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幻遊剣士~理想と現実の狭間に~  作者: 想兼 ヒロ
第ニ章 己が信じる道の果てには
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第22話 その首を斬るのは

 反乱軍の将、リチィオとの直接的な戦闘を終えてから、シルク配下の兵士達は落ち着きのない日々を送っていた。

 当初、相手がリチィオの奪還を狙ってすぐにでも動く、と皆が予想して張り詰めていた空気は徐々に(よど)んできている。いくら銭湯がないと言っても警戒は解けないから、心が安まる(ひま)が無い。

 

「はあっ!?」


 そんな兵士達が集う場所に、机を叩く音が響く。感情的な叫びと一緒に広がったそれは、緩んだ兵士の気持ちを一瞬で固めるのには十分であった。

 一斉に振り返る。そこでは、アゼルが血相を変えてシルクに詰め寄っている。珍しい光景だ、と兵士達は息を飲んだ。


「シルク。今、おまえ何て言った?」

 アゼルの剣幕に対して、シルクの表情はあくまでも冷ややかである。いつも、表情は変えないがここまで冷たいのも、やはり珍しい。


「この場でリチィオを処刑するよう、伝令が来た」

「まぁ、護送するのも難しいから、殺すならそれしかないわな。俺が聞き返したのは、その後だ」

 アゼルの求めに、シルクはやれやれといった様子で肩をすくめる。

「その執行は僕が務めるように、と言われた」

 冷たい態度を崩さぬままに、シルクは言い放った。アゼルの眉間に皺が寄る。

「当然、断ったんだろうな」

 アゼルの言葉に、シルクは小さく首を横に振った。


「だから、それも言っただろ。僕がそれを了承したって」


 シルクの言葉に、ざわざわとした小さい騒ぎが広がる。


「え、ちょっと待って聞き間違い?」

「いや、確かに言ったぞ。刑の執行を、自分がするって」

「そんなの、刑務官に任せておきゃいいだろ。俺達の仕事じゃない」


 皆が、小声で隣同士ひそひそと思い思いのことを言っている。それぐらい、シルクの言葉は兵士達にとっても予想外だった。

 気にしない振りをしながらも、意識は全てシルクとアゼルの二人に向かっている。


 アゼルは大げさに頭を抱えた。目の前にいるのは、一つ物事を決めてしまったら、よっぽどのことがない限り覆すことをしない男だ。

 それでも、言いたいことは言わなくてはならない。


「いや、だから待てって。どうしたんだ、おまえ。何で、おまえがそんなことしなきゃいけないんだよ」


 アゼルは知っている。


――覚悟はしていた、つもりだけど。さすがに、他の人には見せれないかな。気づいたのが、君だけでよかったよ。


 初陣の夜。手の震えを抑えきれなかった彼の姿を。


 ただでさえ、指揮官として生きるには優しすぎる男だ。冷酷に振る舞えても、それは表面上だけで、何か事を為すごとに確実に彼の心を蝕まれている。

 それに加えて、シルクは自分が進む道、そこを進む時に奪わねばならなかった命を全て背負おうとしている。全て、など人間が持てる量を超えている。神ですら、己の得意分野にしか手を出さないこの世界で、人ができる所業(しょぎょう)ではない。


 それでも、シルクは諦めないだろう。その結果、心か体のどちらかの力が尽きて、道半ばで倒れてしまうのではないか、とアゼルは危惧(きぐ)していた。


 シルクは真っ直ぐに、アゼルの視線に対抗している。


「君が報告した通り、リチィオを救助しようと反乱兵が集まっている。その影響で、ダーボン城の包囲が緩んでいる。でも、まだ足りない。あともう一つ、一押しあれば、各地に分断された小隊を集めて戦力の立て直しができるんだ」


