二話 記憶と内に潜む者
「ここはどこだ……?」
目を覚まし、辺りを見渡した後に感じた疑問がカズヤの口をついて出てきた。
飾り気のない机にびっしりと本が詰まった本棚。
カズヤが寝ていたベッドから見える窓の外には青い空が見える。
(俺は確か……あれ?)
カズヤは自身が今までいた場所のことを思い出そうとした。
しかし、何故か思い出すことができなかった。今いる場所に違和感があるため、ここの場所が本来いた場所ではないとは感じている。しかし、記憶がないために確信するに至っていない状態だった。
『ようやく目を覚ましたか』
「だ、誰だ……?」
どこからか幼い少女のような声が聞こえてきた。
カズヤは辺りを見渡すが、誰もいない。どこから話しかけているのか見当もつかなかった。
「あら? 目を覚まされたのですね」
カズヤが声の持ち主を探していると扉が開き、女性が入ってきた。
女性はカズヤを見ると柔らかな笑みを浮かべ、カズヤの方へ歩み寄ってきた。
女性の容姿はカズヤが今まで見てきた中でトップクラスに整っている。年は二十台半ばといったところだろうか。カズヤは自身が気後れするのを感じた。
『くくく。主はこやつのようなのが好みなのか』
またカズヤの耳に声が入ってきた。気になったカズヤだったが、カズヤの意識が声の持ち主へ完全に逸れる前に女性が声をかけてきた。
「驚きましたよ? いきなり部屋に召喚陣が現れたかと思うとあなたが召喚されたのですから」
「召喚……?」
「ええ。記憶にありませんか?」
女性に聞かれるが、カズヤには召喚された時の記憶はおろか元いた場所の記憶さえない。
それどころか――
(あれ? 家族や友人も思い出せない……? 日本に住んでいた、なんてことは思い出せるのに……)
どこに住んでいたかといった情報や自身の名前までは思い出せた。
しかし、家族や友人といった記憶はまるで霞がかかったかのように曖昧であり、はっきりと思い出せなかった。
「……何か事情があるのかしら」
何も口にしないカズヤを見た女性が小さく呟く。
「え、あ、いえ。すみません。全然思い出せなくて……」
カズヤの言葉に女性は納得したかのように一度うなずいた。
「……召喚された人は記憶が混濁することも多いと聞きます。だから、気にしないでください」
「……すみません」
気にする必要はない。女性にはそう言われたが、顔に心配そうな表情を浮かべている女性に対して申し訳なさが先立ってしまい、思わずカズヤは謝罪の言葉を口にした。
「名前は思い出せますか? 私の名前はラシェルと言います。もし分かるのであれば教えてくださいませんか」
「ラシェルさんですか。俺の名前はカズヤと言います」
カズヤが自身の名前を言うとラシェルの表情は明るいものに変化した。
「よかったです。名前は思い出せたのですね。記憶の混濁は名前を思い出せるかどうかで強さが変わると聞きます。自身の名前すら分からない場合は治る可能性はごくわずかと聞きましたので、安心しました」
カズヤはラシェルの言葉を聞いてぞっとした。
もし、自分が名前すら分からなかった場合は一生記憶が戻らない可能性があったというのか、と。
「そうだ。もしよろしければエイドス魔法学園に通いませんか?」
「……え?」
急に言われた言葉に困惑したカズヤは思わず、言葉を漏らした。
「記憶の混濁は同世代の友人と共に生活することで早く治るとも聞きました。カズヤさんさえよろしければ、エイドス魔法学園で過ごしてもらい、記憶を回復させてもらいたいのです」
ラシェルの言葉はカズヤにとってありがたいものだ。
しかし、同時にラシェルがカズヤにしか得がないような提案をする理由が見つからなかった。
「どうして、そこまで俺に親切にしてくれるんですか」
どうしても気になったカズヤはラシェルに問いかけた。
カズヤの言葉にラシェルは少しだけ気まずそうに頬をかく。
そして、口を開いた。
「そうですね。正直に言いますと私に打算がないわけではありません。あなたがエイドス魔法学園にとって有益であると判断したが故に通ってほしいと思っているのですよ」
「俺がエイドス……魔法学園? とやらに有益?」
カズヤは自身が学園に有益であるわけがないと考えていた。
いくら記憶がほとんどないとはいえ、完全に記憶がないわけではない。残っていた記憶には魔法の知識は全く存在しなかったがゆえに、カズヤ自身が学園に有益であるとは思えなかったのだ。
