだろうからとミィナは泣きそうな顔をしているマリアをなだめるように言う。
「精進します」
うなだれるマリアを見て、肩をすくめるミィナであった。