 そこまで一息で言い切って、シルクは大きく息を吸った。その表情は、まさしく覚悟を決めた者がするものだ。


「僕は、(おとり)だ。リチィオの処刑の日時を、わざと周囲に流す。そうすれば、さらに敵戦力はこの機を狙って、この土地に集結するだろう。ダーボン城に残る兵力を考えて、それぐらいしなければ包囲は突破できない。それができれば……、あとは、隠しておいた部隊を動かして挟撃(きょうげき)する」


 シルクの瞳に、一切の揺らぎがない。シルクがこんな目をしている時、アゼルが彼の意見を覆すことができた覚えがない。

 

「言いたいことは分かる。このままではじり貧だ。窮地(きゅうち)を脱する方法としては、ありえる策だろうよ」

 

 膠着(こうちゃく)している状態は、安心できない。結局は、敵に有利な布陣であることに変わりが無いのだ。それならあえて、敵には動いてもらったほうが穴が大きくなるし、これからの展開が予想しやすくなる。

 今、北部軍はまともに動くことのできる部隊が少ない。どこもかしこも、敵兵に(にら)みを利かされた状況だ。そんな味方の現状を打破するには、多少のリスクは仕方ないだろう。


 シルクが囮になる、ではそれこそ足りない。そのためにに獅子奮迅(ししふんじん)の働きをしろ、と言われるのであれば、それを実現させるだけの覚悟はすでにアゼルにある。

 策の成否は、問題ではない。可能性が低いのは、当たり前のこと。彼の懸念は別のところにあった。


「でもな。それなら、おまえが執行を務める必要は無いよな」


 アゼルは、シルクがリチィオを殺すことによってシルクの中にある何かが壊れるのではないか、と危惧している。


 リチィオの思想とシルクの思想は近いところにある、とアゼルは感じている。だからこそ、リチィオが絶対の自信を持っていた策をシルクが追いかけることができたとアゼルは分析していた。


 二人とも、相手方に極端な犠牲を出すことを良しとしない。シルクのことをアゼルはよく知っているが、まさか、そんな将がもう一人いるとは思わなかった。


 リチィオが自らしかけていたであろう策は、味方はもちろん、敵対する北部軍の死傷者が少ない。始まりは怨恨(えんこん)だと言うのに、有利な戦いであっても血の臭いが少ないのはアゼルにとって衝撃的だった。

 なぜ、リチィオはそんな動きをさせるのだろうか。それは戦いの先に皆の日常があるからだ。そこに敵も味方もない。戦いの後、生き残った者が手を貸してくれることを計算に入れている。


(そんなの無理な話だけどな)

 それは理想だ。人の感情はままならない。すでに刺さった棘が、抜けることはない。アゼル自身、それは身にしみて分かっている。幼い頃から、そんな現実を目の当たりにしている。


(それでも、こいつらはやろうとするんだ)


 どんなに現実が辛かろうと、理想を抱かない理由にはならない。必ず、理想の世界は実現できる。その想いを軸として、規律や義務ではなく、心によって軍勢を動かす。


 シルク、そして、リチィオはそんな将だ。


 精神的に近い相手、シルクはそんな彼に直接手を下すという。

(馬鹿な話だ)

 それは自分の理想を裏切ることにならないか。自分の理想の先を、リチィオに見てしまわないか。今までのシルクが積み重ねてきたものが、この件で一気に崩れてしまうのではないか。