『ふん。こやつ抜かしおるな。我が力を魔法などという下賤な力を扱う者たちのために使わせようというのか』
またカズヤの耳に声が聞こえた。
いい加減、この声が気になって仕方がなくなってきた。
「はい。有益なことには間違いありません。カズヤさんのように召喚魔法によって召喚された存在はほとんどの場合、強大な魔力を持っていますから」
「え、あ、そうなんですか……」
どこからか聞こえてきた声のせいでラシェルの言葉をよく聞いていなかったカズヤは、思わずしどろもどろな返答になってしまった。
「それにもしもカズヤさんが魔力をそれほど持っていなくても私はあなたをエイドス魔法学園に入ってほしいと考えています。いえ、むしろ魔力の少ない方が好都合かもしれませんね」
「それはなぜですか……?」
先ほどのラシェルの言葉が正しければ、カズヤにエイドス魔法学園に入ってほしい理由はカズヤの持っていると思われる強大な魔力のはず。しかし、ラシェルはその理由を否定した。更にはカズヤの魔力が少ない方が好都合などという。全く持ってカズヤには理由が分からなかった。
「恥ずかしながら我がエイドス魔法学園にはある種の差別意識が生まれてしまっているのです」
「差別、ですか」
「はい。魔力至上主義とでも言えるそれは、最早常識と考えてしまっている者たちも少なくありません。確かに我がエイドス魔法学園に通う生徒たちはアンラプスにとって数少ない魔法行使者です。しかし、それでもアンラプスに住む他の魔法を使えない者たちを蔑ろにするべきではありません。増してやそれが原因で命を落とす魔法行使者が増えているのですから……」
ラシェルが悲しそうに俯く。
カズヤにとってはよくわからないが、魔力至上主義な者たちは相当ラシェルを悩ませているらしかった。
「俺に学園で何をしてほしいと考えているんですか」
カズヤの言葉にラシェルは顔を上げた。その顔には嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「受け入れてくださるのであれば、カズヤさんには例え魔力を持っていても持っていなくても、魔力がほとんどないように振る舞ってほしいのです」
「魔力がほとんどないように? それじゃあ、魔力至上主義の人たちにはほとんど意味がないんじゃ……?」
むしろ、魔力がほとんどない者がエイドス魔法学園に入ったということで、魔力がない者に対する差別意識はより強くなってしまうのではないか、とカズヤは考えた。
「そうですね。カズヤさんが何もしなければそうなってしまうかもしれません。しかし、そうならないと私は確信しています」
「つまり、絶対に何かが起こる、と……?」
「はい」
ラシェルはカズヤの言葉に迷いなく頷いた。
「でも、カズヤさんは心配することはありませんよ。召喚魔法に耐えられたということは例え魔力が少なかったとしても、強大な魔法に対する抵抗力を持っていたということには違いありませんから」
だから、魔法に対する防御は問題ありません、と続けるラシェル。
その言葉にカズヤは乾いた笑いを漏らした。
つまり、魔力が少なかった場合、まともに反撃は出来ないけれど、攻撃も受けないということか、と。
『くくく。なんだ、こやつはなかなか笑わせてくれるではないか。主よ。面白そうではないか。こやつの言う魔法学園に入ってみるがいいさ』
どうやら声の持ち主はご満悦のようだった。
ひどく気に入ったらしく、さっきからずっと小さく笑い声が漏れ聞こえている。
「もちろんのこと、私もカズヤさんの手助けをさせていただきます。……立場上、全面的に協力するのは難しいかもしれませんが、極力手を貸します。なので、どうかエイドス魔法学園に入っていただけませんか?」
記憶を失ってしまい、右も左も分からない状態であるカズヤ。
そんなカズヤをエイドス魔法学園に通わせるためだけであれば、ラシェルは都合のいい嘘をついてもおかしくはなかった。それにもかかわらず、ラシェルは自身の言葉が打算のためだとはっきり伝え、カズヤの信頼を得ようとしている。
ここまで言われたからには受け入れない理由がなかった。
「分かりました。エイドス魔法学園に入らせてもらいます」
「ありがとうございます!」
カズヤの言葉にラシェルは満面の笑みを浮かべて答えるのだった。