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第1話 我が軌跡

「……ここは?」


 不確かな足元に怪訝な表情を浮かべる。シルクは一人、何もない空間に立ち尽くしていた。


 そう、ここには「何もない」のだ。


 シルクの視界に入るのは、(もや)がかかったかのように不安定な視界。そこには普段なら意識せずともそこにある、まさしく生を実感できるような、そんな人間にとって自然な感覚もなかった。


 ただただ色のない世界が広がっていて、目標もなければ歩み出すこともできない。

 シルクの記憶もひどく虚ろだ。それでも、はっきりと脳裏に焼き付いている姿がある。


 ――兄様っ!


 それは愛しき少女の涙と悲痛な叫び。父親も母親も亡くした幼い頃。彼女だけは僕が守る、と心に決めた。

 それなのに、とシルクは短く嘆息する。


「僕が泣かしたんだよね、きっと」

 その記憶を自覚すれば、シルクの右肩に鈍い痛みが戻ってくる。


 あれは市街戦の最中だった。油断はしていなかった。だが、膠着(こうちゃく)した戦局に多少の焦りがあったのだろう。視界の片隅にいた、射手の狙いが自分に向いていたことに気づかなかった。

 それは、ただの矢ではなかった。(やじり)に毒が塗ってあったのだ。その一撃を受けて、シルクは戦場で昏倒した。


「すると、ここは冥界? ずいぶんと味気ない景色だけれども」


 誰に言うでもない呟き。だが、意外なことに答えが帰ってきた。


「いや、君はまだ死んじゃいないよ。あくまでも、まだ、だけどね」

 周りの雰囲気にそぐわない軽い調子に、シルクの鼓動が一拍高く鳴った。

「君達が冥界と呼ぶ場所。そこに繋がる道の一つと考えていい。なにもない、本当になにもない場所だよ。ここは」


 シルクは反射的に腰に手をのばす。だが、右手は空を握った。

(剣は……?)

 ここで初めて、自分が丸腰であることに気づいた。


「そういう物騒なものは、ここでは禁止。せっかく招待したんだ、客らしい振る舞いを君にはお願いしたいな」

 影はゆっくりと近づいてくる。靄が開け、その姿を視認できるようになるとシルクは息を飲んだ。


 光をまとった銀色の髪。深い色に染まった紫の瞳。一瞬、女性かと見間違うような顔立ち。

(僕と同じ顔をしている)

 それは驚くほどにシルクそのものだった。気味が悪い。シルクは直感でそう思う。


 自分と似ていることが、ではない。自分と同じ顔だと思うのに、彼がどんな表情をしているのか読み取れない。そんな不可解な状況が、だ。

(しかし、この場で大事なのは情報を集めることか)

 ふぅ、とシルクは短く息を吐く。向こうから来た手がかりを、逃すわけにはいかない。


 腕を下げ、肩から軽く力を抜き、シルクは彼を見据えた。その眼にすでに焦りの色はなく、何があっても対処できるよう冷たい輝きを放っていた。

「僕に何かあるなら、先にどうぞ」


 目の前の彼は、パチパチと両手を叩く。

「そうやってすぐ冷静になるところ、僕は好きだよ」

 好きだ、と言いながら声の調子に抑揚(よくよう)がない。


 おそらく人ではないものと対峙している、その恐ろしさに心に波が生まれそうになる。シルクは必死にそれを押さえ込んだ。

 今この状況、「招待した」と言った彼から情報を引き出すしかないのだから。


「じゃあ、単刀直入にいこうか」

 すっ、と空気が変わったことを感じる。彼が初めて重みのある言葉を口にしたのだ。

「僕と君ははじめまして、だ。でも、僕はシルク……君をよく知っている」

 一歩、距離を詰められた。


 彼は値踏みするかのように、こちらを見ている。シルクは首筋に冷たいものを感じながらも、真っ直ぐに視線を返した。

「でも、分からないことがある。僕は『わからない』ことが大嫌いだ。だから、教えてほしい」

「何を?」


「ふふ」

 そこで初めて、彼の表情が読み取れたことにシルクは驚きを感じる。

 それは微笑みだ。

「君のこれまでとこれから。具体的に言えば、なぜ戦っているのか、だ」


 そして、シルクは彼に語り始める。自分の選んだ道のこれまでを。

 自らが抱えた理想と、目の前の現実の狭間に揺れながら進んできた道のりを。

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