白いゴブリン伝説
モンスターとは体内に魔石という器官を持つ生物の総称である。
魔石に大気中のマナを取り込む事で我々人間とはくらべものにならないほどの身体能力や特異能力持つモンスターは、人類にとって脅威だと言えるだろう。
しかし、人間はモンスターと違い考える知恵という物が神から与えられている。
この本にはその知恵の一端を記させてもらった。
これを有効に使えるかは、読んでいるあなたの知恵に掛かっている。
———ロビンデット著 モンスター大全より一部抜粋
・・・
エルドライ大陸の王都【エルドラ】から馬車で東に10日程離れた場所に【黒衣の森】とよばれる森がある。
黒衣の森は日中ですら暗く陽が入らず、上空から見れば黒一色の森林が広がる事から魔界の入り口とも呼ばれ、人々から忌避されていた。
そんな危険な森に1匹のゴブリンが迷い込んでいた。
モンスターの中でも比較的小柄な部類に入るゴブリンの中でもそのゴブリンは1回りほど小さく、その肌は薄汚れた青や緑ではなく透き通るように白く美しい。
小柄だが華奢という訳ではなく、程よく引き締まったその肉体は彫刻のようで、どこか神秘的な感じさえ感じられた。
そんな白いゴブリンの名はローグという。
ローグはその透き通るような白い肌が災いし、少し前までは人間たちに捕まって奴隷として見世物にされていた。
町から町への移動中に人間達から逃げ出すことに成功したローグは、そのままこの黒衣の森に逃げ込む事に成功する。それから5日間、ローグは森に住んでいる他のモンスターたちに狙われないように息を潜めて生活していた。
家族や部族の元に帰りたいという気持ちもないではないが、ここがどこなのかもローグは分かっていないし、そもそも捕まる時に仲間のゴブリンたちが何人も殺されているのを見ているから、戻ったところで部族が存在していない可能性もあった。知能が低いゴブリンのローグでもそれくらいの事は理解できる。
悲しい事だが、これからは自分の力だけで生きていくしかないのだ。
ローグの今の持ち物は腰布と小さなナイフだけだ。
戦いの心得がない訳ではないが、所詮はゴブリンでしかないし、こんな貧弱なナイフではウサギですら仕留められるか分からない。
ローグはナイフを見て溜息をついた。
問題は獲物が捕れない事だけではない。
オーガやブラックウルフが住むこの森で、こんな装備のゴブリンにどうやって生きていけと言うのか。
(人間の冒険者が使うような立派な武器を使ったって勝てるか分からないというのに)
ローグはこの森に入って直ぐにオーガの群れとブラックウルフが戦っている所を見ていた。その時の感想は「次元が違いすぎる」だ。
そもそもオーガはゴブリンよりも数段階上のモンスターだとされているし、幾ら装備を整えても勝てるはずがない。
ローグは生まれながらに光と雷の魔法を使うことが出来たが、それは下級の魔法だけだし、それでオーガやブラックウルフを相手にするのは難しいだろう。
「木の実や果実が豊富なのは不幸中の幸いだな」
黒衣の森は人々から忌避されているからか滅多に人が近づくことはないし、来るとしても冒険者や盗賊のような連中が多い。
近くに村もない事から人の手は殆ど入っておらず、森には食べきれないほどの果実やキノコといった食材で溢れていた。贅沢を言えば肉を食べたいところだが、最近見つけた小川では魚も捕れるし生きていくだけなら充分といえた。
「おいおい、珍しいのがいるな」
しかしそれは周囲に害敵がいない場合に限られる。
木の実を採取していたローグの前に3メートルを超える巨体を持つ1体のオーガが現れた。右手には木を削って作ったであろう巨大なこん棒を持っている。
「白いゴブリンなんて見た事がないぞ。食ったら美味そうだ」
オーガはそういうと手に持ったこん棒をローグに叩き付けようとしてきた。
その動きは大振りだが、オーガの筋力で振るわれるそれは予想以上に早く鋭い。
転がるようにして避けたローグはさっきまで自分がいた地面が大きく陥没しているのを見て白い顔をさらに白くした。
ローグは知っている。
オーガがいかに強く、ゴブリンがいかに弱いのかを。
ローグはゴブリンにしては頭が良かった。
目立つ白い肌のせいで常に自分が有能な事を示していないと部族から追い出されかねなかったから、誰よりも知識を詰め込んでいる。
ローグは他のゴブリンよりも小柄で体力も少ない。みんなと同じことをしていたら役立たずの烙印を押されかねない。
だからローグは学び続けた。自分が部族に必要な存在だと示すために。
ローグが特に注意していたのは自分たちとは種族の違うモンスター達の能力だった。
人間から盗んだ本で自分たちの能力がどれ位なのか、自分達の他にはどんなモンスターがいるのかを調べ、強力なモンスターが縄張りに近づいて来た時はみんなに危険を知らせる事で幾度となく部族の危機を救った。
そんなローグだから分かる。このオーガに勝てる可能性は0に等しいと。
「分かっていても簡単に諦めるなんて事は出来ないよな!」
ローグは再度振るわれたこん棒を紙一重で避けながら考える。
どうすれば生き残れるかを必死で考えていく。
(俺が他のゴブリンと違うところは魔法が使える所とこの白い肌だけだ)
魔法は弱いものしか使えない。
雷魔法はマッサージ程度の威力しかないし、光魔法なんて光るだけだ。
(攻撃も今は何とか避けられているけど、捕まるのは時間の問題だ。体力的に考えても先にダメになるのは俺の方だろうし)
激しく動いているのはオーガの方だけど、疲れているのは圧倒的にローグの方だ。
オーガの大振りだが鋭い攻撃の連続に、ローグの気力と体力はガリガリとすり減っていく。
(このままじゃ俺が死ぬのは間違いないし、こうなったらやってみるか)
一か八か、ローグは光魔法を使うことにした。
魔法の光を使ってオーガの視界を奪い、その間に逃げる作戦だ。
成功する可能性は低いかもしれないが、やらないで死ぬよりはやって死んだ方がいい。
魔力の量が少ないローグでは出力を最大限にしてもランプの光と同程度の光が出せるくらいでしかない。連発は出来ないし、光は出せて3秒だろう。
(それでも!)