 そう、アゼルは考えていた。


「リチィオを殺すのは僕でなければいけない。この反乱を、抑えたのは僕だと皆が知らなければいけないんだ」


「うへぇ」

 思わず、聞き耳を立てていた兵の一人が(うな)る。シルクの言葉に、今までになかったものを感じとったからだ。


 それは功名心。

 かつてアゼルが追い求め、シルクのおかげで吹っ切ることができた欲望だ。それを、シルクが発する言葉から感じるとは、この場にいる誰もが予想もしていなかった。


「ああ、そうかよ」

 アゼルは急に冷静な口調になると、シルクに背を向けた。


「まぁ、それならおまえの好きにすればいいんじゃないか。とりあえず、見回りに戻るわ。敵さんがやってきてるのは確実なんだ」

 扉の方に向かって歩いていくアゼル。シルクは何も言わずに冷たい視線で、その背中を睨んでいる。


「シルクが囮になるってんなら、俺が集まってきた奴らを殲滅(せんめつ)することになるだろうからな。情報集めとくわ」

 振り返らず、手だけを上に伸ばす。はらはら、と掌を振ると扉を開けた。


「ちょっと、がっかりした。いや、かなり、かな?」

 そんな呟きを残し、扉を開けて、閉める瞬間。少しだけ大きくした声でアゼルは言った。


「まぁ、いいや。勝っても、負けても。この戦が終わったら、おまえとの関係もこれまでだな」

 バタン、と扉を閉じる強い音を残してアゼルは立ち去っていた。


 平静を装いながらも、明らかに浮き足立つ兵士達。彼らに聞こえるよう、シルクは大きく嘆息した。


「君達も」

 矛先が自分達に向けられたと知り、兵士達は背筋を伸ばす。


「言いたいことがあるなら、後で聞くから。逃げ出すのなら、追わない。参加するもしないも自由だよ。敵兵が、その背中を見逃してくれるとは思わないけど」

 言い方は柔らかかったが、シルクの言い回しは棘を感じる。皆、一様に顔色を悪くして頷いていた。


 各々が自分の作業に戻っていく。この場所にとどまることが辛くなって、席を立つものもいた。

 そんな彼らを見て、シルクはもう一度大きな息を吐くのであった。



 リチィオの処刑。

 決定は、処刑される本人にも直接伝えられる。彼は顔色を変えることなく、自分の死ぬ日がいつなのか、静かな面持ちで聞いていた。

 伝言を持ってきた兵士が目の前からいなくなると、リチィオは頭を掻きながら情報を整理する。


「う~ん、もしものときは私を見殺しにしろと言っておいたのに」


 北部軍がとろうとしている策を察したリチィオは、自分が予想をしていなかった仲間達の動きに頭を抱えた。どうやら、リチィオの予想以上に仲間内のリチィオへの依存度を高めてしまっていたらしい。

 そうなると、厄介な話だ。どれだけの兵力を、リチィオの近くに集めてしまうのか予期できない。今ほど、リチィオが直接指揮を執れないことを悔やむ時は無かった。


 そんな弱点を、シルクは見逃すだろうか。いや、それはない。あの聡明な少年士官は、この機を必ず勝機へと生まれ変わらせる。

 しかし、実際にとっているシルクの行動に不可解な点が生まれていることも事実だ。


「彼らしくもない。焦っているのかな」


 捕らえられてから、ずっとシルクが関わった戦闘の記録を思い出していた。大胆に見えて実は冷静に、成功する可能性を高めていく彼の指揮は感服せざるを得ない。経験値が足りないところはいくつか見受けられるが、それは年齢を重ねれば解消できるだろう。

 しかし、今回は今までとは違って穴だらけだ。全てが不確定な要素の上に成り立っている。


 もし、反乱側の兵の動きが予測と違っていたら?


 もし、ダーボン城からの救援が間に合わなかったら?


 そもそも、彼が処刑台に立つだけで失敗する確率が上がる。シルクがそれをする必要性は全くないし、ただただシルクの身への危険が増すだけの選択だ。


 自らを矢面に立たせるシルクの戦略を目の当たりにしたリチィオだったが、その時とは状況が違う。

 戦場ではない、止まった舞台で。誰よりも目立つ場所に立つ。それは、ただ、的になるだけではないか。


 そんなことを選択するような人間ではないと思っていた。それは、リチィオの買いかぶりだったろうか。


「失敗してもらったほうがいいんだろうけどね。私の立場からすれば」

 想像していた彼らしくない行動。それに不気味さを感じるのも事実だ。楽観もできない。


「もしかして、何かたくらんでいるかな」


 自分が処刑される日が近づいているというのに、リチィオは楽しそうに口端を歪めていた。

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