ローグはオーガのこん棒攻撃を避けながら前に一歩踏み込む。
「チョコマカとウザったいんだよぉっ!」
攻撃を避けられたオーガは開いている左手を振り上げてローグに殴り掛かってきた。
ローグの顔よりも大きなこぶしは凶悪で、直撃したら即死だろう。それをギリギリまで引き付けていく。
ギリギリで避けたつもりだったオーガのこぶしはローグの額に少しだけ掠り、その衝撃で意識を失いそうになった。それを踏ん張ってローグはもう一歩前に跳んだ。
「これでもくらえっ!!」
両手をオーガの前で思いっきり叩き合わせた瞬間に光魔法を使う。
大きな音とともに強い光がオーガの顔を照らした。
「ガァ!?」
常に深夜のように暗いこの黒衣の森で、その光は一瞬だけ周囲を昼のように明るくした。
体から魔力がゴッソリと抜けた感覚に襲われたローグはフラつきながらもしっかりと地面に着地してオーガから離れようと後ろに下がろうとすると
「グ、ガァッツ!?」
オーガの大げさにも思える叫び声に驚きローグの足が止まる。
見上げてみるとオーガが顔を両手で抑えながら苦しむ姿があった。
オーガはこの森で生まれ育ち、外に出たことがなかったのだろう。
常に暗闇に覆われている場所で生活しているオーガにとって、それは初めての光だったのかもしれない。強烈な光はオーガの目を焼き、一時的に視界を奪ったようだ。
(これはチャンスだ!)
オーガは予期せぬ攻撃に驚いて隙だらけだ。
今ならどんな攻撃も当たるだろう。
武器は小さなナイフしかないが、このチャンスを逃すことはできない。
ローグは少し後ろに下がると、勢いをつけてオーガの足にナイフを突き立てた。
「ガァ!?痛ぇっ!?」
ナイフはオーガの右足に根元まで突き刺さった。
ローグは突き刺したままナイフをグリグリと動かして追撃をしていく。
オーガは堪らず後ろに尻餅をついた。
ズズン……
咄嗟に離れたローグは痛みで暴れるオーガを油断なく観察する。
目を潰し、足を傷付けたといってもオーガはまだまだ健在だ。
今は混乱して醜態を晒しているオーガだが、しばらくすれば冷静になり、怒りに任せてローグに襲い掛かるだろう。
辺りを見渡すと、オーガが持っていた巨大なこん棒が落ちているのが見えた。
持ってみると重くて持ち上げるのがやっとだが、使えない事もない。
(これならアイツも……)
ローグはこん棒を引きずりながらオーガの後ろに立った。
オーガはローグに気付いていないようで、痛い痛いと腕を振り回している。
ローグはこん棒を持ちあげるとオーガの頭の上に標準を合わせて
グシャリ
力一杯に振り下ろした。
思った以上にあっけなくオーガの頭は凹み、辺りに血が飛び散る。
それを見てローグは気が抜けたのか地面にへたり込んだ。
目の前の動かなくなったオーガを見て、勝ったという実感が沸いてくる。
そして、喜びとともにモンスターの本能とも呼べる欲望がローグを動かした。
それは食欲だ。欲望のままにローグはオーガに喰らいついていく。
鋼のように固い筋肉を物ともせずに噛み千切って胃に収めていった。
ガツガツ、ムシャムシャと。
全身をオーガの血で赤黒く染め上げながら夢中で食べていく。
その姿は正しくモンスターと言って間違いないだろう。
ある程度食べた時、オーガの体の中から赤い宝石が出てきた。
ほんのりと赤く光る宝石をローグは物珍しそうに眺めると、それをそのまま口に入れる。
何故そうしたのかは分からない。しかしそうしないといけない気がした。
宝石をかみ砕くと、ローグは体中に力が溢れてくるのが分かった。
今ならさっきの様な小細工をしなくてもオーガと渡り合えるかもしれない。
そんなゴブリンではありえない事を想像できてしまう程、ローグは体から溢れる力から感じていた。
ガサガサ
ローグが沸き上がる力に酔いしれていると、後ろの方から草を掻き分ける音が聞こえてきた。数は複数、歩き方からして人間の冒険者だろう。
ローグは嫌そうな顔をして舌打ちをすると、静かにその場から離れることにした。
強くなったといっても、まだ複数人の冒険者と戦って勝てるとはまだ思えなかったからだ。
「俺はまだ死ぬ訳にはいかない」
これは世界の王となるゴブリンの物語
後に白鬼神ローグの物語はこうして幕を開けたのだった。